このページでは、ドイツ陸軍の41年型野戦服を紹介します。
   
はじめに
 
今回は、Puckiさんのコレクションの中から陸軍の41年型野戦服 (Feldbluse41)を紹介します。この41年型野戦服は無改造の物が非常に珍しく、完全な物となると陸軍の野戦服の中でも極めて入手が難しい部類 に入るアイテムである。
今回は極めて状態の良い野戦服を紹介する事が出来るが、この様に貴重なコレクションを快 く取材させて下さったPucki氏に改めて感謝の意を表します。
   
陸軍通信科兵長の41年型野戦服

ドイツはベルサイユ条約下で10万の軍隊しか持つ事を許されていなかった為、1935年に再軍備を宣言した時点で既に急増する軍 需物資に対応する為に、様々な物資の不足に悩まされていた。その中にはウール・綿・ゴムなどの品目も含まれており、それは戦争が始まると更に深刻化した。
1940年には戦時の軍装規定が導入されると同時に生産性を向上させる目的で40年型野戦服が導入されたが、1941年にはウールにレーヨンの混紡率を上 げざるを得なくなり、生地の強度の観点から従来5つだった前合わせのボタンを6つに変更した41年型野戦服が導入された。

この41年型野戦服は36年型野戦服の裁断を色濃く残した最後の野戦服で、42年以降の野戦服では内臓サスペンダーを含む内装やポケッ トなども簡略化されて行く事になる。
今回はPucki氏のコレクションの中から素晴らしいコンディションの41年型野戦服を紹介するが、41年型野戦服は各形式の野戦服の 中でも最も入手が難しい物の一つである。
この服は陸軍の通信科兵長の服であるが、第二ボタンのホールには東部戦線従軍記章のリボンが付けられている。

陸軍通信科兵長の41年型野戦服

後ろから見た41年型野戦服。
コットン製の夏服や作業着と異なり、ウール製の野戦服はこの様に背中が1枚の布で作られている。そのため、前後と脇にダーツが取ってあ る。
写真でウエストのあたりに縦に3ツ並んだ穴が見えるが、これはベルトフック金具を出す穴で、前後4カ所に設けられている。
この41年型野戦服までは、内蔵サスペンダーにベルトフックを装着する仕組みになっていて、ベルトに付けた装備の重さを肩で担ぐ様にい る。
実際に4ヶのベルトフック金具を付けるとかなりの装備を付けていてもウエストベルトを保持する事が出来、歩いたくらいではウエストベル トが落ちる事は無い。
ベルトフック金具の取付に関しては既に何回か紹介しているので今回は省略するが、装備はサスペンダーとこのフックでバランス良く装着出来る様になってい る。

 
41年型野戦服の内装

41年型野戦服の内装には内蔵サスペンダーというシステムが採用されており、ベルトフックに掛かる装備の重量を、肩でも支えられ る構造になっている。
このシステムは1933年以来の野戦服に継承されてきたものであるが、42年型野戦服では廃止簡略化される。
裏地はコットン製で、包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。

袖の中は裏地が無く、作りもかなりゆったりとしている。
裏地自体はあくまで補強を必要とする最低限の部分にのみ付けられていて、特にダーツ部分は糸が擦れてほつれる事が無い様に全て裏地で覆 われている。
この写真では襟の内側に取り外し式の布製カラー、クラーゲンビンデが付けられている。
 

   
各部のディティール
   
襟のホックを留めた状態

この服は、基本的に第一ボタンを留めて着用する事になっていた為、下襟には「シツケ」は施されていない。
ただし、全く開襟着用が禁止されていたと言う訳では無く、この様に着用するか開襟で着用するかは、各部隊の指揮官の指示に従う事になっ ていた。
40年型野戦服よりボタンの間隔が狭くなったので、第二ボタンが胸ポケットより上に付いているのに注意。

この服の徽章類
 
この41年型野戦服は1941年に製造された物で、当時の最も標準的な徽章類が付けられている。
1940年から41年頃に生産された野戦服では、ダークグリーン地の徽章類も在庫が使用される事があったが、この服では国家鷲章も襟章 もきちんと新型が付けられている。
ボタンの塗装もほぼ完璧に残っており、素晴らしいコンディションの服である。
陸軍兵用襟章(各兵科共通)
 
この服では、1940年末から生産された新型襟章が付けられているが、写真などでは1938年に採用されたライトグレーにダークグリー ンのラインの入った各兵科共通襟章:Einheitslitzeを付けた服も生産されていた事が確認されている。これは前述の様に新型の徽 章が採用された後にも、在庫の旧型徽章の使用が直ちに禁止された訳では無かった事を示している。襟章の兵科色に関しては、防諜上の理由と言うよりは生産性 と補給の問題が大きく影響していたらしく、中には旧式の兵科色の入った襟章を好む下士官等もいた様で、襟もダークグリーンの物に付け替え36年型に似せた 勤務服等に改造しているケースが多くある。
国家鷲章
 
この野戦服には1940年以降の標準的なBEVOタイプの下士官・兵用国家鷲章が付けられている。
この国家鷲章も野戦服の襟がダークグリーンからフィールドグレーに変更された事に伴い採用された物であるが、在庫はそのまま使用され続 けた為、40年型や41年型の野戦服にもダークグリーン地の国家鷲章が付けられている物がある。
第二ボタンのホールには東部戦線従軍記章のリボンが付けられているが、詳細に興味のある方は東部戦線従軍記章のコン テンツを参照されたい。
陸軍兵長の階級袖章
(Dienstgradabzeichen : Obergefreiter)

この逆三角形の袖章が兵長を表す階級章である。
巾80mm、高さ70mm、のダークグリーンのウール生地で作られた逆三角形の台布に巾9mmのホワイトシルバーの糸で作られたトレッ セ(リボン)を縫い付けた物。この袖章は、野戦服の襟がダークグリーンからフィールドグレーに変更になった時点ではフィールドグレーに変更されずにダーク グリーン地のままで生産され続けた。1942年以降にはフィールドグレー地にグレーのトレッセを使用した物に変更された。

陸軍通信科兵用肩章
 
1939年3月18日付け通達でそれまでの角型肩章の生産は禁止され、先端を丸くカットした肩章の使用が規定された。
ダークグリーン地の先端を丸くカットした肩章は1938年11月26日より導入されたが、1940年5月からは野戦服の襟がフィールド グレーに変更された事に伴い、肩章の地色もフィールドグレーに変更された。
この肩章はレモンイエローのレーヨンパイピングから、通信科である事がわかるが、規定通り部隊番号の刺繍は省略されているので所属部隊 はわからない。
襟の裏地等

この服では襟の裏地に服本体と共生地のウールが使用されている。
野戦服の襟の裏地に関しては、この様に服と共生地の物とコットンを使用した物があるが、年式により異なる訳では無いので、メーカーによ る格差、若しくはその時の布地の在庫状況によって選択されたものの様である。
ドイツでは戦前から既にウールやコットンが不足気味であった事は前述の通りで、戦争が始まると占領地からも大量の原材料や布地などを接 収若しくは買取しており、それらを使用した野戦服や装備も作られていた。

ダーツとベルトフック金具用ホール
 
前述の様にウール製野戦服の背中は一枚の布で作られているので、画像の様なダーツが入れられている。 また、ベルト フック用のホールは縦に3個並んでおり、これらは1943年型野戦服までは踏襲されていった。 ベルトフックは野戦服には重要なポイント であるが、その装着方法は42年型 野戦服より変更 されたが、外観上はフック金具取り付け部を縫い付けたステッチの有無くらいしか無い。

脱着式カラー等
 
この服にも脱着式布製カラー(クラーゲンビンデ)が付けられているが、これは生地を痛めずに洗濯する事が難しいウール製野戦服で、最も 汚れやすいカラー部を独立させる事で洗濯する事を可能にする工夫である。事実ウール製野戦服はむやみやたらに洗濯する事は禁止されており、 汚れは基本的に叩いて落とす事とされていた。カラーのディティールに関しては、既に40年型野戦服野戦服のカラー のコン テンツで詳しく紹介しているので興味のある方はそちらを参照されたい。
この服の内装
 
この服の内装は36年型野戦服からのデザインをそのまま踏襲しており、内臓サスペンダーを装着する事で、ウエストベルトとそれに付けた 装備を保持する様に作られている。
この写真でも内蔵サスペンダーを通す為のスリットや、ベルトフック金具を通す為のホール等が写っているが、詳細に興味のある方は36年型野戦服40年型野戦服のコンテ ンツを参照されたい。
また、この服でもサイズスタンプ、メーカースタンプ等は標準的位置に押されている。
サイズ表示スタンプ
 
この野戦服も包帯ポケットの上方に、この服のサイズを表すサイズスタンプが押されている。
一番上が軍装補給廠の所在地名の略号と製造年のスタンプ。
ベルリンの補給廠で1941年製造と言う事になる。
サイズスタンプは3行で5カ所のサイズをセンチで表した物で、上段から、39:襟から腰 ・ 41:首廻り ・ 中段には、88aF胸囲 ・下段に、67:着丈 ・ 56:袖丈となっている。
包帯用ポケットとメーカースタンプ

これは、前線での応急処置用のファーストエイド(包帯)を入れる為に付けられたポケットである。
この包帯用ポケット及び包帯に関しても詳細に興味のある方は36年型野戦服包帯と衛生用品のコンテン ツを参照されたい。
この服では、製造メーカーのスタンプが包帯用ポケットに押されているが、残念ながら判読出来ない。

40年型野戦服と41年型野戦服
 
最後に40年型野戦服と41年型野戦服を並べてみた。
基本的には前面のボタンの数が異なるだけである事がわかると思う。
また、両者共その年式の典型的なフィールドグレーのウール生地が使われている。
   
   
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15.Mar.2001 公開
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