ここでは、陸軍の戦車搭乗服の展示をしてい ます。
   
はじめに

このページでは、襟に兵科色の縁取りが付けられている戦車搭乗服2号初期型を紹介 する。この縁取りは1939年の開戦と共に廃止されたが、装甲科のローズピンク、装甲通信科のレモンイエロー、装甲工兵科のブラックとホワイトの捩り、更 に装甲偵察科のゴールデンイエローの物等があった。
本コンテンツを制作するにあたり、貴重なコレクションを取材させて下さった青木氏と、戦 車搭乗服に関する貴重な情報を提供して下さった大林氏に、この場で改めて感謝の意を表します。

   
陸軍装甲科小尉戦車搭乗服2号
   
戦車搭乗服2号初期型
 
この服は、1936年に採用された戦車搭乗服2号の初期型に分類される。
製造は1937年で、ベルリンの被服廠のスタンプが押されている。
因みにこの時期の戦車搭乗服を含む官給野戦服類は、ベルリンの被服廠以外に、ケーニヒスベルク(Kとスタンプされている)、エアフルト (E)と、ミュンヘン(M)の被服廠を経て、各師団に供給されていた。
内装
 
前ページの戦車搭乗服2号後期型と殆ど同じ作りなので、詳細は省略する。
開襟状態
 
開襟着用状態の戦車搭乗服2号初期型。
 
これも後期型のページで記したが、2号からは1号搭乗服には無かった第一ボタンから第三ボタン、襟のホックが追加された。
この服の徽章類
 
この服には、ローズピンクの縁取りを施した少尉の差込み式肩章、戦車搭乗服用襟章、極初期型のBEVOタイプの国家鷲章が付けられてい る。
襟の裏地等
 
戦車搭乗服2号後期型のページでも紹介したが、襟の裏地には服と共生地の黒のウール地が使用されている。
ディティール
 
襟章取付けのミシンステッチと、髑髏章のツメに注意。戦車搭乗服1号では、襟章は多くの場合襟章の長い方の辺が襟に平行になる様に縫い 付けられていたが、2号では短い方の辺が平行に縫い付けられるケースが多くなった。
 
また、襟の裏地に施されたジグザグのステッチが襟章のあたりで止まっているのも、後期型との相違点の一つである。
国家鷲章
 
この服には、1935年11月11日付け通達で導入された、最初のBRVOタイプの陸軍下士官・兵用戦車搭乗服用国家鷲章が付けられて いる。 
この国家鷲章は全体的に細身のデザインが特徴で、36年まで生産された。 
袖口等
 
袖口の調節ボタンと前面のボタン。
 
袖口は、二段階に調節出来るようボタンが2ヶ付けられている。ボタンは黒のプラスチック製で直径は15mmである。
 
前面のボタンも黒の樹脂製で、直径は21mm。
製造年・サイズスタンプ
 
上からサイズ表示のスタンプで、で41 43 85 57 63 、順番に、襟から腰までの長さ・首廻り・胸囲・着丈・袖丈を表している。
 
下の”B.37”は、最初のBはベルリンを表しており、37は製造年が1937年である事を意味している。
  
陸軍装甲通信科少佐戦車搭乗服2号
  
戦車搭乗服2号初期型
 
この服も、1936年に採用された戦車搭乗服2号の初期型に分類される。
 
また、この服は装甲通信科用のレモンイエローの兵科色パイピングが襟の周りに施されている。
 
製造は1939年で、ミュンヘンの被服廠のスタンプが押されている。
 
戦車搭乗服の内装

この搭乗服の裏地はコットンで、左右に内ポケットが付けられている。右胸の内ポケットは上から、左の内ポケットは斜め上から使え るように取り付けられている。
左右の白いループ状の紐はウエストを絞る為の物だが、この様に紐がループ状になっているのは、ミュンヘンの被服廠管轄の被服工場で生産 された戦車搭乗服の特徴と言われている。

開襟状態
 
開襟着用状態の戦車搭乗服2号初期型。
この服の徽章類
 
この服は、装甲通信科の兵科色レモンイエローで縁取られた襟に、同じく兵科色で縁取られた襟章と、装甲通信科少佐の差込み式肩章が付け られている。
 
襟章の中央には、装甲科のシンボルとして使われた髑髏章が付けられている。
襟章と肩章
 
この服の肩章には、部隊番号を示す数字の金色の金属プレス製モノグラムが付けられている。
 
通信部隊は、各戦車師団に大隊単位で編成されているので、4は第4装甲通信大隊を表しており、陸軍第14装甲師団所属であった事がわか る。
 
階級から見て、おそらく通信大隊長クラスの戦車搭乗服と考えて良いだろう。
襟の裏地等
 
この戦車搭乗服2号も、襟の裏地には服と共生地の黒のウール地が使用されている。
 
余談ではあるが、戦車搭乗服は黒染めのウール生地を使用していたが、生地の混紡率が染め上りに影響する為、生地質を極端に悪くする事が 出来なかったと言われている。
ディティール
 
前述の様に、襟の裏地に施されたステッチが襟章のあたりで止められているのに注意。
 
また、髑髏章のツメの折り曲げ方も様々なのが興味深い。
背中の接ぎ合わせ部等
 
前述の様に、陸軍の戦車搭乗服の背中は2枚のウール生地を接ぎ合わせて作られている。
 
また、両側の肩甲骨の下あたりから裾に掛けて、写真の様なダーツが設けられている。
ウエスト絞り部等
 
写真中央の白い紐がループ状になっているのが、ウエスト絞りである。
 
それとクロスする形で、ベルトフック金具取り付け部が設けられている。
ディテール
 
前述の様に、ウエスト絞りの紐がループ状になっているのはミュンヘンの被服廠管轄のメーカー製の戦車搭乗服の特徴である。
 
また、ウエストベルトフック金具取り付け様のホールは6個、ベルトフック用スリットは通常の陸軍型野戦服同様に3箇所設けられている。
メーカースタンプとサイズスタンプ
 
上から、W.Kreuetze WuerzburgがヴュルツブルクのKreuetze社のスタンプ。
その下がサイズ表示で、45 43 92 63 57 、順番に、襟から腰までの長さ・首廻り・胸囲・着丈・袖丈を表している。
一番下の”M 39”がミュンヘンと1939年製を意味している。
  
第14装甲師団について
 
第4通信大隊が所属していた、第14装甲師団に付いて簡単に紹介しておく。第14装甲師団は、西方戦役終了後の1940年8月に、第4 装甲師団の第36戦車連隊、第4歩兵師団の兵員を中心に編成された。
初陣は1941年のバルカン戦で、その後6月から始まった東部戦線に南方軍集団揮下で参戦、キエフ戦やロストフ戦、1941〜42年の 冬期戦にも従軍し、1942〜43年のスターリングラード戦にも投入された。1943年4月にはフランスに移動し再編されたが、同10月には再び東部戦線 に送られている。その後、第二次キエフ戦等の激戦をくぐり抜け、1944年7月には後方で補充を受けた。8月に北方軍集団に移動し、クーアラントの防衛に 従事、1945年5月の終戦を東部戦線で迎えた。 
  
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13.Sep.2002 公開
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