ここでは、戦時中のプライヴェート写真を軍装の観点から楽しんでみたいと思っております。
一枚の写真から・プライヴェート フォトを楽しもう!その3
  
 
はじめに
 
今回の一枚の写真からは、少し趣向を変えて連続写真を紹介する。これはアルバムから剥がされた写真だが、印画紙の裏側に通し番号がスタ ンプされている為順番を特定する事が出来た。例によって写真の撮影時期に付いては特定が難しいが、今回の写真は珍しく全て簡単なキャプションが写真に書か れている。今回のコンテンツを作る上で、これらの貴重な写真を快く提供して下さった、schmidt氏、写真のキャプションの判読と日本語訳をして下さっ た、おでっさ氏と鉄道マニアM氏、鉄道に関する様々な情報を御教示下さったS.クシマ氏、シュカートの情報を教えて下さったオータ氏、”ILIA”の場所 を教えて下さった滝口氏、”おまけ”画像を提供してくれた、コレクターのT氏、の各位にこの場で改めて感謝の意を表します。
  
 Diesmal ging es mit Dampf. 
”今回は汽車で行った。”
 
独ソ戦と言うと、ドイツ軍車両群の電撃戦と言うイメージを持っている人も多いかと思うが、部隊の長距離移動の手段としては、やはり鉄道 がもっとも効率の良い方法だった。ただし、御存知の通りロシアの線路はドイツの規格と異なり、また蒸気機関車を必要量鹵獲する事が出来なかったため、線路 を全てドイツの規格に直さなければならなかった。
 
この写真の機関車について
 
ナンバープレートの様式及び車体幅から大きく張り出したシリンダーの形態等からルーマニア国鉄所属の複式シリンダー機関車だが、型式ま では特定できなかった。おそらく第一次世界大戦後、オーストリアから譲渡された「ゲルスドルフ式弁装置装備」の機関車であることは間違い無い。
Man konnte nicht genug schauen. 
”十分に景色を堪能出来なかった。”
 
これは列車の速度が速かったと言う意味だろうか?。
この写真で興味深いのは、雪景色である事だ。軍装から判断すると、1940年の冬か1941年の冬、若しくは1942年の春と思われる が、恐らく1941年の初冬に東部戦線に増援に向かう部隊ではないかと思われる。(確たる根拠は無い)車窓から沢山の兵が顔を出しているが、何か珍しいも のでも見えるのだろうか?。
 
写真の客車について
 
兵士たちの乗車している客車は、ドイツ帝国鉄道がプロイセン州立鉄道から引き継いだ、車軸3軸の区分客車(コンパートメント客車)であ る。この車輌は(通常の客車のように)、車内に貫通通路が設けられておらず、乗車の際には、車体側面に取り付けられた踏み台に登り、側面の扉を開けて車内 に入るもので、3等車の場合には6枚の扉が並んでいる。
Auch eine Bahnfahrt macht hungrig. 
”汽車旅もまた、腹がへる。” 
 
二人の兵士が飯盒で食事を摂っているが、一体何を食べているのだろう?。右側の一等兵が、左側の兵の飯盒の中を覗きこんでいる。この写 真は軍装以外にも、列車の内装等興味深い。網棚に雑嚢や水筒・飯盒の蓋・等の装備が乗せてある他、画像中央の網棚には水筒と懐中電灯が、左端の壁面には書 類ケース(マップケース)も吊り下げられている。また、写真右上のプレート状の物には”Raucher":喫煙車の文字が見える。
この写真に関しては、後で拡大した画像をゆっくり見てみよう。
 
写真の客車について
 
車内は、車体幅全体が一つのコンパートメントとなっているのだが、3等客車の椅子は、木製のベンチそのものだった。また、その室内の 「密室性」ゆえに、第一次大戦後の大恐慌の際には、犯罪等も多く発生したといういわく付きの客車でもある。
Kurvenreich war der Weg durch die Karpathen.
”カーブだらけのカルパチア山脈の道だった。”
 
ここでカルパチア山脈と言う具体的な地名が出てきた。これで、この一連の写真が東部戦線に向かうドイツ軍部隊を写した物であろう事が想 像出来る。
この写真でも、車窓から兵士が顔を出しているが、窓を開けていては寒いとか、汽車の煙が入るとかの苦情は出ないのだろうか(笑)?。
 
写真の客車について
 
この3等区分客車は第二次大戦中「TRUPPEN-TRANSPORT」として使われており、写真も結構残っている。その中の一葉の写 真キャプションには、「Im 3.-Klasse-Abteilwagen reisten manche noch relativ komfortabel an die Front.」 (多くの兵士が、3等区分客車に乗って比較的快適に前線まで移動した) とある。一連の写真では、一列車全てが3等区分車輌で編成された、A送用列車となっているようだが、戦車やトラックといった他の軍事物資も混在する輸送列 車の場合には、一般的には区分客車は将校用で、他の下士官・・兵卒は別に連結された有蓋貨車に乗せて運ばれることが多かったようだ。
Vorher ein Kochgeschirr doch gut sein kann. 
”先に飯盒ってのも悪くない。(意味不明)”
 
汽車の給水塔の水で手を洗っているようだが、キャプションの意味が理解できない。またバックの駅舎?にある看板に”ILIA”と言う ルーマニア西部の地名が書かれている。兵士の多くは1939年型の官給セーターを着用している。この写真も後で改めて見てみよう。
 
鉄道輸送時の食事について
 
S.クシマさんによると、ドイツ軍の輸送列車の場合、無蓋車に野戦炊事車(いわゆるGulaschkanone)が積載されている場合 は少なく、輸送中はもっぱら携行食糧が支給されてい、、とドイツにいた頃に聞いたことがあるそうで、サう言った意味では今回の写真に写っている食事は恵ま れているのかもしれない。また、機関車の炭水車のことを「機関車のKochgeschirr」という言いまわしをする事もあるそうだから、上のキャプショ ンは食事の前ならば、「先を急ぐ旅(輸送)ではあるが、とりあえずは、何をさておき食事の支給だ。機関車も我々もKochgeschirが空ではどうにも 動けないもんな。」食事の後ならば、「機関車のよりも先に我々のKochgeschirの方に給水させてもらうよ。」といったニュアンスでしょう。とのコ メントを頂いた。飯盒に水をくんで食後の代用コーヒーでも沸かすつもりなのだろうか?。
Abends verschwanden die Schaulustige und- 
”夕方になると景色を見る楽しみもお終い。そして-。”
 
そして−。の後が、ただ眠るだけ・・・なのか、下の写真の様にカードゲームに興じるのか・・・。どちらにしても、何日もかかる列車の旅 の先にあるのは、過酷な東部戦線と言う事なのだろう・・・・。
遠くの山と、橋のの河原には雪が残っている。
風景としては信州あたりにもありそうな風景に見える。
 
当時の国鉄豆知識
 
余談ではあるが、第三帝国時代のドイツ国鉄の”貨車”は、当然形式名称は存在したものの、なぜか形式毎に「ミュンヘン」、「カッセ ル」、「ドレスデン」、「ケルン」、「ザールブリュッケン」等々の地名が車体に併記され、輸送現場ではもっぱら地名の方で呼ばれていた。
Man spielte wieder Skat. 
”またシュカートゲームをやった。”
 
シュカートゲームは、ドイツの代表的なゲームで、ライプニッツの近くのアルテンブルクという町で1810年代に発明されたらしく、ルー ルの改良を続けながら普及していき、19世紀の終わりにはドイツで最もポピュラーなゲームとなった。カードゲームの中で、最も理知的で深みがあり、スピー ディーでエキサイティングなギャンブルゲームでもある。通常プレヤーは3人で、52枚のカードから、各マークの2〜6を除いた32枚のカードを使用する。 ドイツの東部や南部地方ではドイツ固有の、どんぐり・木の葉・ハート・鈴のカードが使われる。
画像を拡大してみると、場(テーブルの上)には、スペードのエースと10が置かれていて、手前の兵士の手には、持ち札として、9枚の カードが持たれている。
因みにトランプやチェスなどは、兵士の娯楽として重要視されていた様で、軍用のチェスなども作られていた。この写真も、軍装について、 後で改めて詳しく見ることにする。それにしても、9人もの兵が一つのコンパートメントに集まって(撮影者を含めると10人)何とも狭苦しい感じがする (笑)。しかし、これから前線に向かう兵士にとっては、この様な憩いの時間は大切なものだったに違いない。
  
補足説明
 
S.クシマさんに「Vorher ein Kochgeschirr doch gut sein kann」に関連して色々な事を教えて頂いたので、キャプションに使用しなかった部分もここに掲載しておくことにする。
 
鉄道輸送時の食事についての続き
 
ただ、列車の時間調整などで停車時間が長い場合には、温かい食事の炊き出しもあったようです。しかし、あくまで米にこだわった日本陸軍 の場合、”飯盒”といえば野戦で各自が米を炊く道具でもあったわけですが、ドイツ軍の場合は既に調理された食物を入れる道具といった意味合いの方が強かっ たようです。
 

因みに、蒸気機関車の場合、石炭は一度積み込むとそんなに補給の必要はないのですが、水は通常70〜100km走行するごとに給 水しなければなりませんでした。ところがヨーロッパ標準軌道と異なり、広軌のソビエト国鉄では機関車に連結されている炭水車の積載容積も大きく、また当の ソビエト国鉄ですら、「復水式炭水車」(長距離無給水走行を目的に、ボイラーで使った蒸気を大気中に放出することなく、何度でも回収して再使用することが できる装置をつけた炭水車)を増備していたほどです。東部戦線の拡大に伴い、標準軌道のドイツ製機関車も当然のことながら、水の確保には悩んだようで、や はり「復水式炭水車」を装備した機関車が開発されました。しかし、この機関車の製造が軌道に乗った頃には戦線の縮小が始まり、給水設備が次々にパルチザン に破壊される中、その特性を生かした長距離無停車転進輸送(要するに撤退輸送)に重宝されることになりました。
 

”ILIA”について
 
滝口さんより頂いた情報によると、”ILIA”は、ルーマニア西部、ハンガリーの国境から150キロくらい(ブカレストの300キロ西 北西)にある町のようです。
    
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28.Jun.2000 公開
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