このページでは、武装親衛隊の37年型野戦服を紹介しま す。
   
はじめに
 
今回は、武装親衛隊の37年型野戦服(Feldbluse37)を紹介します。このコン テンツで使用した服は戦時中に改造されており、完全な37年型野戦服とは異なる点がありますが、当時この様な改造が行なわれていたと言う事も貴重な資料と 言えます。
兎に角世界的に残存数も少なく、この服を紹介できる事自体が幸運と言わざるを得ないアイ テムですが、本コンテンツを制作するにあたり、この貴重な服を取材させて下さった珍品堂の石村さんに感謝の意を表します。
    
 
武装親衛隊用37年型野戦服
 
SSと言うと一般的には1932年に採用になった、あの黒いユニフォームが有名であるが、戦闘部隊用の被服としては実用的では無かった 為、1935年に黒の制服と同じカットでアースグレーの新型ユニフォームがライプシュタンダルテとSS−VT(戦闘部隊)の兵士に支給された。1936年 には新たにアースブラウンの制服が強制収容所内で勤務するトーテンコップフの兵士用に採用されたが、翌1937年にはアースグレーとアースブラウンの物に 代わり、フィールドグレーの制服が採用された。この服の外観上の特徴は、第一ボタンが無い代わりに上襟の下に隠しボタンが付けられていて、開襟でも詰襟で も着用出来る様になっていた事と、腰ポケットが雨蓋のみ貼り付けの切り込みポケットになっていた事である。1939年に編制されたトーテンコプフと警察師 団には、このSS用37年型野戦服の不足から、大量の陸軍の野戦服が支給されている。
このプライベート写真は1940年頃のSSドイチュラント連隊の兵士の物だが、37年型野戦服を詰襟の状態で着用している。襟章が無い のはSS連隊番号の刺繍された襟章は防諜上の観点から外す様に指示されていた為で、後に連隊番号の付いていないSS用襟章が支給され付けられた。
 
 
輜重科SS二等兵の37年型野戦服

SSは党の要人ガード部隊が発展した経緯がある為、ドイツ国防軍とは別の被服生産・供給体制を持っていたが、今までの黒い制服や アースグレー・アースブラウンの制服を廃止した為、1938年にはLAHの訓練着として陸軍の36年型野戦服を導入する必要が生じる程度の生産体制しか 持っていなかった。
この37年型野戦服は戦闘部隊に優先的に支給されたが、LAHとSS-VT、後はトーテンコプフ師団と警察師団の一部に支給されたもの の、1939年の時点ではかなりの割合で旧式の制服や陸軍の野戦服が混在使用されていた。
SS長官ハインリヒ・ヒムラーはその様な状態を解消する為、より生産性の良いSS用40年型野戦服の導入を指示したが、強制収容所内な どに開設されたSS被服廠が本格始動するまでは、制服の混在は解消される事は無かった。
この服はLAH:ライプシュタンダルテSSアドルフ・ヒトラー所属の輜重科SSニ等兵の 野戦服で、肩章にはLAHの組み文字の刺繍が施されている。カフタイトルは付けられていた痕跡ははっきりと確認出来るが、残念ながら外されてしまってい る。
襟は本来服と共生地で作られていたが、グリーンカラーに交換され、第一ボタンのホールが 追加され、胸ポケットも改造されている。
 

 
輜重科SS二等兵の37年型野戦服

後ろから見た37年型野戦服。
これまでのSSの服とは異なりすっかり陸軍型野戦服と同じようなカットになっているのが興味深い。コットン製の夏服や作業着と異なり、 ウール製の野戦服はこの様に背中が1枚の布で作られている。そのため、前後と脇にプリーツが取ってあるのが解る。また、前面及び脇のダーツはその端部が貼 り付けポケットか、ポケットの雨蓋で隠れる位置に設けられていて、余計な処理を省ける様に工夫されている。
写真でウエストのあたりに縦に3ツ並んだ穴が見えるが、これはベルトフック金具を出す穴で、前後4カ所に設けられている。これは陸軍の 野戦服で導入されていた内蔵サスペンダーのシステムを導入したもので、本格的装備を装着する事を意識した結果であると思われる。SSの野戦服は1942年 以降、このベルトフックを出す穴が2コに変更されるが、実際に4ヶ所のベルトフック金具を付けるとかなりの装備を付けていてもウエストベルトを保持する事 が出来る。また、ベルトフック用のホールの脇にステッチが見えるが、これはこの服の内装に、ウエストを絞る為の機構が付けられている為の物である。なお、 襟の下に白っぽく見えているのは、襟の裏地でトレッセが付いている訳では無い。
 

 
37年型野戦服の内装

内装には内蔵サスペンダーというシステムが採用されており、ベルトフックに掛かる装備の重量を、肩でも支えられる構造になってい る。
裏地はコットン製で、腰ポケットや包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。
袖の中は裏地が無く、作りもかなりゆったりとしている。
裏地自体は陸軍の34・35年型野戦服よりは大きく付けられているが、36年型野戦服よりは背中の面積は小さく抑えられている。
この裏地の取り付け方は野戦服の年式で様々に変化するが、生産性と生地の節約のバランスに苦労している様子が垣間見られ極めて興味深 い。
 

 
37年型野戦服の内装
 
こうして見ると、この野戦服はSSの伝統的デザインと、陸軍型野戦服の機能性を合わせ持った物になっている事がわかるが、この様な拘り はこの服を最後にSS用40年型野戦服以降には見られなくなる。
この服の内装に付けられているウエスト絞りの紐は、陸軍の野戦服においても1934年頃から一時期採用されたが極稀な例外を除いて36 年型野戦服では省かれており、SS用の野戦服でも40年型野戦服以降姿を消す事になる。
またこの服は、胸ポケットの大きさを直す時に一回胸ポケットを外した為、付替えたポケットの糸が裏地を貫通していて内蔵サスペンダーを 通す事が出来ない様になっている。
 
   
この服の徽章
   
襟章と肩章
 
この服に付けられいる襟章は、いわゆる刺繍タイプと言われている物で、黒のウール台布に 白またはシルバーホワイトの糸で刺繍されている。肩章はダークグリーン地にLAHの刺繍が施された物で、非常にレアアイテムである。LAHの肩章は最初に 採用された1型が縁取り付きの角型肩章で、2番目に採用された物はラウンドタイプになったが、この2型では肩章の縁取りは黒と白のより紐が使われていた。 その後採用された3型は縁取りの無い角型肩章で、この服に付けられている肩章は4型と言う事になる。
襟章
 
襟章のSSは本来LAHのみに使用が認められていたが、後にSSVTにも使用される様に なり、最終的には多くの武装親衛隊に着用されたが、いわゆる一般SS:アルゲマイネSSに使用される事は無かった。(管区を表す数字を使用)またSSVT の襟章には当初連隊番号が刺繍されていたが、1938年4月に採用され1940年5月には廃止されている。SSの襟章は、陸軍と異なり具体的な階級も表し ている。これはSS二等兵の物だが、SS二等兵と一等兵はライン無しで、階級袖章で区別する。
脱着式肩章
 
この服では脱着式肩章が付けられる様になっており、両肩にはボタンとループで留める肩章が付けられている。実際には服と肩章はペアで出 た物では無いそうなので、この服にどの様な肩章が付けられていたかはわからないが、時期的には幾つかのバリエーションが考えられる。しかし、これらのバリ エーションはいずれも残存数が極めて少なく、入手は困難な物が多い。今回紹介するこの肩章も、海外の資料本ですらイラストのみで紹介されているケースが多 いレアアイテムである。
 
肩章
 
SS輜重兵科兵卒用の年型肩章。
SSの肩章も様々なバリエーションが存在するが、この様に初期の物は残存数も少なく、極 めて貴重な資料である。肩章の裏側にライヒスヴェーア時代の若干明るいグリーンの生地が使われているのも興味深い。既にこの肩章がLAHの陸軍型肩章とし ては4番目に採用になった物である事は紹介したが、それぞれの正式採用日時に関しては今のところわかっていない。
 
 
肩章
 
ただし、現存する写真や、肩章のベースの色がダークグリーンである事を考えると1939 年の陸軍型野戦服の大量導入に関係がある様に思われる。LAHの組み文字もバリエーションが存在し、これは1型・2型・4型で使用されている。3型では文 字が角張った小型の物が採用されたが、これが4型以降の肩章のスタンダードとなっている。この角型の文字に付いてはSS用40年型野戦服のコンテ ン ツに画像がアップしてあるので、そちらを参照されたい。
 
SS下士官・兵用国家鷲章
 
わりと初期(1936〜37年頃)から見られる刺繍タイプのII型のSS下士官・兵用国 家鷲章。SSの国家鷲章にも多くのバリエーションが存在するが、刺繍タイプの他にBEVOタイプも作られており、黒地にライトグレーの糸で作られた BEVOタイプは1939年より、黒地にイエロータンの糸で織った夏服用は1943年から生産された。また将校用には銀モールの手刺繍で作られた高級品 と、シルバーの糸で織られたBEVOタイプが作られていた。因みにI型は1935に登場し、1936年に採用になっている。
カフタイトル
 
ドイツ軍では名誉ある部隊にカフタイトルの着用を認めていたが、SS部隊の多くは別に精 鋭部隊では無くても部隊特有のカフタイトルの着用が認められていた。これはLAHの下士官・兵用RZMタイプのカフタイトルで、アドルフ・ヒトラー自身の サインをモチーフに作られている。写真のカフタイトルは服から剥がされた物で裏側の日焼けしていない面と表側の色がかなり異なっている。
従軍記章
 
このリボンは、ズテーテンラント従軍記章で、1938年に行なわれたチェコスロバキアのズテーテンラントを併合した作戦に従軍した将兵 に与えられた物である。当初はズテーテンラント進駐作戦に参加した者に授与されたこのメダルは、後にボヘミアやモラビア併合に関わった者にも授与されたの で、ズテーテンラント進駐に参加した者には、プラハ城のバーが追加された。野戦服の場合はこの様に、左胸ポケットの上にリボンバーにして付ける事になって いた。
国家スポーツ章
 
これは、1937年9月1日に制定されたII型の国家スポ−ツ章(体力検定章)で、5つ にグループ別けされた競技に規定以上の成績を修めると授与された。当時SSに志願した者は、準備期間中に出来る限りこのメダルを取得する様指導されてい た。
因みにI型にはハーケンクロイツは付いていない。
詳しくは国家スポーツ章のコンテンツを 参照されたい。
     
 続 き を 見 る
   
   
ホームに戻る
資料 館トップへ

本サイトに掲載されている文章及び画像の 無断転載はお断りします。Copyright  2001  STEINER

14.Feb.2001 公開
inserted by FC2 system