ここでは、戦時中のプライヴェート写真を軍装の観点から楽しんでみたいと思っております。
一枚の写真から・プライヴェート フォトを楽しもう!その6
    
 
はじめに
 
今回の一枚の写真からは軍装に焦点を絞ってみるが、例によって写真の撮影時期等に付いては一切の情報が無い為、推測による記述が中心に なっている事を御承知おき願いたい。
    
今回のお題
 
この写真は写真館のネガをロシア軍が接収した物からプリントされた物と言われており、ウクライナから出てきた物。印画紙サイズは縦が 105mmで横が148mmである。この素晴らしい写真に写っているのは”SS装甲擲弾兵師団・ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー”所属の 戦車兵(SS伍長)で、撮影は1942年9月以降と思われる。
軍装は、1940年型略帽(ただし兵科色の山形が無いので1942年9月以降の物)に1941年から生産支給されたSS型戦車搭乗服、 黒いシャツ(このシャツはSSの兵士が好んで着用していた)に黒いネクタイと言ういでたちで、戦車搭乗服には二級鉄十字章略授のリボンと歩兵突撃章、戦傷 章、国家スポーツ章が付けられている。なお、ウエストベルトのバックルはアルミ製若しくはニッケル合金の初期の物の様で、このSS伍長が古参兵士である事 を示している。
また、1942年の撮影にも拘わらず、東部戦線従軍徽章を付けていないのは、これを授章するための期間にこのSS伍長は東部戦線にいな かった可能性がある。(戦傷章を授章している事からの推測)これも推測ではあるが、負傷して本国に送還された際に戦車兵の教育を受け、歩兵科から機甲科に 転科したのかもしれない。そうだとすると、この写真はこれから東部戦線にいる部隊に復帰する前の記念撮影という可能性も考えられる。
   
ディティール
   
SS Pz用新型略帽
 
この写真の略帽は1940年10月に採用された新型略帽であるが、機甲科を示す兵科色の山形が付いていない事から、兵科色山形が廃止さ れた1942年9月以降の撮影であると思われる。略帽自体は折り返しの巾の広いタイプだが、1940年には既に折り返しの巾の狭い略帽も作られていた事が 確認されているので、一概に初期型と決める根拠にはならない。また、写真のSS伍長は略帽のトップを閉じた状態で着用しているが、これは当時の流行だった 様で、現存する多くの略帽にもトップが開かない様に安全ピンを使用した痕跡やトップを閉じた状態で縫い付けてある物を見る事ができる。
LAHのスリップオンタブが付けられた肩章
 
写真の肩章に付けられているLAHのスリップオンタブで、このSS伍長が”SS-Panzer-Grenadier-Division Leibstandarte SS Adolf Hitler:SS装甲擲弾兵師団・ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー( 1942年より)”所属である事が確認出来る。この肩章は肩に縫込みでは無く、脱着式であるが、1942年より前のタイプで作りもしっかりしているよう だ。
戦功章等
 
このSS伍長は”歩兵突撃章”と、”戦傷章(黒)”と”国家スポーツ章”を付けている。この写真で興味深いのは、やはり一番上に付けら れている”歩兵突撃章”だろう。これは1940年12月20日に制定された戦功章で、通常歩兵科の将兵に授与される物。
したがって、このSS伍長は戦車兵になる前に歩兵であった可能性がある。ただし歩兵科以外の将兵に授与された一般突撃章は1940年6 月1日制定で、当初は工兵用であった。国家スポーツ章の授章は当初SSの入隊規定に定められていた。(SA体力検定章でも良い)
参考資料
資料について
SS略帽用国家鷲章
 
1940年の下士官・兵用の新型略帽導入に伴い採用されたBEVOタイプのSS下士官・兵用国家鷲章。
将校用はアルミ糸で作られており、将校用略帽と同じく1939年12月に採用されている。
SS略帽用髑髏章
 
画像左は、新型略帽導入に伴い採用されたBEVOタイプの略帽用髑髏章であるが、左が下士官・兵用で右は将校用。髑髏章は兵用・将校用 共にいくつかのタイプが生産されていたが、将校用はアルミ糸を使用していた。
LSSAH Pz用肩章
 
上の写真の肩章は、この画像の物よりも長さの長いタイプの様だが、LAHの組文字のスリップオンタブは同じタイプが付けられている。初 期の肩章には直にLAHの組み文字が刺繍されていたが、1942年頃からはこの様に脱着式のスリップオンタブが使われている。また下士官用にはシルバー の、将校用にはゴールドの金属製モノグラムも作られていた。
SS用国家鷲章
 
上の写真の戦車搭乗服に付けられていたと思われる刺繍タイプのSS用国家鷲章。SS用の国家鷲章は、当初国鉄と同じデザインの物が使用 されていたが、1936年3月にSS専用のデザインの物が採用された。この画像の鷲章は1938年1月以降に使用されたII型と言われているタイプの一つ である。
    
SSアドルフ・ヒトラーについて
 
SSアドルフ・ヒトラーはSA(突撃隊)の指揮下にあったボディーガードから独立発展した部隊 でSSの起源でもあり、その歴史は1933年にベルリンで編制されたSS-Stabswache:司令部護衛部隊に始まる。
1933年にヒトラーが政権を取り、3月17日にSS-Stabswache:司令部護衛部隊 として発足した部隊は、同5月にはSS-Sonderkommando Zossen:SS特務部隊ツォッセンと改称され、9月にLeibstandarte Adolf Hitler:アドルフ・ヒトラー連隊となる。更に1938年にはInfanterie-Regiment Leibstandarte SS Adolf Hitler (mot.):自動車化連隊に改編され、対ソ戦の始まる1941年6月にはSS-Division Leibstandarte-SS Adolf Hitler:SS師団アドルフ・ヒトラーにまで発展した。その後、1942年9月9日にはSS-Panzer-Grenadier-Division Leibstandarte SS Adolf Hitler:SS装甲擲弾兵師団アドルフ・ヒトラーと改称、1943年にはSS-Panzer-Division Leibstandarte SS Adolf Hitler:SS戦車師団アドルフ・ヒトラーに改編された。
実際にはベルリンの警護部隊や保安部隊等もアドルフ・ヒトラーのカフタイトルを使用していた が、ここでは武装SSのみの解説にとどめる。
従事した作戦は1935年のラインラント進駐、1938年のオーストリア併合、1939年の チェコスロバキア進駐、1939年のポーランド戦、1940年の西方戦役、1941年のバルカン戦、1941年から1942年の東部戦線、1943年の西 部戦線及び東部戦線、イタリア戦線、東部戦線、1944年の西部戦線、1945年の東部戦線。
歴代の師団長は1933年の創設時から1943年7月までがゼップ・ディートリッヒSS上級大 将、1943年7月から1944年8月20日までがテオドール・ヴィッシュSS少将、1944年8月20日から1945年2月6日までがヴィルヘルム・ モーンケSS准将、1945年2月6日から5月8日までをオットー・クムSS少将が務めていた。
この部隊の軍装は、アドルフ・ヒトラーの直筆サインをモチーフにしたカフタイトル・LAHの組 文字が付けられた肩章が有名であるが、襟のSSも本来はこの部隊の為の物で、いわゆるAllgemeine-SS:一般SS隊員は着用していなかった。
また入隊規定も厳しい物で、純粋なアーリア人である事を証明する為に、隊員志願者は兵士で 1800年、士官では1750年まで、高級将校に至っては1711年までの家系図を調べられた他、虫歯1本あってもLAHには入隊できなかった。入隊は主 にヒトラーユーゲントからの志願であったが、通常は入隊申し込み後入隊候補者となり国家スポーツ章若しくは、SA体力検定章を取得する事が望まれ、 RAD:国家労働奉仕団で3ヶ月から6ヶ月の労働奉仕に従事した後、国防軍で2年間の兵役義務を果たす必要があった。その後再びSS戻った者はSSの規定 等の教育を受け、充分に理解したと認められた者のみがその年の11月9日にSS二等兵として入隊を認められた。LAHには身長に関する規定もあり、 178cm以上と定められていた。(ゲルマニア・ドイチュラント両連隊は174cm以上、その他の楽団員、工兵、通信兵も172cm以上と定められてい た。)
   
   
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07.Oct.2000 公開
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