このページでは、ドイツ陸軍の40年型野戦服を紹介します。
   

はじめに
 
 本コンテンツでは、陸軍歩兵科上等兵の40年型野戦服 (Feldbluse40)を紹介する。
 野戦服は基本的に2着支給されていたが、投降時に着用していた物は、復員前の部隊解散時に徽章類を外し、新しい被服を支給されて復員したので、前線で着用していた野戦服は滅多に残らない。現存する野戦服の多くは、戦勝国の兵隊が土産として持ち帰った物であるが、これもドイツ国内に置いてあった外出着が多く、腰ポケットを張付けポケットに改造したり、徽章を付替えている場合がある。
 今回の
40年型野戦服は、被服工場や倉庫の中で終戦を迎えた物や、実際には外出着として家に残っていた物ではなく、野戦服として着用されていた雰囲気のあるアイテムで、このようなコンディションの服を好むコレクターも少なく無いだろう。
 

 
   
 
陸軍歩兵科上等兵の40年型野戦服

 ドイツ陸軍の野戦服は、ヴァイマール共和国の陸軍であるライヒスヘーア期に開発された33年型野戦服(1933年4月1日採用、同5月4日導入)に始まり、34年型、35年型と改良を加え、36年型野戦服で完成形となった。

 1939年に戦争が始まると、陸軍の大量動員や損失補填の必要性から、野戦服には簡略化・省力化が図られ、この40年型野戦服を皮切りに、41年型42年型43年型野戦服を経て、44年型野戦服が生産された。

 その様な観点から見ると、この40年型野戦服は折り返し点となった野戦服とも言える。

 写真左 正面より見た40年型野戦服

 写真右 背面より見た40年型野戦服

 
 

40年型野戦服の内装

 40年型野戦服の内装は基本的に36年型野戦服と同じで、内蔵サスペンダーというシステムが採用されており、ベルトフックに掛かる装備の重量を、肩でも支えられ る構造になっている。
 このシステムは1933年以来の野戦服に継承されてきたものであるが、42年型野戦服では廃止簡略化される。
 また、この服の裏地はコットン製で、包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。
 袖の中は裏地が無く、作りもかなりゆったりとしている。
 裏地自体はあくまで補強を必要とする最低限の部分にのみ付けられていて、特にダーツ部分は糸が擦れてほつれる事が無い様に全て裏地で覆われている。

 
   
各部のディティール
   
襟のホックを留めた状態

 この服は、基本的に第一ボタンを留めて着用する事になっていた為、下襟には「シツケ」は施されていない。
 ただし、全く開襟着用が禁止されていたと言う訳では無く、この様に着用するか開襟で着用するかは、各部隊の指揮官の指示に従う事になっ ていた。

 1933年以降のドイツ陸軍が、最初に導入したシャツは白い綿で作られた襟なし(スタンドカラー)のプルオーバーシャツであった。

 このスタンドカラーの高さは2㎝ほどしかなく、上に着た野戦服の襟の内側に首が直接触れるため、そのままでは汗などで襟を汚してしまう。そこで軍では野戦服の襟の内側に、脱着式の布製カラー『クラーゲンビンデ』を取り付けるか、首に前掛け状の『ハルスビンデ』を装着することを規定した。

クラーゲンビンデ
 
 襟を閉じて着用するときには、クラーゲンビンデの前合わせ部に付いているボタンを留めて、襟巻きのように首に巻くように装着する。

 写真のクラーゲンビンデは、1940年以降に作られたフィールドグレーの物である。
クラーゲンビンデ
 
 開襟着用時には、クラーゲンビンデを上着の裏側に固定する。

 襟の角度に沿ってクラーゲンビンデが固定されており、第二ボタンまで閉じれば、クラーゲンビンデは殆ど見えない。

 ちなみに野戦服を開襟着用するか否かは、通常中隊長の判断で気候などを考慮して指示される。
この服の徽章類
(Abzeichen)
 
 この野戦服は1941年製の40年型野戦服なので、1940年以降の標準的なBEVOタイプの下士官・兵用国家鷲章、低視認性の各兵科共通襟章が付けられている。

 ドイツ軍の徽章類は、新型が採用された後にも、一定期間は在庫の旧型徽章を付けて生産されていたので、40年型野戦服でも初期のロットでは、旧型の国家鷲章や襟章が付けられている物があった。
 
 また、肩章はフィールドグレーの脱着式肩章が付けられているが、肩章もダークグリーンの物を着用している写真は多く残っている。

国家鷲章
(Hoheitsabzeichen)

 
 この野戦服には1940年以降の標準的なBEVOタイプの下士官・兵用国家鷲章が付けられている。
 1940年6月4日に導入されたフィールドグレーベースにマウスグレーの国家鷲章で、実戦経験から視認性を下げている。
 この国家鷲章も野戦服の襟がダークグリーンからフィールドグレーに変更された事に伴い採用された物であるが、在庫はそのまま使用され続けた為、40年型や41年型の野戦服にもダークグリーン地の国家鷲章が付けられている物もある。

襟章
(Doppellitzen)
 
 この服では、1940年5月9日に導入された、各兵科共通の襟章が付けられている。
 
 ドッペルリッツェン:Doppellitzenとは、2本(ダブル)のモールとか組紐の意で、元々の襟章の作りに由来した名称である。
 
 襟がダークグリーンから服と共生地のフィールドグレーに変更された事に伴い、襟章のセンターのラインの色もグレーに変更されている。
襟の裏地等

 この服では襟の裏地にコットンが使用されている。

 野戦服の襟の裏地に関しては、服と共生地の物とコットンやレーヨン等を使用した物があるが、年式により異なる訳では無いので、メーカーによる差異、もしくはその時の布地の在庫状況によって選択されたものの様である。

 ドイツでは戦前から既にウールやコットンが不足気味であった事は前述の通りで、戦争が始まると占領地からも大量の原材料や布地などを買取しており、それらを使用した野戦服や装備も作られていた。

肩章
 
 1940年以降の標準的な、フィールドグレーの歩兵科兵用肩章である。

 36年型野戦服から移行された当初は、ダークグリーンの肩章の在庫があったため、ダークグリーンの肩章を付けているケースも多くあり、必ずしもフィールドグレーの肩章を付けていた訳ではない。
肩章
 
 脱着式肩章は、この様にボタンとループで取り付けられている。
 
 肩章は野戦服等を製造する時にでる端切れから作られるが、製造及び支給時点では表面の生地は揃っており、左右で色が異なる訳ではない。
 
 しかし、野戦服2着とコート1着に対して、支給される肩章は2ペアであり、その2ペアの肩章の色が揃っているとは限らない。
 
 したがって、洗濯する際などに野戦服やコートから肩章を外し、再び装着する際に、左右の肩章がアンマッチングになることもあったそうである。
 
肩章
 
 脱着式肩章を付ける為のボタンとループ。

 肩章はこのボタンとループを使って取り付けられており、簡単に取り外しが出来る様になっていた。

 
 この服は、生地表面の毛が殆ど飛んでしまっているが、肩章の下や、ポケットの内側には毛が残っている。
 
歩兵科兵卒用脱着式肩章
 
 1939年3月18日付け通達で、それまでの角型肩章の生産は中止され、先端を丸くカットした肩章の使用が規定された。
ダークグリーン地の先端を丸くカットした肩章は1938年11月26日より導入されたが、1940年5月からは野戦服の襟がフィールドグレーに変更された事に伴い、肩章の地色もフィールドグレーに変更された。
 
 写真上から1番目と2番目は、使用されている素材に若干の違いはあるが、野戦服用(11cm)肩章である。
 写真上から3番目の肩章は、若干長い作りで比較的初期の物である。
 写真一番下は44年型野戦服用肩章で、11cmタイプより若干短く、作りも簡略化されている。

 
陸軍上等兵の階級袖章
(Dienstgradabzeichen : Gefreiter)

 この逆三角形の袖章が上等兵を示す階級章である。
巾80mm、高さ70mm、のダークグリーンのウール生地で作られた逆三角形の台布に巾9mmのホワイトシルバーの糸で作られたトレッ セ(リボン)を縫い付けた物。

 この袖章は、野戦服の襟がダークグリーンからフィールドグレーに変更になった時点ではフィールドグレーに変更されずにダーク グリーン地のままで生産され続けた。

 1942年以降にはフィールドグレー地にグレーのトレッセを使用した物に変更された。

胸のダーツ

 胸の立体裁断の為に、脇から胸ポケットにかけてダーツが入れられているが、この部分はつまんだ生地が着心地に強く影響する為か、生地に 切れ込みが入れられている。
 
 ダーツは脇とポケットに挟まれているので、外観上はあまり目立たない。
 
 このダーツはウール生地を切断しているので、両脇に縫い目があるのに注意。

 
ベルトフック用ホール
 
 ドイツ軍の野戦装備はウエストベルトを基本に装着する様設計されていた。
 
 したがって、ウエストベルトが下がらない様に野戦服にも脱着式のベルトフックが前後4ヶ所に付けられていた。
 
 写真は背面のベルトフック金具を出す為のホールで、専用のミシンで廻りをかがってある。
センターベント

 ウールの野戦服は背中が一枚の布で作られている為、この部分は布を剥ぎ付けて作られている。
 
 内側には裏地が付けられているが、ウールの生地自体は切りっぱなしの状態である。
 
 また、背中の布も二重ステッチで縫い合わされているが、やはり生地自体は切りっぱなしになっており、まつり縫い等の処理は施されていな い。
 
 この作り方は43年型野戦服までの全ての形式の野戦服に継承されていた。

袖口
 
 袖口には2ケのボタンが付けられていて、袖口を絞る事ができる様に作られている。

 この服では樹脂製のボタンが使われているが、戦争が激化すると、紙製ボタンを使用している野戦服も登場した。

 袖口はボタンの付いている側も大きくコットンの裏地が付けられていて、ボタンが取れにくくする工夫がされているが、写真でも判るようにウール生地は切りっ ぱなしである。
 
サイズ表示スタンプ
 
 この野戦服も包帯ポケットの上方に、この服のサイズを表すサイズスタンプが押されている。

一番上が被服メーカーの名称及び所在地で、ケルン:Kölnの文字がスタンプされている。

サイズスタンプは3行で5カ所のサイズをセンチで表した物で、上段から、41:襟から腰 ・ 44:首廻り ・ 中段には、96胸囲 ・下段に、68:着丈 ・ 69:袖丈となっている。

 一番下段は、軍装補給廠の所在地名の略号と製造年のスタンプで、”M”はミュンヘンを表しており、ミュンヘンの補給廠で1941年製造と言う事になる。
クラーゲンビンデ
 
 前述の様に、クラーゲンビンデは生地を痛めずに洗濯する事が難しいウール製野戦服で、最も 汚れやすいカラー部を独立させる事で洗濯する事を可能にする工夫である。

 事実ウール製野戦服はむやみやたらに洗濯する事は禁止されており、 汚れは基本的に叩いて落とす事とされていた。

 カラーのディティールに関しては、野戦服のカラー のコン テンツで詳しく紹介しているので興味のある方はそちらを参照されたい。
内臓サスペンダー
 
 ベルトフックは内蔵式のコットン製サスペンダーに付けられる様になっていて、服自体には負担をかけずに肩から背負う仕組みになっ ていた。
 
 内蔵サスペンダーは服の裏地のスリットを通し、前後に下げられる様に装着された。
 
 画像右は内蔵サスペンダーにベルトフック金具を付けた状態で、実際に使用する際には左の様に、ベルトフック金具を野戦服のホールから出し、内蔵サスペンダーをホールの 下方にあるフック金具で固定する。
内臓サスペンダー
 
 ベルトフック金具は約4mmのアルミ製針金を曲げて作った物で、内蔵サスペンダーのホールに通して装着する。
 
 具体的には服のベルトフック用ホールの位置に合うホールの2ケ上のホールに金具を裏側から通し、2ケ下のホールから表側に再び出して装着する。

 後は服のホールから金具を表に出せば取り付け完了である。
 
 因みに内蔵サスペンダーの長さは約1m、中央部の巾は44mm、両端部の巾は27mm で、ホールは13mm間隔に開けられている。
内臓サスペンダー
 
 内蔵サスペンダーは、Dリング付きサスペンダー(重装備用サスペンダー)の普及と共に支給されなくなったが、ベルトフックは使用され続けた。
 
 この野戦服には、内蔵サスペンダーを使用しないで、直にベルトフックを付けていた痕跡が残っている。

 
歩兵科の小銃兵
 
 1940年頃から編成、もしくは再編成された歩兵分隊は、基本的に10人編成であった。
 
 歩兵分隊は、下士官が務める分隊長と、兵卒9名で構成され、その内3名は軽機関銃班、副分隊長を含む残りの6名が小銃兵であった。

 
 歩兵分隊の火力の中心は軽機関銃であり、小銃兵は軽機関銃の援護、小銃による銃撃戦を任務としていた。

 小銃兵の装備(Ausrüstung

a)    Gewehr小銃

2 Patronentaschen弾薬盒ペア
kurzer Spatenスコップ

b)    Die meist eingeteilten Handgranatenwerfer der Gruppeaußerdem Handgranaten.:分隊の通常支給分に追加する手榴弾

c)    Ferner je nach Befehl:別途指示により

Gurttrommeln,vor allem mit panzerbrechender Munition,ドラムマガジン、とりわけ徹甲弾
Nebelhandgranaten発煙手榴弾
geballte Ladungen収束手榴弾
Munition弾薬
Dreibein.三脚架

歩兵分隊の小銃兵の任務
 
前述の様に、小銃兵には副分隊長が含めれており、小銃兵の任務はa)で、b)は副分隊長の任務である。

a)   
Die Schützen 4 bis 9 führen den Feuerkampf mit Gewehr, sie sind Nahkämpfer.
兵卒4-9(小銃兵)は、近接戦闘に於ける、小銃による銃撃戦を主導する

b)    Der stellvertretende Gruppenführer ist außerdem verantwortlich für:
以下の様な状況に関しては、副分隊長が責任を負う

(1)  Wahrung des Zusammenhalts innerhalb der Gruppe (kein Zurückbleiben einzelner Schützen)
分隊内の連携維持(行方不明者を出さない)

(2)  Überwachen der Ausführung aller Befehle
 
全ての命令の進捗状況を監理する

(3)  Verbindung zum Zugführer und den Nachbargruppen
小隊長や近隣分隊との連携


(4)  Bezeichnen der vorderen Linie.Erträgt die Flagge vordere Linie.
前哨の設置と前哨の堅持


   
   
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28.Oct.2018 公開
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