このページでは、ドイツ陸軍の44年型野戦服を紹介します。
   
今回は、陸軍の44年型野戦服(Feldbluse44)を紹介しま す。
   
Feldbluse 44
   
44年型野戦服(Feldbluse44)

1939年に戦争が始まってから、1940以降毎年野戦服はマイナーチェンジさ れ、その都度生産性を重視した作りに変更され、また材質も悪くなったが、1944年にはとうとう44年型野戦服という各軍共通規格の野戦服が導入された。
44年型野戦服は、今までの野戦服の流れを踏襲した物ではなく、腰の張り付けポケットの 無いショートジャケットになっている。
これは、単に極度の原料不足が原因で、如何なる改良でも無いと考えられている。
しかし、規格帽同様に実際には全くの統一規格になった訳ではなく、様々な服が作られ使用された。
この服は、そんな中でも”最末期型”と言われている物の一つで、当初の44年型野戦服よりも更に簡略化された作りになっている。
写真は陸軍用の44年型国家鷲章と兵用の各兵科共通の襟章、更に装甲擲弾兵の肩章が付けられた物で、階級は二等兵である。

44年型野戦服(Feldbluse44)

これは後ろから見た写真だが、今までの野戦服より裁断を簡略化し、ダーツ等も省い た為、この様に平らなところに置いて撮影すると、かなりしわくちゃな感じがする。
また、使用されている生地も、フェルトグラウ44と言われる新しい色の物で、今までのフェルトグラウとはかなり趣が異なり、茶系が強い色になっている。
なお、この服はルントブントホーゼと言われる、戦車搭乗服のズボンの様な、ゆったりとした作りのズボンと一緒に支給されたが、こうして上着だけを後ろから 見ると徽章類が見えない為、もはやドイツ軍と言うイメージが全く無い。
良くこの服は英軍の軍服を真似た様に言われるが、前に書いた様にデザインや機能上の問題よりも、原料のウール生地の不足に対する解決方法の一つとして採用 された形であり、英軍型というのが果たして正しい解釈かどうかは疑問ではある。

簡略化された内装

通常の44年型野戦服には、腰のポケットが無くなった代わりに内ポケットが付けら れ、またベルトフック用のループも付けられていたが、この最末期の服にはそれらが付けられていない。
わずかにボタンホールと胸の部分に褐色のコットンの裏地が付けられているのみである。

あとでもう少し詳しく見る事にするが、何ともシンプルである。
また、44年型野戦服はショートジャケットにはなったが、正面のボタンの数は6ケのままである。ただし、SSではそれまでの野戦服同様に5ケボタンの物も 作られていた。

開襟状態

42年型野戦服のコンテンツで、開襟着用の事に付いて書いたが、この44年型野戦 服では上襟が下襟よりかなり大きく作られ、完全に開襟着用を意識した作りになっており、今までの野戦服の襟とは雰囲気が全く異なる物になっている。
なお、この写真では44年型野戦服の下に、マウスグレーのプルオーバーシャツを着た状態 にしてあるので、実際の着用時のお互いの襟の感じなどの参考にしてもらいたい。
第二ボタンのホールに二級鉄十字章のリボンが付けられているが、これについてはもう説明の必要も無いだろう。

省略された襟のホック

この44年型野戦服も写真の様に、第一ボタンをしめる事が出来るようにはなってい るが、今までの野戦服に付けられていた襟のホックは省略されいる。
この写真でも44年型野戦服の上襟が今までの野戦服より大きめなデザインになっている事が判るが、この位上襟が大きいと将校用の襟章でも楽に付ける事が出 来る。
また、何故か襟章の高さが陸軍より高い、SS用の44年型野戦服では上襟の裁断は以前の野戦服のままだった様である。

この服の徽章類

この44年型野戦服には、44年型国家鷲章が右胸に、襟には各兵科共通の兵用襟章 が、そして肩章も末期型の物が付けられている。
写真の襟章を良く見ると、左襟用の物が両方の襟に付けられているが、末期の服にこの様な例をたまに見かける。おそらくミスか、ペアの襟章がたまたま無かっ た可能性も考えられるが、どちらにしても末期ならではの特徴と思われる。
肩章に関しては、あとでまた詳しく見るが、ウール一枚の薄っぺらな感じも末期の肩章の特徴ではある。

44年型国家鷲章

このBevoタイプの国家鷲章は、今までの様に鷲の輪郭に添って形を整える必要が 無い様に作られた44年型国家鷲章と呼ばれる物で、写真の色の濃い部分から外を内側へ折り込み、逆三角形に折るだけで縫い付ける事が出来る様になってい る。

国家鷲章の比較

写真左が44年型野戦服、右が同じく陸軍の42年型野戦服。
こうして見ると、確かに国家鷲章の簡略化の理由がはっきり判る。
また、上襟の大きさの違いにも注意して欲しい。

装甲擲弾兵の肩章

戦争激化に伴い、一般の「歩兵」を戦意高揚の為「擲弾兵」と改称し、更に機械化さ れた歩兵を「装甲擲弾兵」と呼称した。
これはその装甲擲弾兵の兵科色アップルグリーンのパイピングを付けた末期型兵用肩章。
末期型肩章は写真の様に表のウールにパイピングとレーヨンの補強テープを縫い付けただけの極めて簡単な作りになっている。(写真下が肩章の裏側。)

この服のサイズ表示

この服のサイズ表示は左の45が首廻り、上の段の90が胸囲で42が襟から腰、下 の段の84が胴廻り?で64が袖丈であると思われる。(単位は全てセンチ)その下のWBは生産地の略号で44が生産年を示している。
また、この写真で右の方にポケットの縫い糸が見えるが、裏地のコットンを縫ってある糸と色が違うのが判るだろうか?。これは各工程で違うミシンを使ってい る為に起こる事で官給品の野戦服の大きな特徴の一つである。

内装及び裁断の特徴

写真の左の矢印の部分は、袖の取付部分だが、通常の野戦服ではこの部分にほつれ止 めの裏地が付けられている。
また、矢印右はポケットの雨蓋の取付部分だが、流石にここだけは裏地が無いと強度的に無 理があるため取り敢えず裏地を付けたのだろう。 本来は、44年型野戦服は 胸ポケットの裏側に内ポケットが付けられていたのだが、この最 末期の服には付けられていない。

内装及び裁断の特徴

写真上の方の矢印は、この服の少ないダーツの1つを撮った物で、この服の本体が実 際には1枚のウール生地から裁断されている事を示している。
野戦服は元々極力布を裁たずにダーツで立体的に仕上げてあるが、これは糸がほつれてもバ ラバラにはならない為と、生産性を向上させる為の設計だったと思われる。
下の矢印は、胴の部分の縫い合わせ部だが、白く見えているのは補強用の芯材である。

帽子等では良く見かけるが、服では大抵裏地があって見えない物なので、ある意味興味深 い。

簡略化された袖口

写真上はイタリア生地で作られた43年型野戦服の袖口。
下が今回の44年型野戦服の袖口だが、袖口を開くことも調整する事も出来ない作りになっ ている。
更に注意して見ると、今までの野戦服の袖はダブルロックミシンで縫われているのに対し(縫い目が2本並行している)この44年型野戦服の袖は通常のミシン で作られている。
ただし、この袖の作りに関しては、通常通りダブルロックミシンで作られている物もあるので、標準仕様と言う訳では無い。

襟の裏側

今までの野戦服の多くが、襟の裏地はウールより薄いコットン等の生地を使用し、襟 がもっこりする事の無い様に作られていたのに、この服では襟の裏地にもウールを使用している。
襟の縁は流石に裏地も内側に折り返して縫い込んであるが、服側に関しては切りっぱなしで縫い付けられている。これは内側に折り込む工程を略したと言うより は、裏地の厚みが厚い為の措置だろう。

    
   
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12.Jan.2000 公開
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