このページでは、SSの陸軍型36年型野戦服改造の外出 着を紹介します。
   
はじめに
 
今回は、陸軍型の36年型野戦服(Feldbluse36)を改造して作られた、SS- Hauptscharfuehrer :SS高級小隊指揮官 (SS上級曹長)の外出着を紹介する。外出着は本来であれば”Ausgehanzug”と”野戦装備:Feldanzug”とは区別されるべきであるが、 本コンテンツでは敢えてSSが使用した、陸軍型の36年型野戦服のバリエーションとして紹介する事とした。
本コンテンツを制作するにあたり、貴重なコレクションを取材させて下さったPucki氏 に、この場であらためて感謝の意を表します。
   

 
 Pucki 氏コレクション
SS騎兵科上級曹長の36年型野戦服

この外出着は、陸軍型の36年型野戦服を改造して作られているので、基本的な36年型野戦服に付いては解説を省く事とする。
外出着は貸与品の野戦服と異なり、私費購入する被服である為、余裕のある者は様々な改造を施すケースがある。この服の場合も、かなり大 きめのサイズの服の各部を個人的に詰めて改造しているので、元のサイズ表示スタンプは実際の服のサイズを表していない。
 
また、この服はカフタイトルが付けられていないものの、SS-Totenkopfのメンバーが着用した、髑髏の刺繍の襟章が付けられて いる事と、古参である事を示すアルテケンプファー章や、専門職徽章が付けられている事が興味深い。

襟のホックを留めた状態

この服は、基本的に第一ボタンを留めて着用する事になっていた為、下襟には「シツケ」は施されていない。ただし、この服は外出着として使われていた為、開襟でネクタイを着用して着られるケースもあったと思われる。

この服の徽章類
 
この服の徽章類で、最も目を引くのは、やはり襟の髑髏章であろう。これは、収容所の警護部隊から発展したSS-Totenkopfのメ ンバーが着用した襟章である。一般的には髑髏が左向きだと収容所の警護部隊、右向きは武装SSが使用していたと言われている。したがって、この服は武装 SSであったSSトーテンコップフ師団所属の、騎兵科上級曹長の服であると思われる。
襟章
 
いわゆる刺繍タイプの髑髏の襟章である。
髑髏が襟章に使用され始めたのは1936年3月31日からである。当初は開襟服用に、襟 章を立てた状態で正常に見える向きで髑髏が刺繍されており、将校は所属大隊番号を、下士官・兵用には中隊番号も刺繍されていた。1940年5月からは、部 隊番号は廃止され、詰襟服用に髑髏を90度回転させた、画像の様な襟章が作られる様になった。また、前述の様に髑髏には右向きと左向きのタイプがあり、年 代によっては髑髏が向き合う様に左右の襟に付けている着用例もある。
襟章
 
SSの左襟に付ける襟章は、陸軍と異なり具体的な階級も表している。
これはSS高級小隊指揮官 (SS上級曹長)の物だが、下士官になるとこの様にシルバーのピプ(星章)が付けられ、襟にはトレッセも付けられていた。
この襟章に付けられているシルバーのラインには真中に黒いラインが織り込まれていて、遠 目には2本に見える様になっている。
SS下士官用肩章
 
SS騎兵科上級曹長用の1942年型肩章。
SSの肩章は、陸軍同様に兵科と階級を表しており、外周のパイピングが兵科を、縁のト レッセが下士官を、そしてピプの数が階級を表すシステムになっている。
SS下士官用肩章
 
SSの肩章も様々なバリエーションが存在するが、この1942年型の肩章は表が黒、裏は フィールドグレーのウールで作られており、タブの部分の裏地はカーキ色のコットン生地が使われている。
SS下士官・兵用国家鷲章

わりと初期(1936〜37年頃)から見られる刺繍タイプのII型のSS下士官・ 兵用国家鷲章。
SSの国家鷲章にも多くのバリエーションが存在するが、刺繍タイプの他にBEVOタイプ も作られており、黒地にライトグレーの糸で作られたBEVOタイプは1939年より、黒地にイエロータンの糸で織った夏服用は1943年から生産された。

 
古参闘士栄誉章
(Ehrenwinkel fuer Altekaempfer)
 
1934年2月に制定された名誉袖章で、1933年1月30日にナチ党が政権を摂る以前にナチ党、もしくはSSを含む党組織に加入して いた者が着用する事が出来た。この着用資格は1935年7月には改訂され、SS入隊前に国防軍か警察に在籍していた者にも拡大された。この右腕に付ける袖 章には、SS用の黒地の物の他に、警察用のフィールドグレー地の物、夏季被服用の白地の物も作られていた。
 
装備管理資格者章
(Schirrmeister)

この徽章は、国防軍やSSにあった、様々な”専門職徽章:Laufbahn und Sonderdienstell-Ungen abzeichn”の一つで、装備管理係の資格を示している。
これら円形の資格者章は、1934年に導入された物で、制服・礼服・オーバーコートに着用された。野戦服の場合には右袖の袖口から 11cm上に付ける事とされ、1939年からは3mmのアルミモールで縁取りされた、下士官用の資格者章も制定されていた。また、この徽章には文字やマー クの下に、トレッセを付けたタイプがあるが、それは主任候補者である事を示している。

装蹄資格者章(SS型)
(Hufbeschlagpersonal)
 
この菱形の徽章はSSタイプの専門職徽章で、左袖のカフタイトルから3,5cm上と規定されていた。
 
この画像は装蹄(馬のヒヅメに蹄鉄を装着する)資格者用の物。
戦功章等
 
左胸ポケットには中央上に、一級鉄十字章、左下に戦傷章(黒章)、右下には馬術 徴章が付けられている。
ディティール
 
この服の襟の裏地はコットン製である。
 
また、この服の上襟と服の接合部を見ると、上襟の前合わせ部がSSの襟章に合わせて改造してあるのがわかる。
ディティール
 
上襟の改造は、こうして見るとかなり強引なものに見える。また、通常の官給野戦服の上襟の付け根に補強の為に施されている”力糸”は、 この改造の為失われている。
ディティール
 
肩章取り付け部のループ。
肩章は差込み式では無く、脱着式のままである。
ディティール
 
胸ポケットを縫い付けてあるステッチが、本来は裏地で見えないはずなのに、裏地を貫通して見える事から、胸ポケットを付け替えた事がわ かる。
 
この改造で、内装サスペンダーを通すスリットは塞がれている。
ディティール
 
包帯ポケットを見ると、この服は着丈が5cm位切り詰められている事がわかる。
 
胸囲等は詰められていないので、かなりがっしりとした体型の持ち主だったと思われる。
ディティール
 
この服は、元が官給野戦服なので、右前身ごろの裏側にサイズスタンプ等が押されている。
一番上にはメーカースタンプが押されているが、残念ながら判読不能。その下の45・44・102・74・67がサイズスタンプで、襟か ら腰 ・ 首廻り ・ 胸囲 ・薗・・・袖丈を表している。
H 39が、ハノーファーの被服廠と1939年製である事を示している。ハノーファーには陸軍の騎兵学校があった事も関連がありそうで興味深い。
  
 
SSの騎兵について
 
ヴァイマール共和国時代のドイツは、ベルサイユ条約によって陸軍の兵力を10万人、軍用機、戦車、毒ガス兵器、大口径砲、潜水艦、1万 トン以上の軍艦等の保有を禁じられていた。これは再び大きな戦争を起す事を不可能にしているのみでなく、国防と言う観点でも大いなる不満を内在させる結果 となった。 この様な状況下、ドイツは将来の軍拡に備えて、様々な民間組織を装った準軍事組織を作りだし、警察にも多くの人員を備蓄した。第一次世界大戦で活躍した騎 兵に関しても、10万の定員に含めず温存する工夫がなされ、スポーツ組織の仮面を被った組織等が作られた。その中でも最大の組織はSA(突撃隊)の騎馬部 隊で、これは元貴族、乗馬学校、酪農家などの民間人がSAの管区毎にSA騎兵連隊を組織し、自前の装具と馬で騎兵の訓練を行っていた。 これらの組織は、元々騎兵は貴族の出身者が多かった事や、装具や馬までも自前で調達する必要があった事から、貴族的な風潮の強い組織であったと言われてい る。
一方、SSの騎兵はSS歩兵連隊同様に小規模部隊から始まり、当初はSS管区毎に五ヶ所に設置され、SSの勢力拡大と共に22個連隊ま で増強された。ミュンヘンにはSSの中央騎兵学校も設置されたが、SA同様当初は自前の馬を持っている必要があった為、構成員の出身階層は通常のSS歩兵 連隊より高かった。標準的なアルゲマイネSSの騎兵連隊は5〜8個中隊(Reitersturme)から構成され、騎兵衛生小隊 (Sanitdtsreiter- staffel)とトランペット隊(Trompeterkorps)が、その編成に含まれていた。 連隊は主に帝政期の騎兵連隊跡地の立派な設備をそのまま受け継いだ為、通常はSS小管区(Abschnitte)の中心都市には置かれず、周辺の小都市に 設置される事が多かった。戦前の騎兵の任務は主にパレード等の儀式が多くかったが、戦闘訓練も施され、アルゲマイネSS本来の警察活動に就いていた。
開戦後、これらの騎兵連隊の多くは、陸軍の騎兵連隊に編入される事となったが、一部は新たに編成された”SS髑髏部隊: Totenkopfreiterstandarten”の編成に組み込まれた。このSS髑髏部隊は収容所警護部隊が発展して編成された戦闘部隊であるが、 1938年8月17日以降は収容所警護部隊とは完全に無関係の軍事組織とされた。SSトーテンコップフ師団は、1939年のポーランド戦から前線に投入さ れたが、開戦当初の野戦部隊としてのトーテンコップフ連隊で、騎兵を含んでいたのは第5トーテンコップフ連隊のみで、1940年に編成された2個SS騎兵 連隊、第一髑髏騎兵連隊と第二髑髏騎兵連隊は、主に13個のトーテンコップフ歩兵連隊と共に、占領地の警察任務に就かされていた。1941年には第5トー テンコップフ連隊の解体に伴い、2個の髑髏騎兵部隊が再編されて武装SS騎兵旅団とされ、更に1942年5月には”SS騎兵師団:SS- Kavallerie-Division”に昇格した。しかし、騎兵師団として編成されたこの部隊も、既に機械化が進んでいる部隊間の戦闘には時代遅れの 物となっていたため、主な任務は以前と同じく後方地域での対パルチザン戦等であった。この師団は1944年3月12日に師団名称を授与され”第8SS騎兵 師団:Florian Geyer”となった。フローリアン・ガイヤー師団は1944年のハンガリー、ブタペストの防衛戦でほぼ全滅し、残余のSS騎兵は”ルッツォー師団”に編 入された。
 
  
  
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28.Oct.2002 公開
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