このページでは、武装親衛隊の40年型野戦服を紹介しま す。
   
今回は、武装親衛隊の40年型野戦服(Feldbluse40)を紹介 します。
    
武装親衛隊歩兵科SS上等兵の40年型野戦服

SSは元来正規軍では無く、軍とは別の被服生産体制を持っていたが、1939年に本格的に戦争が始まり、兵員を急激に増員する必 要が生じた為、一時的に陸軍の野戦服を流用する事になった。
これはあくまで暫定的処置で1941年には強制収容所内にSS被服廠が整備され、再び独自の生産体制を確立した。
写真の服は陸軍型の40年型野戦服で、36年型野戦服と共にSSが使用した陸軍型野戦服であるが、このタイプに関してはSS独自に作ら れた物もあり、それらは内装等が異なっている。
この服はLAH:ライプシュタンダルテSSアドルフ・ヒトラー所属の歩兵科SS上等兵の 野戦服で、肩章にはLAHの組み文字の刺繍が施されたスリップオンタブが、また袖にはアドルフ・ヒトラーのカフタイトルが付けられている。また、第二ボタ ンのホールには二級鉄十字章のリボンが付けられている。

歩兵科SS上等兵の40年型野戦服

後ろから見た40年型野戦服。コットン製の夏服や作業着と異なり、ウール製の野戦服はこの様に背中が1枚の布で作られている。そ のため、前後と脇にプリーツが取ってあるのが解る。
また、前面及び脇のダーツはその端部が貼り付けポケットで隠れる位置に設けられていて、余計な処理を省ける様に工夫されている。今回は 後でこのダーツに関しても詳細を紹介する。
写真でウエストのあたりに縦に3ツ並んだ穴が見えるが、これはベルトフック金具を出す穴で、前後4カ所に設けられている。SSの野戦服 は1942年以降、このベルトフックを出す穴が2コに変更されるが、実際に4ヶ所のベルトフック金具を付けるとかなりの装備を付けていてもウエストベルト を保持する事が出来、歩いたくらいではウエストベルトが落ちる事は無い。ベルトフック金具の取付に関しては後で詳しく紹介するが、装備はサスペンダーとこ のフックでバランス良く装着出来る様になっている。

40年型野戦服の内装

内装には内蔵サスペンダーというシステムが採用されており、ベルトフックに掛かる装備の重量を、肩でも支えられる構造になってい る。
裏地はコットン製で、包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。袖の中は裏地が無く、作りもかなりゆったりとしている。
裏地自体はあくまで補強を必要とする最低限の部分にのみ付けられていて、特にダーツ部分は糸が擦れてほつれる事が無い様に全て裏地で覆 われている。
防寒に関してはセーター等を下に着る事で調整し、基本的には動き安さを重要視したという事だろう。

   
野戦服のカラー
   
襟のホックを留めた状態

この服は、基本的に第一ボタンを留めて着用する事になっていた為、下襟には「シツケ」は施されていない。ただし、全く開襟着用が 禁止されていたと言う訳では無く、この様に着用するか開襟で着用するかは、各部隊の指揮官の指示に従う事になっていた。
なお、この画像では襟の内側に脱着式の布製カラー”クラーゲンビンデ”を着けている。

開襟着用
 
上で、開襟着用に付いて少し触れたが、この服も開襟で着用されていた形跡があり、第一ボタンを外すと画像の様に下襟が自然に開く様に なっており、第一ボタンは最も塗装が綺麗に残っている。
また、脱着式カラー:クラーゲンビンデの取り付け方が第一ボタンをとめる時と異なる事に 注意。
野戦服のカラー(クラーゲンビンデ)

野戦服にはクラーゲンビンデを付けるためのボタンが、5ケ付けられている。
カラーは他に初期に使われていたハルスビンデというタイプもあったが、SSでは結構後ま で使用していた。写真は服に付けられているクラーゲンビンデ取り付け用のボタンとクラーゲンビンデ。このカラーは野戦服の第一ボタンを留める時と開襟で着 用する場合で取り付け方が別に規定されていた。ハルスビンデとクラーゲンビンデに関してはこのコンテンツで説明して います。

第一ボタンをとめる時のクラーゲンビンデ

第一ボタンを留めて着用する時は、写真の様にクラーゲンビンデ自体に付いているボ タンを留めて、襟巻きの様な状態にして着用する。 
下襟の裏側に黒いボタンが付いているが、これがクラーゲンビンデを装着する為のボタン で、開襟着用の時にのみ使用する。 クラーゲンビンデにも、そのためのボタンホールが付けられているのに注意。

開襟着用時のクラーゲンビンデ

第一ボタンを外して開襟着用する時のクラーゲンビンデは5ケのボタン全てで装着す る。 
これは、左襟のみ上の写真で説明したボタンを留めて、開襟着用の状態にした写真だが、ク ラーゲンビンデが開襟の縁に添って付けられているのが解るだろうか?。 
クラーゲンビンデはいわゆる脱着式布製カラーで、洗濯には適さないウール製野戦服の襟を 保護する目的がある訳だが、戦時中の写真等では明らかにカラーを付けていない兵士も多くいたようである。

   
この服の徽章
   
襟章
 
いわゆるBEVOタイプと言われている物で、通常の刺繍タイプの物が黒のウール台布に刺 繍されているのに対し、これは台布もレーヨンで織られているのが特徴。芯材も布が使われているので、柔らかく襟にフィットしている。襟章のSSは本来 LAHのみに使用が認められていたが、後にSSVTにも使用される様になり、最終的には多くの武装親衛隊に着用されたが、いわゆる一般SS:アルゲマイネ SSに使用される事は無かった。(管区を表す数字を使用)またSSVTの襟章には当初連隊番号が刺繍されていたが、1938年4月に採用され1940年5 月には廃止されている。
襟章
 
SSの襟章は、陸軍と異なり具体的な階級も表している。これはSS上等兵の物だが、SS 二等兵と一等兵はライン無し、ラインが2本になるとSS兵長となる。
下士官になるとシルバーのピプ(星章)が付けられ、襟にはトレッセも付けられていた。こ の襟章に付けられているシルバーのラインには真中に黒いラインが織り込まれていて、遠目には2本に見える様になっている。したがって兵長はこのラインが2 本、遠目には4本のラインが付けられている様に見える。
肩章
 
SS歩兵科兵卒用の1942年型肩章と、LAHのスリップオンタブ。SSの肩章も様々な バリエーションが存在するが、この1942年型の肩章は表が黒、裏はフィールドグレーのウールで作られており、タブの部分の裏地は黒のコットンが使われて いる。LAHの組み文字は初期においては肩章に直に刺繍されていたが、防諜上の理由で脱着式の物が採用された。
LAHのスリップオンタブ
 
スリップオンタブは画像の様に黒のウール地に白い糸でLAHの組み文字が刺繍してあり、 上下の切断面はジグザグミシンでまつってある。上でこのスリップオンタブは防諜上の理由で採用されたと書いたが、実際には袖のカフタイトルでも部隊を特定 できるので、脱着式にしてもあまり意味は無く、どちらかと言うと生産性の理由があった可能性があると思われる。事実末期においても多くの兵は、前線でこの スリップオンタブを誇らしげに着けている。
SS下士官・兵用国家鷲章
 
わりと初期(1936〜37年頃)から見られる刺繍タイプのII型のSS下士官・兵用国 家鷲章。SSの国家鷲章にも多くのバリエーションが存在するが、刺繍タイプの他にBEVOタイプも作られており、黒地にライトグレーの糸で作られた BEVOタイプは1939年より、黒地にイエロータンの糸で織った夏服用は1943年から生産された。また将校用には銀モールの手刺繍で作られた高級品 と、シルバーの糸で織られたBEVOタイプが作られていた。因みにI型は1935に登場し、1936年に採用になっている。
SS上等兵の階級袖章
(Dienstgradabzeichen : SS Sturmman)

この逆三角形の袖章がSS上等兵を表す階級章である。巾80mm、高さ70mm、の黒いウール生地で作られた逆三角形の台布に巾 9mmのアルミシルバーのトレッセ(リボン)を縫い付けた物。この袖章も、シルバーのトレッセは前線では目立ちすぎる為、1942年以降はイエロータンの トレッセを使用した物に変更されるが、台布は黒のままで、陸軍ほど迷彩効果は無い。SSでも2等兵から兵長迄は同じ肩章を使用するため、襟章とこの袖に付 ける階級章でも階級を識別するようになっていた。

カフタイトル
 
ドイツ軍では名誉ある部隊にカフタイトルの着用を認めていたが、SS部隊の多くは別に精 鋭部隊では無くても部隊特有のカフタイトルの着用が認められていた。これはLAHの下士官・兵用BEVOタイプのカフタイトルで、アドルフ・ヒトラー自身 のサインをモチーフに作られている。カフタイトルはRZMタイプ(刺繍タイプ)と、このBEVOタイプがあり、将校用にはシルバーの糸又は銀モールが使用 され作られていた。
   
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28.Oct.2000 公開
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