今回は、陸軍の43年型夏季野戦服(Drilchanzug 43)を紹介する。ウール製野戦服と同型の夏季用野戦服は1941年頃に登場し、ウール製の野戦服同様42年にはポケットのプリーツが省略され、43年に はポケットの雨蓋のカットが直線的に変更された。 本コンテンツを制作するにあたり、貴重なコレクションを取材させて下さったPucki氏 に、この場で改めて感謝の意を表します。 |
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43年型夏季用野戦服 1939年の開戦当初、ドイツ陸軍の夏季用野戦服は、正規の物が無かった。(しばしば作業服等が代用品として使われていた。)
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43年型夏季用野戦服 後ろから見た43年型夏季用野戦服。コットン製の作業着同様、背中はセンターでづがれた2枚接ぎとなっている。 |
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内装は補強の必要な部分のみと最低限に抑えられており、かなり簡略化されている。 |
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この服は、基本的に開襟着用する事になっていたが、画像の様に第一ボタンを留めることも出来た。 |
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ウール製野戦服同様、右胸ポケットの上方には国家鷲章が付けられている。 |
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この服には、フィールドグレー地にライトグレーのBEVOタイプの国家鷲章が付けられている。 |
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夏季用野戦服と言っても、特別な襟章や肩章が作られた訳では無く、通常の襟章及び肩章が付けられていた。 |
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この襟章は、1938年11月26日付通達で採用になった各兵科共通の襟章(Einheitslitze)で、ラインがダークグ
リーンになっているのは、襟自体がダークグリーンの服に付ける事を意識した物である。 |
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この肩章は、陸軍の装甲擲弾兵の脱着式末期型兵用肩章である。 |
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末期型肩章は、この様に裏地も簡略化され、補強テープが縫い付けられたのみとなっている。 |
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この服の襟の裏地には服本体と同じ、リードグリーンのヘリンボーンコットン生地が使われている。 |
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ポケットの雨蓋の裏側には、服の内装同様ペルロンの裏地が付けられている。 |
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前述の様に、夏季用野戦服のベルトフック金具用ホールは、両脇に設けらられている。 |
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ホールはウール製野戦服同様に、縦に3個並んだ形で作られている。 |
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裏から見たベルトフック金具用ホールと、ベルトフック金具取り付けベルト。 ベルトフック金具についての詳細に興味のある方は、「陸軍の36年型野戦服」の コンテンツを参照されたい。 |
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腰の貼り付けポケットの上端部には、最も力がかかるので、裏側には画像の様に補強布としての裏地が付けられている。 左側の裏地は、ベルトフック金具用ホール部や、脇の縫い合わせ部の補強も兼ねている。 |
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コットン製被服の多くは、背中が2枚接ぎで作られている。 |
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これは、前線での応急処置用のファーストエイド(包帯)を入れる為に付けられたポケットである。 |
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袖口には2ケのボタンが付けられていて、袖口を止める様に作られている。 |
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コットン製被服の多くは、洗濯の便のため、ボタンが脱着式となっている。 この服もボタンはS環と呼ばれる金具で固定されており、簡単に脱着することが出来る。 |
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これはボタンを留めている”S環”を裏側から写した画像である。 |
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左は1943年末頃から作られたと言われる、末期型ボタンで、S環を包んだ様な構造になっている。 右はボタンを付けるS環金具。 コットン製被服や、SSの初期型略帽等に使われている。 |
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この服では、左前身ごろの裏側にサイズスタンプが押されている。通常サイズスタンプは3行で、上段は襟から腰、首廻り、中段は胸囲、下 段には着丈と袖丈がスタンプされているが、画像のスタンプは配置が異なる様である。 96は胸囲、43は襟から腰までの寸法と思われるが、他はハッキリと判読出来ない。 更にその下に、地名の略号と製造年がスタンプされているが、やはり判読不能である。 |
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