このページでは、ドイツ陸軍の42年型野戦服を紹介します。
   
今回は、陸軍の42年型野戦服(Feldbluse42)を紹介しま す。
    
陸軍歩兵科上等兵の42年型野戦服

1939年に本格的に戦争が始まり、軍隊を急激に増員する必要が発生した事と、迷彩効果向上の見地から野戦服のダークグリーンの 襟が廃止され、肩章も野戦服同様にフィールドグレーの生地で作られる様になった他、原材料のウールの不足を補う目的で、レーヨンの混紡率を上げた為に布地 の強度が落ち、陸軍の野戦服の場合ではボタンの間隔を狭くする必要が生じ、正面のボタンの数を5ケから6ケに変更する事になった。
そして1941年冬の東部戦線で大損害を被った後、更に野戦服の簡略化が進む事になる。
42年型野戦服の外観上の特徴としては、4ツの張り付けポケットにあったプリーツが省略された事だが、内装も簡略化されており、ベルトフック取付の為の内 蔵サスペンダーも布製のループ状の物を服の内側に縫い付ける様に変更された。
この服の第二ボタンに付けられているリボンは、東部戦線従軍徽章の略授で1941年の冬期戦を経験した事を示す物である。

陸軍歩兵科上等兵の42年型野戦服

後ろから見た42年型野戦服。コットン製の夏服や作業着と異なり、ウール製の野戦服はこの様に背中が1枚の布で作られている。そ のため、前後と脇にダーツが取ってあるのが解る。
また、前面及び脇のダーツはその端部が張り付けポケットで隠れる位置に設けられていて、余計な処理を省ける様に工夫されている。
写真でウエストのあたりに縦に3ツ並んだ穴が見えるが、これはベルトフック金具を出す穴で、前後4カ所に設けられている。実際に4ヶのベルトフック金具を 付けるとかなりの装備を付けていてもウエストベルトを保持する事が出来、歩いたくらいではウエストベルトが落ちる事は無い。
ベルトフック金具の取付に関しては後で詳しく紹介するが、装備はサスペンダーとこのフックでバランス良く装着出来る様になっている。

42年型野戦服の内装

内装も内蔵サスペンダーの廃止で以前の野戦服よりかなり簡略化されている。
裏地はコットン製で、ベルトフック取り付け用のループや包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。
袖の中は裏地が無く、作りもかなりゆったりとしている。防寒に関してはセーター等を下に着る事で調整し、基本的には動き安さを重要視したという事だろう。
これに付いては、裏地自体があくまで補強を必要とする最低限の部分にのみ付けられている事でも解る。

   
各部のディティール
   
開襟着用

この服は、基本的に開襟着用する事になっていた為、下襟にはかなりしっかりした「シツケ」がされている。
襟首の真ん中に糸が見えるが、これは本来脱着式の布製カラーを付ける為のボタンが付けてあった糸である。
写真では写っていないが、この服の場合紙をプレスして作ったボタンが付けられており、首廻りに付けられた合計5ケのボタンで布製カラーを付けるようになっ ている。
この脱着式布製カラーに関しては他のコンテンツで既に紹介したので今回は省略する。

襟のホックを留めた状態

第一ボタンを留め、襟のホックをかけた状態。この様に着用するか、開襟で着用するかは、各部隊の指揮官の指示に従う事になってい た。
この服で見る限り、当時付けられた第一ボタンの塗料が比較的残っている事、第三ボタン以下の塗料が結構剥げている事、(第二ボタンは付 け替えられている。)下襟の部分のウール生地の毛が他の場所より良く残っている事等から考え合わせて、開襟着用を主にしていた事が見て取れる。写真では判 りにくいが、この服はかなり良く着た服らしく、虫食いは殆ど無いが起毛したウールの毛が殆ど残っていない。

襟の裏地

この服の襟には夏用の野戦服や作業着に使われたリードグリーンのヘリンボーンコットン生地が使われている。
初期の服では襟の裏地もウール生地を使用した物が多いが、1941年以降の服では、この様にコットン生地を多用するようになったようだ。
これは、ウール生地の端切れは肩章等の材料に利用出来るため、極力省ける場所には使用しない様にした為と思われる。

脱着式肩章取付部

脱着式肩章を付ける為のボタンとループ。
肩章はこのボタンとループを使って取り付けられており、簡単に取り外しが出来る様になっていた。
しかし、陸軍の肩章は残存する物を見る限り、長さがかなり「まちまち」で何故かきちんとした規格が無かったような感じがする。この服にはかなり短いタイプ の肩章が付けられているが、元々この服と肩章がペアであったかどうかは定かでは無い。また服の裏側から見ると肩章取付用ボタンは付け替えられた形跡もあ る。

ちなみにこの服に付いている肩章は40年以降のSSの肩章に多く見られる長さ10cmのタイプである。

陸軍上等兵の袖章
(Dienstgradabzeichen ab1942 : Gefreiter)

この逆三角形の袖章が上等兵を表す階級章である。
巾80mm、高さ70mm、のフィールドグレーのウール生地で作られた逆三角形の台布に巾9mmのグレーのレーヨンで作られたトレッセ(リボン)を縫い付 けた物。
この袖章も、初期のダークグリーンの台地にシルバーのトレッセは前線では目立ちすぎる為、1942年以降使用されたフィールドグレー地にグレーのトレッセ を使用したタイプ。
陸軍では2等兵から伍長勤務上等兵迄、肩章が同じ物を使用するため、この袖に付ける階級章で階級を識別するようになっていた。

袖口

袖口には2ケのボタンが付けられていて、袖口を止める様に作られている。
この服では紙をプレスして作ったボタンが使われているが、1ケは取れてしまっている。
袖口はボタンの付いている側も大きくコットンの裏地が付けられていて、ボタンが取れにくくする工夫がされているが、写真でも判るようにウール生地は切りっ ぱなしである。(この様な造りが如何にも軍用品の趣がある。)
この袖口に付けてあるボタンはフィールドグレーの物だが、カラー取付用には白い紙製ボタンが付けられているのが面白い。

ベルトフック取り付け部及びサイズ表示スタンプ

M36等の初期型の野戦服では、内蔵サスペンダーと言う別のパーツでベルトフック金具を取り付ける様になっていたが、これは肩の 部分にサスペンダーを通す様に裏地を付けなくてはならない他に、前側にサスペンダーを留めるホックを付けるなどのかなり手の込んだ作りだった為、この服で はこの様に簡単な作りに変更されている。
写真では良く見えないかもしれないが、包帯ポケットの上方に、この服のサイズを表すサイズスタンプが押されている。

サイズスタンプは3行で5カ所のサイズをセンチで表した物で、上段から、44:襟から腰 ・ 45:首廻り ・ 中段には、104:胸囲 ・下段に、72:着丈 ・ 62:袖丈となっている。
更にその下に、地名の略号と製造年がスタンプされているが、残念ながら薄くなっていて判読出来ない。

包帯用ポケット

これは、前線での応急処置用のファーストエイド(包帯)を入れる為に付けられたポケットである。
包帯は、防水のパッケージ(ゴム引きの布で作った袋)に入れられていて、更に説明が詳しくプリントしてある紙につつんである。120度で殺菌した上に消毒 液をしみこませたガーゼと包帯がセットになっている。
これら包帯にも、大きさが異なる規格で作られた物がある他、年代・メーカーで数多くのバリエーションが存在する。いずれ包帯のコンテンツも考えているの で、詳しい事はその時に改めて紹介しようと思っている。

センターベント

ウールの野戦服は背中が一枚の布で作られている為、この部分は布を剥ぎ付けて作られている。
内側には裏地が付けられているが、ウールの生地自体は切りっぱなしの状態である。
また、背中の布も二重ステッチで縫い合わされているが、やはり生地自体は切りっぱなしになっており、まつり縫い等の処理は施されていない。

襟章の付け方

この服には各兵科共通(兵科色の無い)の襟章が付けられているが、襟章も初期の物とは異なり服に近いグレーのタイプになってい る。
襟章は実際にはテープ状につながった状態で作られた物を切り、赤線「a」.「b」のところで折り返し襟に縫い付けてある。
縫いつけ方は 工場等で多少異なるが、この服の場合は「a」の部分を縫い付けた後、もう一度全周を縫い付ける方法で付けられている。
服によっては「a」.「b」の部分を先に縫い、斜めの部分は縫わないで直線部のみ縫い付けた物もある。

   
   
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21.Aug.1999 公開
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