前ページに引き続き、ドイツの半自動小銃Gewehr41(W)の無可動実銃のディ ティールを紹介する。 本コンテンツを制作するにあたり、貴重なコレクションの画像と情報を提供して下さった TOMO氏に、この場であらためて感謝の意を表します。 |
G41とK43の機関部の比較。 上がG41、下がK43であるが、作動方式は異なるものの、両銃のベースが同一であることが分かる。 |
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上からの比較。ボルトハンドルとボルトストップボタン(このK43では省略されている)の位置の左右逆転は、単純にG/K43では右側 にZF4用マウントが位置されることとなったためと考えられる。 |
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リアサイトはドイツ軍の小銃で標準的に採用されていたVノッチのタンジェントサイトで、100m〜1200m まで調節する事ができる。 |
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G41(W)acの刻印。1941年〜42年まで生産されたG41には製造年が打刻されず、シリアルナンバーは通し番号であったと思わ れる。つまりこのG41は41年からシリアル生産された5,276丁めという事となる。 "ac"の後方に打刻された番号なしの鉤十字付き鷲マークは、所謂ヴァッフェンアムトではなく、射撃試験証明 "Beschussstempel:Firing Proof"である。これはKar98kやK43でも銃身やレシーバー等に必ず打たれていた。また"(W)"のマーキング付きG41は、43年から量産さ れたものに比べて少なくレアである。 |
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duv43の刻印。ストックに半分隠れているが、左から"G.41 duv 43 (アムト) 9671 g"とある。 また、duv43(ac43も)には本来G43にも使用されていた改良型のリアサイトが付けられていたが、このG41には何故か旧型の リアサイト(ac製の初期だけに付いた物)が付けられている。初期型G41との外観上での唯一の明らかな相違点となっていたので残念ではあるが、いつの時 点で交換されてしまったのかは不明である。 |
右側から見た機関部のアップ。写真はG41(W)acだが、ボルトキャリアだけduv43の部品(シリアルナンバー不一致、 WaA214)が付けられている。このac製のG41は、かなり使い込まれているので、工場出荷時のボルトキャリアが破損した為、交換されたのだと思われ る。 |
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左側から見た機関部のアップ。この写真もac製のG41の物である。 積層材で作られたストックの接着剤の赤い層が、はっきりと確認出来る。 |
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後方より見たリアサイト。Vノッチ式サイトは照準がしにくいとも言われているが、ドイツ軍では好まれていたのか、最後まで使用されてい た。 |
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後方から見たハウジング部。G/K43のハウジングはプレス製であるが、G41ではまだ削り出し加工で作られている。余談ではあるが、 G/K43の極初期と末期生産品にはG41の削り出しハウジングパーツを使用した物が多数確認されており、両者の部品が共用出来た事がわかる。 |
トリガー周辺部。G41はプレス加工部品や鋳造部品を導入する事で、生産性の向上を計っていて、トリガーガードも鋼鈑プレス製である。 |
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トリガーガード固定ネジのクローズアップ。 下面に3つあるネジには、どれも緩み防止のバネ式ロックが付けられている。 |
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これはマガジン(画像の左側)とトリガーガードの間のネジのアップである。マガジン前方にも同様のネジが使用されている。 また、写真の鋼鈑プレス製プレートにはシリアルナンバーとヴァッフェンアムトの打刻が施されている。 |
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左側から見たマガジン。G41のマガジンは固定式で、装弾数は10発となっていた。 マガジンのマウント側にもシリアルナンバーとヴァッフェンアムトが打刻されている。 |
マガジンの外し方は、ドライバーで示している所を押しながら、マガジンを後方にずらしてから引き抜く。 装弾は上方から行うので、通常は弾倉内の残弾を取り除いたり清掃時にのみ取り外す。 |
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マガジンを外した状態。マガジン内のフロアプレートとスプリングは撤去されてしまっている。 マガジン後方にリブ状に見えるのは、実包を千鳥式に装弾した際に、マガジンのフロアプレートが傾かない為のガイドレールである。 |
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これは無可動実銃なのでボルトを引く事が出来ないが、実際はボルトを引いて固定し、Kar98kと同様に上からクリップで装填する。た だし装弾数10発なので2回装填しなくてはならなかった。 G43ではマガジンが脱着式になったので、あらかじめ予備のマガジンに装弾しておく事が可能となったが、半自動小銃の威力を充分に発揮 させるには、装弾に手間が掛かる事も大きな欠点であった。 |
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画像中央に円形の埋め木が施されているが、これはG41(W)の最初期型には、最終弾を撃った後、ボルトが開放状態になったのを解除す るボタンがこの位置にあった事の名残である。この機構はシリアルナンバー5459までが確認されており、この5276はちょうど過渡期にあった為、機構は 省略されたものの、ストックはボタン用の穴が開いていた物を塞いで使用した為と考えられる。 |
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G41のバットプレートは、銃床を包み込むタイプが採用されているが、これはKar98k同様に積層材で作られたストックが本格的に導 入された事とも関連があると思われる。初期のG41にはクルミ単材のストックが使われたとする資料もあるが、当初より積層材が使用されていたとする資料も ある。しかし、この様にシリアルナンバーの揃った現物が存在する事で、後者は間違えでは無いと思われる。 |
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最上段がシリアルナンバー”5726”で、2段目がメーカーコード"bpr:Johannes Grossfuss Metall-und Lackierwarenfabrik”、その下が生産年”41”、一番下の段がヴァッフェンアムトで”WaA497"となっている。bpr社は Kar98kのバットプレートも供給しており両者には互換性があると考えられる。 |
当時のドイツ軍のシリアルナンバーの振り方は、通常1に始まり9999まで、ついで1a〜9999a、1b〜9999bと続き、 9999zまで行った場合は、1aa〜となる。番号は、普通は4桁であるが、44年以降のbyfでのK98kは5桁であった。また、一般的にはシリアルナ ンバーは生産年毎にリセットされていた。 |
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