はじめに 今回は2種類あった官給メガネ、”Dienst-Brille:軍務用メガネ”と”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”を当時の写真と共に紹介する。 これらのメガネは、数多くのメーカーで生産されていたと思われ、細かいディティールに至っては、そのバリエーションも多岐にわたる。 また、将校は当然のことながら、下士官・兵に関しても、私物のメガネの使用が認められていた。 余談ではあるが、”Dienst-Brille”の訳について少し書くと、”軍用眼鏡”との訳もあるが、現物が軍用として特化した作りになっている訳では無く、原文も”Militär-Brille”では無いので、個人的にこの訳はどうもしっくり来ない・・・ ”Dienst-Brille”の”Dienst”には、勤務とか職務と言った意味があり、”Dienstgrad”では”階級”となり、ドイツ軍の軍装関連の単語で見ると、”Dienstgradabzeichen”で階級徽章(袖章)、”Dienststellungsabzeichen” だと専門職章となる。 また、”Dienstrock”は勤務服と訳すのが一般的であるが、勤務メガネでは意味が分かりにくいので、本コンテンツでは軍務用メガネと訳す事とした。 本コンテンツを制作するにあたり、眼鏡処方箋のSütterlin:ドイツ語の筆記体や内容についてご教示頂いた、あるぺんいぇーがーさん、Dt.Soldatinさん、MOCHIさんに、この場であらためて感謝の意を表します。 |
”Dienst-Brille:軍務用メガネ”と”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ” | |
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眼鏡の機関銃手 1941年のバルバロッサ作戦時、MG34を肩に担いでいるこの機関銃手は、陸軍勤続章の他に既に一級鉄十字章と二級鉄十字章を授与されている。 写真左奥の兵もメガネを掛けているが、激しい動きをしても落ちにくい軍務用メガネは、視力の悪い兵にとっては無くてはならない物であったろう。 |
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官給メガネ、”Dienst-Brille:軍務用メガネ”と” Masken-Brille:ガスマスク用メガネ” 左が”Dienst-Brille:軍務用メガネ”で、右が”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”である。 軍務用メガネは、つるの部分に巻きつるを採用した、激しく動いても落ちにくいメガネである。 一方、ガスマスク用メガネは、つるの部分が装着紐(薄い布製のテープ状の物)になっていて、このメガネを着用した上からガスマスクを装着した際に、顔面とガスマスクの間に隙間が出来にくい様に作られたメガネである。 これらの官給メガネには、画像の様な鉄製の収納缶が用意されていて、野戦服のポケット等に入れて携行した。 収納缶にはレンズやフレームの修理・交換の際の便を考慮し、眼鏡処方箋が入れられている。 また、ガスマスク用メガネに関しては、予備の装着紐と装着紐の取り付け説明のカードも入れられている。 |
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上の画像は”Dienst-Brille:軍務用メガネ”と”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”を支給されていた兵のSoltbuch:給与支給帳の表紙の裏面と、もう一冊別の兵のSoltbuch:給与支給帳の表紙である。 Soltbuch:給与支給帳に関しては、あらためて別の機会に詳しく紹介する事とするが、表紙の国家鷲章の下”Soltbuch”の文字の下に”zugleich Personalausweis:及び身分証明書 ”とあり、これがいわゆる”兵隊手帳”であったことがわかる。 画像下:全24ページの10と11ページ目には、眼鏡に関する記載がある。 10ページの一行目、Tag der Brillenbestimmung:検眼日は記入されていないが、その下の行には記載がある。 1-2 Brillen*)の右に手書きで Dienst u. Masken-Brille *)Nichtzutreffendes durchstreichen:該当無き場合は線を引き消す とあり、この兵には軍務用メガネとガスマスク用メガネが支給されていた事が分かる。 |
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画像の様に、軍務用メガネもガスマスク用メガネも、同一規格で作られた鉄製の収納缶に入れて携行されていた。 いずれもライトグレーに塗装されており、蓋にプリントされた”Dienst-Brille:軍務用メガネ”と”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”の文字で識別された。 収納缶のサイズは、長さ130mm、幅47mm、厚み16mmで、文字がプリントされた蓋のみに、文字を保護する目的でクリア塗装が施されている。画像には、それぞれ実際に使用されていた物と、未使用品が写っているが、”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”のフォントが異なるのが興味深い。 |
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”Dienst-Brille:軍務用メガネ”の使用例 上の画像は、1941年の東部戦線で二級鉄十字章を授与された後に、一服している2人の歩兵科少尉。 左の少尉は”Dienst-Brille:軍務用メガネ”をかけている。 2名共、将校用襟章を付けた野戦服を着用しており、下士官・兵用のベルトを使用しているのが興味深い。 2級鉄十字章を授与された直後に撮影された写真で、2級鉄十字章の紙袋に入っているリボンをボタンホールに差し込んで、2級鉄十字章のメダルを佩用している。 |
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画像の上方に写っているのは、ライトグレーに塗装され、蓋に”Dienst-Brille:軍務用メガネ”とプリントされた、軍務用メガネ用収納缶。 収納缶の下方は、軍務用メガネと、眼鏡用処方箋である。 軍務用メガネは、二つのレンズフレームを繋ぐブリッジが、ノーズパッドの機能を兼ねた、クラッシックスタイルのメガネで、つるには”巻きつる(ケーブルテンプル)”が採用されている。 この”巻きつる”は、耳たぶを上からぐるりと巻きつくように作られた事に由来する名称で、元々は乗馬の際にメガネが落下しにくい様に開発された物である。 この軍務用メガネは比較的柔らかくて、しなやかな非鉄金属製で、メッキが施されている。 |
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画像上は収納缶蓋上面。 蓋には”Dienst-Brille:軍務用メガネ”の文字がプリントされている。 画像下は、収納缶本体と蓋の蝶番側を示す。 |
収納缶本体の底には、ブルーの不織布状の物が貼り付けられたボール紙が収められている。 このボール紙は、片側でリベット留めされており、画像の様に持ち上げる事が出来る。 |
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収納缶の蓋を開けた状態を示す。 収納缶本体の底には、眼鏡処方箋が入れられている。 眼鏡処方箋については後で詳しく紹介するが、メガネフレームやレンズが破損した際などに、改めて検査や測定をする事無く、新しいメガネフレームやレンズを調達するのに必要な情報が記載されている。 |
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収納缶の蓋を開けた状態を示す。 下の写真と見比べれば解るように、軍務用メガネは巻きつるを上に押し上げた状態で収納缶に収納される。 これによって、メガネは収納缶の中で固定されており、携行時等に収納缶の中で動きにくくなっている。 また、レンズ面は収納缶の底面に敷いてる、不織布加工を施したボール紙で保護されている。 |
この非鉄金属製の軍務用メガネのサイズは以下の通り。 巾(最大) : 120mm 巻きつるの長さ : 100mm レンズフレーム直径 : 41.2mm 重量 : 19g |
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収納缶から出した、軍務用メガネ。 近年クラッシクスタイルのメガネが流行し、コンディションの良いメガネは実用品として充分使用出来る事もあり、急激に市場に出回る数が減ってきている。 この軍務用メガネも、入っているレンズは度が低いので、伊達メガネとしても使用出来るレベルである。 |
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レンズフレームとブリッジ部のクローズアップ。 メガネを所有している方なら御存知の事と思われるが、メガネは着用者の顔に合わせて、ノーズパッドやつる等を微調整して使用する。 この軍務用メガネも、ノーズパッドの役割をしているブリッジと、レンズフレームとの取り合い部に、この微調整の痕跡がみられる。 具体的には、ブリッジとレンズフレームの接合部が、左目側は若干内側へ曲げられ、更にブリッジ自体の山の中心は、あきらかに右に偏芯している。 |
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これはレンズフレームと、巻きつる取り付け部のクローズアップである。 このメガネでは、取り付け基部は別パーツで作られ、レンズフレームにロウ付けされている。 巻きつるは、上下に分割された基部パーツにピンで固定されており、画像に見える-ネジを緩めると、レンズと巻きつるが外せる作りとなっている。 |
眼鏡処方箋 Name und Dienstgrad:氏名と階級 Berger Max, Fahrer:ベルガー・マックス 運転兵 Truppenteil:所属部隊 L.Artl, Ers.Abt 157 Mch.:第157軽砲兵訓練大隊整備部隊 Datum:日付 1940年2月3日 Maß der Brillenfassung : 眼鏡フレームサイズ 6642 P.D.:瞳孔間距離 66mm R -0.5:右 近視-0.5 L plan:左 度無し sphär.:いわゆる度数で、近視は-、遠視は+で表記 cyl.:乱視の度数 Achse,Tabo:乱視軸の角度 Farbe:色 裏面には、眼鏡マイスター、ドップの店とその住所がスタンプされている。 |
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画像は未使用の軍務用メガネと収納缶である。 未使用品故、フレームのみでレンズは入れられていないし、眼鏡処方箋も当然未記載である。 上で紹介した軍務用メガネは、非鉄金属性であったが、このメガネフレームは鉄製で、グレーの塗装が施されている。 他の装備に倣って考えれば、非鉄金属製よりも後のタイプと思われる。 また、この軍務用メガネには刻印等が一切無いが、ブリッジ部に、収納缶と同じシリアルナンバーを書いた紙製のタグが付けられている。 |
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この収納缶には、シリアルナンバーがスタンプされている。 最初の”D”は、”Dienst-Brille”の頭文字で、6262がシリアルナンバーである。 |
この鉄製塗装タイプの軍務用メガネのサイズは以下の通り。 巾(最大) : 113mm 巻きつるの長さ : 105mm レンズフレーム直径 : 39.2mm 重量 : 9g |
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レンズフレームと、巻きつる取り付けヒンジ部のクローズアップ。 レンズフレームは、この部位で分割されていて、ビスを締め付ける事でレンズを挟み込む構造となっている。 また画像でもわかるように、レンズフレームはレンズが外れにくい様に裏側に溝が切ってある。 そして、巻きつるはヒンジ部とピンでレンズフレームと一体成形された基部に取り付けられている。 |
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ケーブルテンプルとも呼ばれる、巻きつる部分のクローズアップ。 前述の様に、この巻きつるは元々乗馬用として開発されたもので、スプリング状のつるが、耳に巻き付くようになっており、激しく動いてもズレたり外れたりしにくい特徴がある。 |
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ディテール これはつるが、板状から丸棒に変わる部分のクローズアップ画像であるが、いわゆる巻きつるの部分は、一本の針金状では無く、コイル状になっている。 |
1941年の東部戦線で撮影されたこの写真、既にプルオーバーシャツのコンテンツで使用しているが、Soutache:兵科色山形付きの野戦帽を被った、この兵士がかけているメガネは、官給品の”Dienst-Brille:軍務用メガネ”だろう。 画像で見る限り、メッキ仕上げのメガネと思われる。 |
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兵営内のスナップに写っている兵士がかけているこのメガネは、官給品の”Dienst-Brille”と思われる。 この写真は、夜の自由時間に撮影された物で、他の兵達もラフなシャツやセーター姿である。 |
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”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ” | |
”Masken-Brille:ガスマスク用メガネ”の使用例 この写真は「一枚の写真から」でも紹介しているが、”Masken-Brille”は本来ガスマスク装着時に使用するメガネのため、この野戦電話で通話中の兵の様に、実際に使用している写真があまりない。 この兵は、”Dienst-Brille”を壊してしまい、修理中なのかもしれない。 |
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収納缶の蓋を開けた状態である。 Masken-Brille:ガスマスク用メガネは、ガスマスクを装着する際に使用するメガネで、前述の様につるが装着紐(薄い布製のテープ状の物)になっていて、ガスマスクを装着した際に、顔面とガスマスクの間に隙間が出来にくい様に作られたメガネである。 収納缶は、Dienst-Brille:軍務用メガネと同様、本体底部に、ブルーの不織布状の物が貼り付けられたボール紙が収められている。 |
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これは、Masken-Brille:ガスマスク用メガネの収納缶の蓋上面である。 Masken-Brilleのフォントには、バリエーションがあるが、年代による違いか、メーカーによるものなのかは不明。 |
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このガスマスク用メガネは、度付きレンズが入っていて、収納缶の中の眼鏡処方箋にも記載があり、元の使用者の氏名や所属部隊も判っている。 しかし、なによりも使用していた感が強いのは、装着紐が汗により変色している事だろう。 戦時中にガスマスクを頻繁に使用した訳では無かったと思われるが、上で紹介した写真の様に、ガスマスク装着時以外にも、ガスマスク用メガネは使われていたのだろう。 ただし、装着紐の強度を考えると、このメガネを常に使用していたとは考えにくい。 |
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この非鉄金属製の軍務用メガネのサイズは以下の通り。 巾(最大) : 115mm レンズフレーム直径 : 39.8mm 重量 : 20g |
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レンズフレームとブリッジ、レンズフレームと装着紐取り付け金具の関係を示す。 ノーズパッドの無いメガネでは、ブリッジがノーズパッドの役割を兼ねているため、レンズフレームとの接合部は鼻のカーブに合わせて、顔面側に曲げられている。 この部分が無いと、レンズと眼球が接近しすぎてしまう訳であるが、目と目の間の鼻根部が高い欧米人用に作られているので、鼻根部が低い東洋人がかけると、結局レンズと眼球はかなり接近してしまう。 |
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レンズフレームと、装着紐取り付け金具の接続部。 装着紐取り付け金具は、厚み1mmの非鉄金属板を打ち抜き加工して作られており、レンズフレームに付けられた基部パーツで、挟み込む形で取り付けられている。 レンズフレームに付けられた、装着紐取り付け基部に、締め付けビスが写っているが、ねじ山は右ネジになっているので、ビス頭は左右で上下が逆になっている。 画像の左目側は、ビス頭が上になっているが、右目側のビス頭は下を向いている。 |
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側方より見た、レンズフレームと、装着紐取り付け金具の接続部。 また、この画像と上下の画像を見れば、装着紐と装着紐取り付け金具の関係も理解出来るだろう。 この画像では、既に装着紐の先端はばらけてしまっているが、予備の装着紐は、先端を斜めにカットして糊で固めてあるので、容易に金具の穴に通す事が出来る様工夫されている。 |
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装着紐取り付け金具には、”XD”のメーカーロゴが打刻されている。 レンズフレームのブリッジ裏面には、”FARA”と打刻されており、パーツ毎に複数のメーカーで作られた事を示している。 |
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レンズフレームとブリッジ部のクローズアップ。 このガスマスク用メガネも、上で紹介した軍務用メガネ同様、ノーズパッドの役割をしているブリッジと、レンズフレームとの取り合い部、装着紐取り付け金具の角度に、微調整の痕跡がみられる。 |
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この画像は、ブリッジ部に打刻されているメーカーロゴの刻印、”FARA”のクローズアップである。 下で紹介している、未使用品のガスマスク用メガネには、メーカー刻印等は無い。 |
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眼鏡処方箋と、眼鏡装着紐の取り付け説明書
軍務用メガネと同様の眼鏡処方箋と、眼鏡装着紐の取り付け説明書:Das Einschlaufen des Haltebandes 眼鏡処方箋の氏名と階級欄以下 Herbert Hoffmann, Schütze:ハーバート・ホフマン、二等兵 4./Panz. Abw. Abt. 8:第8対戦車大隊 第4中隊 日付は1938年9月8日 眼鏡フレームサイズの欄にはMasken-Brille:ガスマスク用メガネ 瞳孔間距離(P.D.)は64mm レンズ右の度数(sphär)が近視-3.0左が-4.0 との記載が見られる。 |
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眼鏡装着紐の取り付け説明書の裏面。 表面にある装着紐の取り付け説明を、順を追ってより詳細に解説してある。 予備の装着紐は、当初1組2本が入れられていたはずだが、この収納缶には1本しか入っていなかった。 1本は既に使用してしまったのか、単に欠落してしまったかはわからない。 |
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収納缶の蓋を開けた状態である。 装着紐をセットしたガスマスク用メガネと、予備の装着紐が収められている。 メガネにはシリアルナンバー”M 6882”がスタンプされた紙製のタグが付けられている。 この収納缶もブルーの不織布状の物が貼り付けられたボール紙が底部にあり、その下には眼鏡処方箋と、眼鏡装着紐の取り付け説明書が入れられている。 このガスマスク用メガネにセットされている眼鏡装着紐の取り付け説明書はピンク地の紙に印刷されている。 |
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この収納缶にもシリアルナンバーがスタンプされている。 スタンプは白で色は異なるが、軍務用メガネの収納缶で紹介したシリアルナンバー同様、”Masken-Brille”の頭文字”M”から始まり、6882がナンバーである。 |
眼鏡処方箋に記載されている部隊について L.Artl, Ers.Abt 157 Mch.(Leichte Artillerie Ersatzs Abteilung 157 Mechaniker):第157軽砲兵訓練大隊整備部隊 Infanterie-Regiment 199“List”:リスト連隊を有する第57歩兵師団に所属していた、第157砲兵連隊の訓練大隊。 訓練大隊は同一番号の連隊に所属し、連隊に新兵を供給するため、通常は内地の駐屯地で新兵を訓練していたが、砲兵などでは、機材の種類が多かったため、同一軍管区内の砲兵連隊の訓練大隊が連携し、各種の砲の訓練を行っていたため、第157軽砲兵訓練大隊出身の新兵が、必ず第157砲兵連隊に配属されたとは限らない。 因みに第157砲兵連隊が所属していた、第57歩兵師団の編制時期は開戦直前の1939年8月で、1940年の西方戦役では陸軍総司令部の予備部隊、7月から占領後のノルマンディーに駐屯、1941年のバルバロッサ作戦が初陣で、1944年2月のチェルカッシー・ポケットで壊滅的な打撃を受けるまでは、東部戦線で奮戦。 4./Panz. Abw. Abt. 8(Panzer Abwehr Abteilung 8):第8対戦車大隊 第4中隊 第8対戦車大隊は処方箋が書かれた1938年には第8歩兵師団に所属していた。 処方箋の日付が1938年9月8日である事から、この兵士が1939年のポーランド戦から従軍しており、ポーランド南部で戦闘に参加していた可能性もある。その後部隊は1940年3月21日にPanzerjägerabteilung 8:第8戦車猟兵大隊に改称。11月には再編成され、2個中隊はPanzer Abwehrabteilungとなっているので、この兵士がそのまま第8歩兵師団にいたか否かは定かではないが、そのままPanzerjägerabteilung 8:第8戦車猟兵大隊に所属していたら、1940年の西方戦役では第4軍揮下の部隊としてベルギーとフランス戦に従軍。 更に、第8歩兵師団は1941年には中央軍集団の第9軍揮下、バルバロッサ作戦に参加し、ブリヤンスク戦などに従軍、モスクワ戦で部隊は損耗したため、12月にフランスで第8軽歩兵師団に再編成された。 |
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私物眼鏡の使用例 | |
私物眼鏡姿で執務する主計科大尉
写真は、官給品よりも太めのフレームのメガネを掛けている主計科大尉であるが、この写真ではメガネの詳細までは判らない。 写真の主計科大尉の肩章には、 Heeresverwaltung:陸軍主計科の頭文字"HV"の合わせ文字のモノグラムが付けられている。主計科等の非兵科の将校は、戦闘部隊の指揮権を持たないので、相当官と呼ばれる事もある。 ドイツ軍では技術系の技官をはじめ、軍事行政、主計、法務、医療、等々の非兵科部隊が、後方支援業務を行っていた。 大戦中のドイツ軍においても、各種の技術・専門的問題に対処する為に大量の、Beamten:行政官(軍属)が各戦線に派遣されていた。 これら行政官には軍人と同じ制服が支給されたが、襟章と肩章は独自の物が制定されていた。 |
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これは眼鏡をかけた、兄弟のポートレートである。 メガネのつるの取り付け位置から、二人のメガネが私物である事がわかる。 写真左、尉官の兄の軍装は、帽子は将校用旧型野戦帽、上着は将校用の徽章を付けた野戦服といういでたちで、弟の方は極初期の帽章が付けられた野戦帽に、襟の色が兄の野戦服より薄いモスグリーンの34年型、もしくは35年型野戦服に、33年導入のフィールドグレーの兵用肩章、又は40年以降のフィールドグレーの兵用肩章を付けた物である。 |
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観測壕の中で
観測壕の中で、規格帽を被ったこの観測兵が掛けている、樹脂製フレームの眼鏡も私物である。 上の写真とは対照的な、戦争中後期の軍装が興味をそそる。 1943年に導入された規格帽を着用していることから、1943年以降に撮影されたと考えるのが妥当であるが、野戦服はまだポケットにプリーツがある40年型野戦服で、襟章は1940年末頃から生産された、フィールドグレー地にマウスグレーの襟章、国家鷲章はダークグリーン地にライトグレーの糸で刺繍された37年型が付けられている。 また、ズボンはDrillichanzug:杉綾織被服のズボンである。 |
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