このページでは、ドイツ陸軍の将官服を紹介します。
   
はじめに
 
今回は、ドイツ軍の軍装品専門店”クラウゼ”の協力で取材した、陸軍大将の将官服を紹介 する。
将官クラスの被服は基本的にオーダーメイドの為、着用者の好みで作りは様々である事が特 徴の一つである。また、一般の兵士よりは圧倒的に人数が少ないものの、貴族等の裕福な家系の出身者が多い事もあって、比較的良いコンディションで保存され ている事も多い。また本人が死去した際にはNS時代の物である為、この様に市場に出てくる場合もあるのである。
本コンテンツで紹介する服にはネームタグが残っていて、そこから当時の着用者を特定する 事が出来た。こう言った事が出来るのも将官クラスならではの事で、通常入手出来る兵卒の野戦服とは異なる楽しみ方が出来ると言えよう。このコンテンツを製 作するにあたり、この様な素晴らしいアイテムを取材させて下さった”クラウゼ”のオーナー山下氏と、ベティヒャー陸軍大将の特定及び略歴を御教示下さった北村氏に感謝の意を表します。
   
ベティヒャー陸軍大将の将官服
 
1942年6月より陸軍総司令部の予備司令官を務めたベティヒャー陸軍大 将(1942年6月の時点では中将)の服。
この文句の付け様の無い将官服にあまり余計なキャプションは不要かもしれないが、胸の内ポケットの中に縫付けてあるネームタグから持ち 主や服を新調した日付が判読出来、更に北村氏の協力で本人の特定と略歴を知る事が出来た。
それらの情報と服から得られた情報にピッタリ一致する点も発見出来たので、そう言った事にも触れながらディティールも紹介してみたいと 思う。
この服が作られたのは1942年5月15日、丁度ベティヒャー中将が陸軍総司令部の予備 司令官に赴任する半月前の事で、それまで在メキシコおよびワシントンで武官を務めていた同中将が帰国後に注文した物であると思われる。また、この服には襟 の裏に騎士十字章や戦功騎士十字章などを吊るす場合に良く付けられるホックも付けられており、同中将が1942年5月27日に剣付戦功騎士十字章銀章 (1940年8月19日制定)を授与されているのにも符合している。
この戦功騎士十字章の受章は騎士十字章より難しく、実際に授与された数も少なく、剣付戦 功騎士十字章銀章は118個しか授与されていない。
ベティヒャー陸軍大将の将官服

後ろから見たベティヒャー陸軍大将の将官服。
将校用のオーダー服は一般的に野戦服とは異なり、背中も体にフィットする様に裁断されており、ベルトフック金具などを付ける為の仕掛け も無くすっきりしている。この服は写真の様に前身ごろの中央が長めに作られていて、この様に平らな場所に置くと前身ごろの裏側が見えているが、これは大将 のお腹がかなり前方に出ていた事を示している物と思われる。
ここでベティヒャー陸軍大将の略歴を紹介すると
第二次大戦中は、在メキシコおよびワシントンで武官、1942年6月以降は陸軍総司令部 の予備司令官、次いで国防軍総司令部付を歴任している。
大将は「剣付戦功騎士十字章」(1942年5月27日受章)の他に、1918年に Ritterkreuz d. kgl. Hausordens v. Hohen-
zollern mit Schwertern と Ritterkreuz d. klg. saechs. St. Heinrich-Ordens も授与されている。
1881年10月14日、Berthelsdorf bei Herrnhut /
Kreis Bunzlau 生。
1967年9月28日、Bielefeld 没。

ベティヒャー陸軍大将の将官服
 
写真左はこの服の内装を撮影したものであるが、この服には内ポケットがありその中にネームタグが残っており、そこにテーラー名と発注者 の名前、日付が記入されている。
オーダーメイドの服の為、野戦服に見られる様な無粋なサイズスタンプ等は一切無い。
外観上は襟の内側に脱着式のカラー、襟の直ぐ下にはテーラーを表すテーラータグと、ウエスト部分に内側でサイドを絞る隠しベルト、左腰 ポケットの内側に剣を吊るす時に使うスリットがあるのみである。余談ではあるが、国防軍時代の陸軍の制服はグリーンカラーが基本であり、40年以降の野戦 服は戦時の簡略型である。
したがって、オーダーメイドの将校服に関してはグリーンカラーがむしろ標準であり、グリーンカラーだからと言ってM36などと年式を付 けるのは間違いである。
   
各部のディティール
   
バストショット

細かく見れば見所が沢山ある服ではあるが、やはり胸から上に見所が集中している。
写真では判り難いが左右のポケットには勲章用のループもあり、左胸ポケットの上にはリボンバーを付けるループもある。現時点ではこれら のループに付けられていた勲章類の全貌はわかっていないが、こうした部分も写真や記録などから研究できるとより一層楽しい服である。

襟まわりのアップ
 
襟の内側には紙製(樹脂製もあり)の脱着式カラーが付けられている。
将校服のカラーには布製カラーもあったが、こちらはシャツの襟の形をしていて、服に付けるというよりは襟無しの丸首シャツを着た時に首 に巻くと言う感じの物であった。
どちらにしても頻繁に洗濯する事が出来ない服の襟を汚さぬ為の工夫であり、襟付きのシャツが一般的に支給され始めた1942年頃から は、この脱着式カラーを取り付ける為の金具を省略した将校服も多く作られている。それにしもシャープな作りの襟章や、高さを抑えたカラーのバランスが大変 格好の良い服である。
陸軍将官用国家鷲章
 
将官用の国家鷲章はダークグリーンベースに金色で、手刺繍で作られており、材質や作りも様々であった。金モール又はゴールデンイエロー のcelleon:(ツェロンと言う化繊)糸を使用し、ボール紙の芯を入れて作られていた。金モールは通常銅線等に金メッキを施したもので、経年変化で変 色する事もあり、変色しないツェロンを好む将官もいた。資料によってはツェロン製国家鷲章を末期型としている物もあるが、海軍等では当初からツェロン製の 物が作られていて一概に末期型とするのは疑問がある。
陸軍将官用国家鷲章
 
アップで見ると、羽の部分に芯に入れられたボール紙が見えている部分があるのがわかる。
金モールもコイル状の物や糸状の物等バリエーションがあり、部位毎に使い分けをしている凝った作りの物が多い。また、台布のグリーンも 様々で、殆ど黒に見えるようなダークグリーンから、ビリジャンの様な鮮やかなグリーン迄様々な生地が使われている。なお、現在では化繊は安いと言うイメー ジがあるが、当時は必ずしも価格的な問題では無く好みの方が優先されていた様だが、1943年以降は金属資源の節約と言う観点からツェロンの使用を推奨す る通達も出されている。
陸軍将官用襟章
 
ドイツ陸軍では佐官までは同一のデザインの襟章が制定されており、兵科将校の場合は襟章にも兵科を表す兵科色が入れられていたが、将官 では細かい兵科は徽章類に反映されないシステムであった。
通常は写真の様に赤の台布に金色のアラビアンアラベスク(唐草)模様が刺繍されたが、特別職種の将官は医療は紺色、警察は緑色、湾岸砲 兵は水色、行政は深緑色等の様に、その職種を表す台布が使用されていた。
基本的なデザインはプロイセンの伝統的な物であるが、1900年からは将官の襟章として採用されている。アラベスク模様は1939年頃 から金糸以外に黄色や黄褐色の糸で刺繍される事もあった。
陸軍将官用襟章
 
国防軍(ヴェーアマハト)になってからの陸軍では当初将官用の襟章のデザインは全階級同一であったが、1939年〜1940年の西方戦 役で勝利を納めた功績で、40年の7月19日にカイテル、クリューゲ、ブラウヒッチュ、ボック、ライヘナウ、リスト、ルントシュテット、レープ、ヴィッツ レーベン等が元帥に昇進した事で1941年4月3日に元帥用襟章のデザイン(唐草の葉が2組から3組に増やされた)が制定された。
襟章の刺繍に付いても将官の好みで発注された為、使用しているモールや形状も様々で、バリエーションは極めて多い。
陸軍大将用肩章
 
陸軍の将官用肩章は、襟章同様通常台布は赤いウールやフェルト生地が使われている。
この肩章は前述のツェロン製の組紐を使用した物で、ベティヒャー将軍が大将に昇進した時に新調した物である。ツェロンに関しては前述の 様に1943年に軍需相シュペアーから金属類の節約を目的として金属モールの使用を控え、ツェロンの使用を推奨する通達が出されているが、大将も立場上そ の通達に従った可能性がありそうだ。
陸軍大将用肩章
 
金色の将官用ボタンの梨地の雰囲気やツェロン製モール、更に高級なピプの質感を見て頂きたい。
ピプは尉官や佐官の物も1944年頃からはシルバーの物が使われる事があったが(通達が出されているが必ずしも守られていない)、将官 の肩章のピプは当初からシルバーであった。
ピプの様なパーツも様々なランクの物が用意されており、ジンク製の物にシルバーの塗装を施した物から、写真の物の様にシルバーのメッキ を施した高級品まで作られていた。
テーラータグ

この服に付いているテーラータグ。
FLENSBURG:フレンスブルク(北ドイツの都市で、デーニッツの海軍司令部があった)のP.Mitschke:ミシュケと言う テーラーの物で、背面の襟のすぐ下に付けられている。ベティヒャー陸軍大将(この服を誂えた時点では中将)とこのテーラーの関係に付いてはわからなかった が、このクラスの将官になると場所には関わらずお気に入りのテーラーの服を着ている事が多い。

内ポケット等
 
この将官服では左胸の内側に内ポケットが設けられている。次ページで紹介するが、この内ポケットにはネームタグが縫付けられており、こ の服を誂えたベティヒャー将軍の氏名と、この服を作ったテーラー名、服を購入した日付が記入されている。また、一般的に将校服は開襟着用を前提として作ら れていないので、ボタンが付けられている右の前身ごろの上端部は写真の様に合わせ部が下がった作りになっているケースが多いが、これは襟のホックを留めた 時に首の付け根がすっきりと見える様にとの配慮で、流石に仕立服だけあって細かい気遣いがなされている。
  
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22.May.2001 公開
24.May.2001 改訂
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