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今回の”一枚の写真から”のお題も、滝口氏のコレクションの中から1枚をお借りした。 この写真はSSの騎士十字章授章式の物で、例によって軍装に焦点を絞ってみるが、この様に貴重な写真を提供して下さった滝口氏と、キャ プションに助言を下さった山下氏に感謝の意を表します。 |
この写真は1944年8月23日の騎士十字勲章授章式の撮影で、左は Felix Steiner SS大将で、大将の後ろで白兵戦章だけ見えているのがKarl-Heinz Ertel SS大尉(「ネーダーラント」師団)。 右はHaralt Riipalu 武装中佐(エストニア第一師団)である。 Haralt Riipalu 武装中佐の階級を武装中佐としたのは、彼がドイツ人では無いので階級呼称が異なっていた為である。(Waffen-Ostbf) この時は他にも Derk Elsko Bruins 軍曹(「ネーダーラント」の突撃砲車長)、Paul Maitla 少佐(エストニア)、Wilhelm Schlueter 少佐(「ネーダーラント」)、Paul-Albert Kausch中佐(「ノルトラント」師団、「ヘルマン・フォン・ザルツァ」大隊。)なども騎士十字章を受章した。 彼らは第IIISS軍団麾下、1944年の東部戦線、北方軍集団戦区のナルバ防衛戦を戦い、その防衛戦時の功績を認められ、騎士十字章 を授与されたが、ソ連軍の大規模な攻勢の前に大損害を被り苦しい撤退戦を続けた。 なお、Karl-Heinz Ertel SS大尉とHaralt Riipalu 武装中佐の両名は第二次世界大戦を生きぬき、Haralt Riipalu 武装中佐は1980年4月4日にイギリスのヨークシャーでその生涯を閉じている。 |
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撮影時期が1944年8月ではあるが、流石にSS大将だけあって良い生地の服を着ている様だ。3人の中では一番明るい色に写っている が、将官クラスの場合はこの様な明るい生地の制服を着用している場合も多い。また、襟の上端部に白っぽく見えるのはカラーと思われるが、通常のカラーより かなり多く見えている。 軍装と言っても見えている部分が少ないのであまり書く事は無いが、Heinz Ertel SS大尉はネーダーラント師団の第49義勇擲弾兵連隊長を務めたドイツ人将校であった為、SS国家鷲章の下に外国人SSを示す盾形袖章は付けていない。 |
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金属製帽章を付けた典型的なSS将校用制帽を被り、名誉ある騎士十字章を授与されるにあたって正装をしているこのHaralt Riipalu 武装中佐の制服はちょっと変わっている。 この時点ではエストニア第1師団の第45義勇擲弾兵連隊長を務めていたが、セント・ペテルスブルク生まれの彼は、当初武装SSではな く、警察に入隊したと思われる。と言うのも彼が着用しているのは典型的な警察の勤務服で、左胸ポケットの下にはSSルーンの徽章が付けられているが、これ は警察からSSに出向した者が着用する物だからである。 |
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襟元には授与されたばかりの騎士十字章が下げられている他に、左胸ポケットに一級鉄十字章と歩兵突撃章を、第二ボタンのホールには二級 鉄十字章のリボンを佩用している。 更に一級鉄十字章の下方にはSSルーン章、左袖のSS将校用国家鷲章の下には”エストニ ア第1”を表す外国人義勇兵用盾形袖章を付けている。 勤務服前面のボタンが警察用で8ヶである事に注意。また、彼は55mm巾の茶革のウエス トベルトを着用している様で、SS将校用ベルトでは無いのも興味深い。 |
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腰ポケットはプリーツが無く、袖口にもボタンが2ヶ付けられているのも、警察用勤務服の特徴である。 おそらくこの勤務服は警察独特の青味の強いフィールドグレー生地で作られていたと思われる。 |
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外国人SSの多くはルーン文字のSS襟章の着用は許されず、独自の襟章が制定された。 これはエストニア第1の襟章で、左側がドイツ製、右側がエストニア製と言われている。 因みにHaralt Riipalu 武装中佐は将校用のシルバーの縁取りが付けられた、ドイツ製の襟章を付けている写真が確認されている。 |
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当初はドイツ人で構成されていたSSも最終的には数多くの外国人義勇兵で構成された師団 を含む様になった。 こうした過程の中で、外国人義勇兵の出身国を表す徽章類がデザインされ、着用される様に なった。 写真は”エストニア第1”の将兵が付けたシルト章の一つで、黒の台布に青・黒・白の糸で 刺繍された物。 |
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1943年頃、ハインリヒ・ヒムラーはSSと警察を統合し、国家保安部隊と言う組織にま とめる事を計画した。 その為、構成員に両組織への二重登録を推奨し、SSに受け入れられた警察官は、左胸ポ ケットの下にSSである事を示すSSルーン章を付ける事になった。 このSSルーン章はあくまで、警察でありながらSSであることを示すもので、SSが警察 の上位にあたる事を示そうとしたものである。 |
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この写真ではRiipalu 武装中佐の襟章が確認出来る。 上の参考資料の画像は下士官・兵用の物なので若干異なるが、将校用と言う事で台布も大きくて高級なモール手刺繍の物を付けていると思わ れる。 なお、エストニア第1では”E”と腕と剣の襟章の他に通常のSS襟章やブランクの襟章、”E”と剣が刺繍された襟章が使用されていた。 袖に付けている国章も青・黒・白に3匹のライオンをあしらった陸軍型とライオンの無いSS型の両方が使われていたが、カフタイトルは制 定されていない。 |
エストニアは他のバルト諸国同様ドイツに占領されたが、東部占領地区省の管轄下において一応の自治が認められた。SSの大管区としては 「オストラント」に属し、陸軍北方軍集団のもとに特別行動隊が展開し、その班長のザントベルガーSS少佐によってエストニア警察連隊・シューマ (Schuma)が編制された。この警察連隊が発展しエストニア人SS部隊が編制されたので、Haralt Riipalu 武装中佐も警察連隊の時点で志願したものと思われる。 エストニアは1940年にソ連に併合されていた為、共産体制を嫌う土壌があり、ドイツ軍の侵攻を解放と捉える動きが軍部にあった事もあ り、反共の旗印の元に陸軍3個大隊とHSSPFイエッケルンSS大将(HSSPF-Ostland)のもとで徴募されたエストニア人警察6個連隊が編制さ れた。 エストニア第1師団は1942年10月1日に編制され、名称を5回変えたものの1945年5月8日まで存続した。 |
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