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PK:プロパガンダコンパニー(宣伝中隊)は、戦闘部隊と共に前線で大量の記録映像を撮影し、現在も膨大な資料としてドイツ連邦公文書館などに保管されて いる。(ただし、公文書館の写真に関してはネット上で公開する事は禁止されている。) これから紹介する写真は戦時中にプレス用として配信された物で、オーストリアのウィーンから大量に流出した物の一部である。 また、本コンテンツにおいて歩兵砲の運用に関して助言を頂いた唐澤さんに感謝の意を表します。 |
75mmPAK40/L46を人力で射撃位置に配置している対戦車猟兵。 原画のキャプションに東部戦線と内海の塁壁という語句がある事と撮影時期から黒海沿岸である事が判るが、1,2t以上ある砲を人力で動かすのは重労働だっ ただろう。 1944年5月24日PK撮影。 |
”道辺の軽対空砲”とタイトルの付いた写真。キャプションによると”ソ連の襲撃機よりドイツ軍部隊の移動を安全に守る。”とあるので
東部戦線の写真と言う事になる。 しかし旧式の20mmFLAK30に鹵獲ライフルを装備した、この空軍対空砲部隊で果たして友軍部隊の移動を安全に守れたのだろうか?(笑)。 陣地内にきちんと並べられたガスマスクケースとヘルメット、デニムの作業着等が興味深い。 1944年10月17日PK撮影。 |
この写真はカルパチアの山岳猟兵と言うタイトルが付いている。 撮影時期からすると陸軍第3山岳師団・第112山岳砲兵連隊の可能性が高そうである。砲を操作する二人はエーデルワイス章を付けた山岳帽を被っているが、 右の兵は一般兵科の兵士同様に編上靴を履いている。 1944年9月07日PK撮影。 |
これより紹介するのは、1941年のバルバロッサ作戦時のダス・ライヒ師団の写真で、SSドイチュラント連隊の一兵士が購入していた
物。 |
37mmPAK35/36を操作するSSの対戦車猟兵。 37mmPAK35/36は大戦初期に最も多く配備された対戦車兵器ではあるが、独ソ戦では既に旧式化しており、T34などには全く無力だった為、ドア ノッカーと言う渾名が付けられていたと言う。この砲の操作は規定では6人となっていたが、実際にはこの写真の様に4人から5人で操作される事が多かった様 である。この写真はキャプションが無い為、撮影日時はわからないが、恐らく独ソ戦開戦当初の物だと思われる。 |
37mmPAK35/36を操作するSSの対戦車猟兵。 カメラアングルから、撮影者自身が伏せている事が判り、最前線の雰囲気が伝わって来る。 実際KB隊員の死傷率も結構高かったと言うが、こう言った写真を見ると納得できる。 この写真も撮影時期等は不明だが、上の写真と撮影時期は近いと思われる。 |
75mmle.I.G.18を人力移動中のSS歩兵。 75mmle.I.G.18は歩兵の為の近接支援火器で、迫撃砲より正確な射撃が出来たので、歩兵にとっては頼もしい助っ人であった。歩兵砲は通常大砲の 運用訓練を受けた歩兵が運用する事になっていた。この砲は通常一個分隊6人で操作し、2個分隊で一個小隊を編制していた。第一小隊から第三小隊はこの 75mmle.I.G.18を装備し、第四小隊には150mm重歩兵砲2門が配備され、この四個小隊で一個中隊としていた。 |
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