ここでは、WW2のドイツ軍が使用した39年型卵型手榴弾を展示しています。
  
はじめに

ドイツ軍の手榴弾と言うと、誰もが最初にポテトマッシャー(ジャガイモつぶし)の 渾名で有名な柄付手榴弾の方を連想すると思うが、今回は39年型卵型手榴弾を紹介する。
柄付手榴弾に比べて目立たない存在の卵型手榴弾だが、柄付手榴弾に比べて生産性も良く、 また携行にも便利だった為、戦争が始まってからは柄付手榴弾よりも多く生産されていた。
1939年に採用された”卵型手榴弾”で、本体は柄付手榴弾同様に薄い鉄板プレスで作ら れている。
そのため破片効果は低く、爆風で敵にダメージを与える対人用で、有効範囲も10m位。
投げる方の兵が完全に遮蔽物に隠れていない場合にも使用出来る事から”攻撃型手榴弾”に 分類される。これに対して米軍等の手榴弾は、本体が鋳物で出来ており、破片効果は高い反面投げる兵士が遮蔽物に隠れていないと危険な為、”防御型手榴弾” に分類される。

  
39年型卵型手榴弾
  
39年型卵型手榴弾

写真の”卵型手榴弾”は、携行用リングが付いた後期型で、初期の物にはリングが付 いていない。
炸薬はTNTで112g、全高(信管を含む)96mm、直径62mm(最大)、重さは 340g、有効範囲は約10m、時限信管は4、5秒。
全高を76mmとしている資料があるが、これは信管を外した本体のみのデータである。
写真左は1944年brb社製で、BZ信管の取っ手の裏にはOS.RW.322の刻印が ある。
写真右の物は1943年GZX社製の物で、信管の安全キャップの上にBak43の刻印が ある。
また、写真の物に塗料は残っていないが、手元の資料によると、「本体は通常黒く塗装され ており、末期にはサンドに塗装された物もあった。」とある。

BZ信管

柄付手榴弾同様の摩擦発火式点火装置で、地雷や吸着地雷にも使用された。
機械式発火装置に比べ信頼性も高く、厳冬期の東部戦線でも確実に作動した。
写真右の物は、安全キャップに塗装された青色がわずかに残っているが、これは通常の4、 5秒の遅延信管である事を示している。これが黄色だと7秒で、地雷や吸着地雷等に使用、赤だと0秒でブービートラップ等に使用する。

安全キャップを外した状態

BZ信管の安全キャップはネジ式になっており、外すと写真の様に点火索が出てく る。
あとはこれを引き抜いて投げれば良い訳だ。
柄付手榴弾もそうだが、安全キャップはネジ式になっている為、塹壕等の縁にこの様に安全 キャップを外して並べてある写真を良く見る。
因みに安全キャップのネジを回して外すのには、約4秒かかるので塹壕で敵を待ちかまえて いる場合には予めキャップを外しておかないと間に合わないのだろう。

ドイツ軍のマニュアルより

卵型手榴弾の断面図だが、画像右下の長方形に描かれているのが、遅延発火装置で導 火線と起爆薬からなっている部品。このコンテンツで紹介している卵型手榴弾には、この遅延発火装置と、炸薬(TNT)が無い(笑)。

39年型卵型手榴弾は当初、携行用リングとBZ信管の取り外し用の取っ手がつけら れていなかったが、このマニュアルの物は取っ手が付けられているがリングの無い中間タイプの様だ。
なお、タイトルで、手榴弾本体と発火装置、遅延信管の3つが別々に扱われているのが興味 深い。これは前線迄は、部品で輸送されてきた手榴弾を、各部隊に支給後に組み立てて使用した為、各兵が取り扱いを習熟する必要があった為だろう。

  
ディティール
  
写真左は安全キャップのアップだが、わずかに青の塗料が残っている。また頂部に は製造メーカーと製造年を示すBak43の刻印が見える。

他にStd44と言った刻印も見た事があり、これらの部品も他の兵器同様、複数の メーカーで作られていた事が判る。

また、この写真を良く見ると、本体上面の蓋のまわりの折り返しが一度コジッテある のが判るが、ここからTNTを抜き取ったのだろう。

製造年を表す43の刻印が見える。また携行リングの取付部分や携行リングも使い 捨ての割に凝った作りなのが如何にもドイツ製だ。 左の写真の反対側にある製造メーカーの刻印で、
gzxとある。これら武器の製造メーカー刻印は、保安上この様にコード化されてるのが一 般的である。
44年製の方の刻印

44brbの刻印が見えるが、このbrbの刻印は柄付手榴弾でも見た事があるの で、両方の手榴弾を製造していたメーカーの刻印である事が判る。

また、携行リングの取付部の作りが、上の43年製の物と異なり簡略化されている が、メーカー格差なのか省力化による物なのかは不明。

写真では判りにくいが、携行リングも断面が丸では無く”半円形”になっており、し かも”めしあわせ部”はお互いの切り口が出っ張らない様に斜めに加工してある。
確かに丸い針金で作ったリングより引っかかる危険性は低いが、凝った作りには驚かされ る。

画像処理で

PCの画像処理で、39年型卵型手榴弾の初期型を再現してみた。

画像左が採用当時の卵型手榴弾で、携行リングも信管の取り外し用取っ手も無いタイ プ。
これでは確かに持ち運びも不便で、信管もセットすると、外そうとすると安全キャップが外 れたりして、不都合だったと思われる。

画像右は上のマニュアルにある、信管の取り外し用取っ手が追加されたタイプだが、 この取っ手やリングが具体的に何時から追加されたかの具体的な資料を持っていないので、もしも御存知の方がいらしたら、出典も含めて是非ご教示願いたい。

携行リング他

携行リングは具体的には左の写真の様に、例えばMauser kar98kの弾薬盒の蓋を止めるベルト等に通して使用された。

当時の写真を見ると、両側の弾薬盒に鈴なりに卵型手榴弾をぶら下げている兵がいる が、こうして見ると確かに柄付手榴弾より持ち運びには便利だった事が解る。
他の一般的な例としては、MP38・40のマガジンポーチやMG34・42の工具ケース 等からぶら下げている写真が確認出来る。

摩擦式点火装置が機構的には信頼性が高い事は既に書いたが、反面安全装置はネジ式 の安全キャップに頼る事となり、移動中の遭遇戦等で連続して投げるには不便だったと考えられる。
また、防御戦の時には、破片効果を高める為に外装式の破片効果増加アタッチメントも作ら れて支給されていた。

  
  
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26.Jan.2000 公開

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