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今回の一枚の写真からは軍装に焦点を絞ってみるが、例によって写真の撮影時期等に付いては一切の情報が無い為、推測による記述が中心に なっている事を御承知おき願いたい。 なお、今回は私がドイツ海軍の軍装に疎いのでLeica III型さんに色々御教示頂いた。 |
この写真は写真館のネガをロシア軍が接収した物からプリントされた物と言われており、ウクライナから出てきた物。印画紙サイズは縦が 105mmで横が148mmである。 軍装から見ると1944年7月以降に撮影された物で、4人は兄弟の様である。左から海軍沿岸砲水兵(この水兵は海軍の最下級の階級)・ 武装親衛隊歩兵科上等兵・陸軍兵卒・海軍艦艇乗務水兵長だが、この時期にこの様に4人兄弟の休暇が同時に取れると言うのは珍しいのではないだろうか。 この様に兄弟が祖国の為に戦場に赴いたのは、ドイツに限った事では無いが、皆が無事に帰れたのかが気になる一枚。 |
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この写真は左端の兵のアップだが、肩章から海軍沿岸砲兵と判断した(縁取りパイピングのない角型肩章に砲弾と錨の刺繍が施されてい る)。野戦服は腰のポケットが写っていないので、はっきりしないが、襟の感じから海軍独自の42/43(陸軍で言う43年型で、ポケットのプリーツや雨蓋 のカットが簡略化されているタイプ)と言われている物だと思われる。ボタンに錨のマークが確認できないが、末期の物資不足の為陸軍の物を使用している。袖 の丸い徽章は新兵では無い事を示す物で、階級章では無い(階級は最下級のMatrose)。また写真で見ると末弟の様に見えるが、二級鉄十字章と戦傷章を 授章しているのが興味深い。 |
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まず、左側のSS上等兵はSS用の43年型野戦服を着用しているが、両サイドの服より色が濃いので、イタリア生地から作られた野戦服の 可能性もある。国家鷲章は刺繍タイプ、階級袖章はこの写真からタイプの特定は難しい。襟章は襟に沿って湾曲しているのでVEVOタイプの物が付けられてい るのかもしれない。肩章のパイピングは恐らく白で歩兵科だと思われる。写真右の陸軍兵卒の方は、左袖が見えないので階級が特定出来ないが、彼もまた陸軍用 43年型野戦服を着用しており、襟章は各兵科共通の物が付けられている。第二ボタンの位置で左がSS用・右が陸軍用と判別できる。 |
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右端の海軍さんは、セーラー服の上に”Ueberzieher”と言う上着(ピーコート)を着ている。この上着は錨のマークがレリーフ されている金色のボタンが6対付けられていて、写真の様に開襟で着用する時には5対のボタンが使用される。また、襟には上着より若干明るいブルーの襟章が 付けられている他、左袖には海軍用の金のトレッセで作られた階級袖章が付けられている。この写真ではピントが甘くて良く判らないが、左胸には潜水艦戦章が 付けられている。制定は1944年5月で、7月以降に授与されたと言う事なので、この写真は1944年7月以降の撮影という事になる。 |
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下士官・兵用の刺繍タイプ。陸軍とほぼ同じデザインであるが、鷲がゴールデンイエローの糸で刺繍されているのが特徴。陸軍同様に様々な バリエーションが存在し、BEVOタイプも作られていた。上の白黒写真でははっきりしないが、末期にはこのタイプの他に濃紺台布の物や陸軍の物の流用の可 能性もある。 |
海軍の沿岸砲兵の野戦服は陸軍に良く似たリツェンタイプの襟章が付けられていた。 (上の写真では、陸軍同様の各兵科共通の襟章が付けられている様である。) また肩章には縁取りのパイピングは無く、陸軍の初期型の様に角型肩章で、砲弾と錨をあしらった刺繍が施されていた。また、肩章を固定す るボタンに錨のマークがレリーフされているのに注意。 |
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イタリア生地で作られたSS用43年型野戦服に付けられたSS用国家鷲章。刺繍タイプの国家鷲章にも様々なバリエーションがあるが、上 の写真のタイプはこの鷲章とは異なるタイプの様に見える。ただし、イタリア生地がドイツ製フィールドグレーのウール生地より濃く写るのが解るのではと思い この画像を使用した。 |
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SS上等兵とSS兵長の袖用階級章。 陸軍同様、アルミシルバーのトレッセが戦場では目立つので、イエロータンのレーヨン製トレッセを使用した階級袖章が1942年から作ら れたが、陸軍のそれと比べると迷彩効果は低い物になっている。 |
一般に「海軍沿岸砲兵の服」と言われているM34/M43型野戦服は、本来は海軍の地上部隊用 に作られたもので、沿岸砲兵以外にも用いられていた。陸軍の野戦服との識別は、腰のポケットが陸軍のそれの様に貼り付けでは無く、切れ込みポケットになっ ている事である。 その源流は帝政時代の植民地に派遣された海軍陸上部隊の制服で、青島(チンタオ)にも駐留して おり、徳島県にあった坂東捕虜収容所(建物は現存していて、現在は記念館になっている)の写真にも散見できる。 大戦も後期になると多くの艦船を失ったドイツ海軍では、水兵が余るという現象が起こり、乗り組 むべき船が無い海軍将兵を陸兵として使う事になり、足りない装備被服類は陸軍のそれが流用される様になった。 ナルビクの活躍でも実証された様に、ドイツ海軍将兵は陸戦でも優秀で、アーンヘムでは水路と橋 を守り、影ながら連合軍を足止めしたのは海軍地上部隊で、ベルリン攻防戦にも参加していた。 1944年以降には「一見陸軍だけど良く見ると実は海軍」部隊が結構存在していた様で、甚だし い例では、肩章のみ海軍で後はほとんど陸軍装備という場合があった。 |
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