このページでは、ドイツ陸軍の34年型野戦服を紹介します。
   
はじめに
 
今回は、Pucki氏のコレクションの中から陸軍の34年型野戦服 (Feldbluse34)を紹介する。
この34年型野戦服は現在までに国内で出版されている資料にはその存在すら殆ど紹介され ておらず、また状態の如何を問わず残存数も極めて少ない為陸軍の野戦服の中でも極めて入手が難しい部類に入るアイテムである。
今回は幸運にもこのレアな野戦服を紹介する事が出来るが、この様に貴重なコレクションを 快く取材させて下さったPucki氏に改めて感謝の意を表します。
   
 
歩兵科本部付上等兵の34年型野戦服

1918年に第一次世界大戦に敗れたドイツ帝国は、ヴァイマール共和国となり、ベルサイユ条約下で1921年より総数10万の軍 隊ライヒスヴェーア:ドイツ国軍を持つ事を許された。
1933年の総選挙の結果アドルフ・ヒトラーのNS党が政権政党となり、1935年にはベルサイユ条約を破棄、ライヒスヴェーアはヴェ アマハト:国防軍として生まれ変わった。 この新生ドイツ国防軍の陸軍は、1933年にライヒスヘーア(ヴァイマール時代の陸軍)に採用 されていた野戦服(1933年4月1日採 用、同5月4日導入)から34年型、35年型野戦服に、新型の国家鷲章を付けて初期の野戦服とした。
写真は陸軍の33年型野戦服の襟の色を、グリーンに変更した34年型野戦服である。この野戦服は、襟と肩章のグリーンが後の36年型野 戦服より明るい色で、着丈も長めである事と、極めて簡単な内装を持つ事が特徴であるが、外観上は36年型野戦服に似ている為、明確に区別されていない場合 が多い。
 
今回は、36年型野戦服に多大な影響を残した34年型野戦服を内外装を含めて紹介してみる事にした。
画像は陸軍歩兵科兵長の34年型野戦服であるが、左胸には国防軍になってから採用された国家鷲章が付けられている。
また、縫い糸が退色していてステッチが見やすくなっているが、36年型野戦服とは異なるステッチが多数ある。
 

 
歩兵科本部付上等兵の34年型野戦服

後ろから見た34年型野戦服。
コットン製の夏服や作業着と異なり、ウール製の野戦服はこの様に背中が1枚の布で作られている。そのため、前後と脇にダーツが取ってあ る。
写真でウエストのあたりに縦に3ツ並んだ穴が見えるが、これはベルトフック金具を出す穴で、前後4カ所に設けられている。
実際に4ヶのベルトフック金具を付けるとかなりの装備を付けていてもウエストベルトを保持する事が出来、歩いたくらいではウエストベル トが落ちる事は無い。
ベルトフック金具の取付に関しては既に何回か紹介しているので今回は省略するが、装備はサスペンダーとこのフックでバランス良く装着出 来る様になっている。前述の様に、後姿でも変わった位置にステッチが見えるが、これは内装を縫い付けた縫い糸で、この服の内装が細切れに取り付けられて為 である。
また、全体のバランスとしては36年型野戦服より若干着丈が長く作られているのがわかるだろうか?。
 

 
34年型野戦服の内装

34年型野戦服の内装には内蔵サスペンダーというシステムが採用されており、ベルトフックに掛かる装備の重量を、肩でも支えられ る構造になっている。
このシステムは1941年型までの野戦服に継承されるが、42年型野戦服では簡略化される。
裏地はコットン製で、包帯用ポケットも、同じコットン生地で作られている。
この服は内装と言っても、内蔵サスペンダーを付ける為の裏地とポケットのフラップやボタン・袖の取り付け部等にコットン製の裏地が付いている程度で、かな りコットン地を節約している印象の強い服である。

36年型野戦服と比べると、33年型を採用した時点の経済状態が決して良くなかった事がわかる様で興味深い。
 

   
各部のディティール
   
襟のホックを留めた状態

この服は、基本的に第一ボタンを留めて着用する事になっていた為、下襟には「シツケ」は施されていない。襟や肩章はかなり退色し ているが、服本体とは異なるグリーンのウール生地で作られている。  
前合わせ部を見るとボタンの取りつけ部を縫い付けたステッチの更に外側にもステッチが見えるが、これは内蔵サスペンダー用の裏地を縫い 付けたステッチである。

この服の徽章類等
 
この34年型野戦服は1934年に製造された物で、生産時にはこの国家鷲章は付けられていなかった。
また、胸ポケットの雨蓋の上にもステッチが見えるが、これは雨蓋の取り付け部を補強する目的で付けられた裏地を縫い付けている物で、注 意深く見ると雨蓋取り付け部の下にもステッチが見えている。
なお、この服の雨蓋はかなり斜めに角度を付けて取り付けられているが、当時の写真を見ても雨蓋が水平に付けられている物と、この様に斜めに付けられている 物が混在しており、これが通達によるものなのか、メーカーによる差異であるのかは確認出来ていない。
国家鷲章
 
この野戦服には1935年タイプの国家鷲章(Hoheitsabzeichen)が付けられている。1935年型と言ってもこの国家鷲 章は初期に作られた物で、ダークグリーン地にホワイトの糸で織られているが、後にダークグリーン地にライトグレーの糸で織られる様に変更されている。実際 にはこのタイプの国家鷲章が作られる前に(1934年)ライトグレー(ライトベージュ)地にオフホワイトの糸で織られた物も作られていたので、この服が作 られた時点で国家鷲章が付けられていたとすれば、そのタイプの国家鷲章が付けられていた可能性があるが、この国家鷲章がどの時点で付けられた物かはわから ない。
陸軍兵用襟章(各兵科共通)
 
この服では、1933年から生産された新型襟章が付けられているが、この後に採用になった兵科色入り襟章と異なり、周囲がダークグリー ンで囲まれており、台布に縫い付ける必要が無いのが特徴である。
一見1938年に採用された各兵科共通の襟章に似ている為に写真等では混同されている事もあるが、実際には全く作りも異なるのがこの画 像でわかると思う。この襟章も国内出版物では紹介された事が殆ど無かったのではないかと思われる。
陸軍歩兵科兵用肩章
 
ダークグリーン地の先端を丸くカットした肩章は1938年11月26日より導入されたが、この肩章はライヒスヘーア時代のグリーン生地 を使って作られており、1934年に採用された旧型の物である。
この画像で注意してもらいたいのは、肩章の右側に写っている四角いステッチで、これは内蔵サスペンダーを通す為の裏地の端部の始末で、 この服以降の野戦服同様内蔵サスペンダーを通す時の為に裏地が前後で別パーツになっている事を示している。
肩章と平行に見えるステッチは肩章取り付け部の補強の為の裏地を縫い付けているもので、この部分は裏地が二重構造になっている。
陸軍歩兵科兵用肩章
 
実は1921年から1934年までのライヒスヘーアの軍装に付いては資料も少なく、殆ど何もわからないと言っても良い様な状況で、いわ ゆる第三帝国期の軍装資料の多くは、その関連性は認めつつも明確な記述を避けているケースが多い。
1933年以降の軍装に付いて書かれた資料には、下士官・兵用肩章は角型肩章から始まった様に書かれており、画像の様な肩章の存在に付 いては全く触れられていない。 しかし1935年版のライベルトには角型肩章と、この先端が丸くカットされた兵科色の縁取りが付けられた 肩章が併記されている。ただし ライベルトの図版では連隊番号が記されている。
肩章と肩章取り付け部
 
肩章が脱着式になっているのは他の年式の野戦服と同じであるが、肩章の裏地がグリーンのコットン地のみと言う例は二次戦末期の簡略型肩 章並の粗末な作りで、一次戦の敗戦の影響を強く感じる。
肩章取り付け様の布製ループがスレートグレー(ズボン生地)である事も興味深い。
本部付上等兵の階級袖章
(Stabsgefreiter)

この逆三角形の袖章が本部付上等兵を表す階級章である。
ダークグリーンのウール生地で作られた逆三角形の台布にシルバーの糸で作られたトレッセ(リボン)が2本で兵長であるが、更に星型章が 付くと本部付上等兵を表している。 陸軍の襟章と肩章は兵の場合は全く同一の物を使用しているので、この様に階級袖章が左腕に付けられて いた。

襟の裏地等

この服では襟の裏地に織り目の詰った帆布の様なコットン生地が使用されている。
この時期の野戦服は残存数が少ない為、他に比較する事は難しいが、当時の写真を見る限り襟の作りが薄い物と厚い物があるので、34年型 野戦服でも襟の裏地にウール生地が使われていた物があったと思われる。

ステッチ等
 
34年型野戦服の大きな特徴は、前述の様にその内装と内装を縫い付けているステッチであるが、内蔵サスペンダーを入れる為の裏地のス テッチがはっきりわかる様、もう一枚画像をアップしておく。
次ページでは内装を紹介するが、この画像と合わせて見ると理解しやすいと思う。
  
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01.Apr.2001 公開
30.Jun.2001 改 訂
22.Mar.2002 改訂
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