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1941年に今まで使われていた34年型弾薬箱の改良型が採用になった。 主な改良点としては、防水性能を持たせた事、蓋を開けた時に蓋が34年型よりも地面に近 く安定性が向上した事、材料の鋼材をメッキ処理した事などが上げられる。 今回は2種類の41年型弾薬箱を紹介するが、実際には蓋の上面にプレスで補強リブを入れ た後期型も生産されていた。 |
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これは41年弾薬箱の側面形状を示す写真だが、34年型弾薬箱の蓋と異なり斜めにカット されていない。 これは新型丁番の採用で、蓋を開けた時に蓋を地面の近くに下げる事が出来る様になった為 である。 |
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これは41年型弾薬箱を上から見た画像であるが、上の弾薬箱は右側のみにロックハンドルが付いているのに対し、下の弾薬箱は左右両サイ ドに付けられている。 これが生産年により変更された物なのか、メーカーにより異なる物なのかはわからない。 |
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これは蓋のロック機構側を写した画像だが、34年型弾薬箱では蓋の上面に設けられていたロックハンドルが側面に移されているのが興味深 い。 この設計変更により、蓋の生産性を向上させ、また使用時の蓋がより地面に近づける事が出来た。 |
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上の画像の反対側の画像だが、左の弾薬箱にはこちら側にもロックハンドルが付けられている。 資料が無いので断定は出来ないが、当初防水性を向上させる為に両サイドにこの様な機構を設けたが、実際には片側で充分な水密性が確保出 来たので、後に片側にのみハンドルを付ける様、簡略化されたのでは無いかと想像している。 右の弾薬箱を見ると蓋と箱の丁番部は、中間に口形金具が設けられ、それぞれを連結しているのがわかる。 これによって蓋を開けると口形金具の高さ方向の長さだけ、蓋の位置を下げる事が出来た。 |
蓋を開けて使用状態にした状態を示す。 41年型弾薬箱は、この様に丁番部に口形金物を採用する事で、蓋の位置を画期的に下げる事に成功している。 これは弾薬箱の中の残弾数が少なくなった時の安定性の向上に大きく貢献したと思われる。 |
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41年型弾薬箱の改良点の一つに防水性能がある。 この画像の様に蓋の裏側にはゴムパッキンが付けられており、弾薬箱の中に水が入らない様に作られている。 |
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41年型弾薬箱は、側面下部にPatr.kast.41f.MGと打刻されている。 これはPatronenkasten41fuer MG:機関銃用41年型弾薬箱の略で具体的なメーカーや製造年を示す物では無い。 |
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これは上の画像とは別の41年型弾薬箱の刻印だが、字体に多少の違いはあるものの全く同じ内容が打刻されている。 |
弾薬箱には実包以外に機関銃の予備部品や工具、オイル缶やべルトリンクへ実包を装填するGurtfueller 34/41なども収納携行していた。今回はその様なアイテムの中からオイル缶とGurtfueller 34/41を掲載した。 |
戦場などで機関銃に注油が必要な場合は機関銃手のポーチに小型のオイル缶が入れられており、通常はそれを利用する事になっているが、こ れはその携行用オイル缶にオイルを補給するためのオイル缶で、一缶に約1,3リットルのオイルを入れる事が出来た。 オイル缶本体の寸法は縦が約16cm、横が約8cm、高さは約11cmで注油する際に使う取っ手とチェーン付きの蓋が付いている。 |
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これは蓋を開けた状態の画像であるが、注油口はオイルを注ぎやすい様に一方に絞られている。 また取っ手も絞りの方向に合わせて斜めに付けられているのが如何にもドイツ製品らしい。 このオイル缶は戦後MG42の後継機銃と共にNATOでも採用され、スペインやイタリア等でも生産されていた。 |
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オイル缶はこの様に弾薬箱に2個収納出来る大きさに作られている。 |
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これはMGのベルトリンクに実包を装填する為の道具で、作業台等に固定し、ハンドルを回す事で簡単に装填作業を行なう事が出来る物であ る。 ドイツ軍では機関銃の弾薬はバラのまま箱に入れて支給していたので、前線ではベルトリンクに入れる作業が必要であったが、発射速度の速 い機関銃の全ての弾薬を手で入れるのでは、あまりに非効率的で、こう言った装備も必需品であった。 |
Gurtfueller 34は4つのパーツに分解して弾薬箱に収納出来る様になっている。 |
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Gurtfueller 41はGurtfueller 34の改良型として採用された道具で、作業台などに固定する必要が無く、レバーを押し下げる事で一度に2発の実包をベルトリンクに装填する事が出来る様に なっている。 部品も大幅にプレス製に変更され生産性も向上している。 |
Gurtfueller 41は2つのパーツに分解して弾薬箱に収納出来る様になっている。 |
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