ここでは”追憶カード”についての展示をしています。
   

はじめに

 本コンテンツでは、“Erinnerungskarten:追憶カード”を若干の関連アイテムと共に紹介する。
 このカードは戦死者の追悼を意図して作られた物なので、その訳語に関しては“追悼カード”としたいところであるが、Erinnerungは、“追憶・想い出・記念”と言う意味の単語で、追悼であればTrauerであろう。
 また、“Erinnerungskarten”と検索してみると、家族などの記念でこのカードを作る習慣は一般的では無いものの、現在でも一部にはあるようで、これに関しては“想い出カード”とか、“記念カード”の訳が妥当かと思う。

 これは、やはりキリスト教の考え方で、人の死は終わりではなく、神の元に召される事と考え、葬式は神に対する感謝、故人を懐かしむ儀式であると言う事に由来するものと思われる。


 また、この追憶カードは”Totenkarte:死者のカード”とも言われる物で、カトリック教徒の風習である。
 当時のカトリック教徒は、家族が他界し葬儀を行う際に、このカードを大量に印刷し、その家族が属している教会の檀家宅に配る風習があった。

 この風習については、カッセルにある葬儀文化博物館の常設展示の中に、「戦争と死」というコーナーがあり、専ら第一次世界大戦時のカードが展示されている。
 展示されているカードも本コンテンツで紹介している物同様に、戦死者の生年月日・死亡日・職業と残された家族の別れの台詞が印刷されている。


 私がこのカードに興味を持った時に気になった事の1つが、市場に出ているこのカードに山岳部隊所属の兵士の物が多い事であった。そして、当時を知るドイツ人にこのカードの意味を伺ったところ、「新聞の死亡広告は毎日の様に目にしたが、このカードは見た事が無い。」との事であった。

 そこで、もしかすると地域性のある風習であった可能性を視野に入れ、カードに記載されている兵士達の生誕地を調べてみると、圧倒的に南ドイツや元オーストリア出身者が多かった。
 山岳師団は基本的に南ドイツの軍管区内で編成されていたので、残存するカードに山岳部隊の物が多い理由とも一致する様に思えたのである。

 また、カードに使用されている宗教的図柄や文言の中には、ローマ教皇(カトリック)の言葉や、新教(プロテスタント)的表現として知られているアルブレヒト・デューラーの版画などもあり、カトリック教徒の風習という視点を持つに至らなかった。

 しかし、ドイツのカトリックとプロテスタント教徒の分布を調べると、カトリック教徒はバイエルン州、バーデン=ヴェルテンベルク州やラインラント=プファルツ州などの南部に多く、これが宗派では無く地域性と勘違いしていた原因であった事も判明し、今回本コンテンツを改訂する事とした。

 本コンテンツを制作するにあたり、貴重な史料を取材させて下さった、Schmidt氏と日高氏、そしてこのカードがカトリック教徒の風習であった事を御教示下さったDt.Soldatinさんに、この場であらためて感謝の意を表します。
 

   



 
”GOTT MIT UNS” :”神我等と共に”

”GOTT MIT UNS : 神我らと共に”とは、国防軍(陸・海軍)の下士官・兵用バックルにモールドされている文言であるが、この神とは当然の事ながらキリスト教の神である。

 国防軍がこの様なデザインを採用していた事は、神の存在が彼らにとって身近なものであった事の証左とも言えよう。

 当時のドイツ軍兵士達の多くはクリスチャンであったが、カトリックとプロテスタント教徒が混在していたため、各部隊にはカトリックの従軍神父(司祭)と、プロテスタントの従軍牧師が配されていて、カトリック教徒向けにミサも行われていた。



 
Feldgesangbuch :野戦賛美歌・聖歌集

 野戦讃美歌集は、縦105mm×横75mm、100ページ弱のポケット版である。

 オレンジ色の表紙、鉄十字の下に“KATHOLISCHES”と印字されている方がカトリック用で、グリーン(画像の物は退色している)の表紙の”EVANGELISCHES”がプロテスタント用である。


 これらの讃美歌集(プロテスタント用)と聖歌集(カトリック用)には、軍の制式教範類に付されていた”H.Dv.Nr.(陸軍)”と”L.Dv.Nr.(空軍)”が印刷されている。


 制式教範類に関しては”マニュアルの分類”のコンテンツを参照されたい。






新聞の死亡広告

 画像は、戦時中の新聞の死亡広告である。黒枠の左上に鉄十字が描かれているのが戦死者、鉄十字が無い枠内は一般の死亡広告となっている。

 死亡広告は宗派に関係なく、全国的な風習であり、葬儀日程なども記載されている。

 開戦後に目にするようになった戦死者の死亡広告であるが、1943年以降は死亡広告のページ数が増え、誰しもが親族や友人知人を亡くす状態となった為、クリスマスを祝う気分にもなれなかったと言う証言もある。

 



Erinnerungskarten:追憶カード

 多くの“Erinnerungskarten:追憶カード” は、遺影と氏名・兵科・階級、生年月日と戦死した日付とおよその場所、更に神への言葉等が記載されている。
 所属部隊に関しては、戦時下の防諜上の理由から”eines Infanterie Regiment:ある歩兵連隊”の様に記載されている。

 カードは両面印刷で、一枚の片面に遺影と氏名、戦死した日付等を記載し、もう片面には宗教的な図柄や文言が印刷された物が多く、二つ折りされた物と、半切サイズの物が作られていた。

 



Georg Grundnerの追憶カード

 1941年9月13日に、歩兵連隊所属の兵士として、東部戦線で戦死したGeorg Grundner:ゲオルク・グルントナー (享年20歳)の追憶カード。

 鉄十字の下には、Zum frommen Andenken im Gebete an meinen herzensguten Sohn, meinen unvergeßlichen lieben Bruderとある。

 意味としては”私の心優しき息子、私の忘れがたい愛しい兄弟の思い出に、敬虔な祈りを捧ぐ”と言った感じであろうか。
 その下には戦死したGeorg Grundnerの氏名や上記の戦死した日時、場所等が続く。

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が110mmで、横は130mmである。




表裏表紙

 つい上の画像の面に目が行き勝ちであるが、折り目からするとこの面が表裏の表紙の様である。

 前述の様に、キリスト教に於ける死は、命の終わりではなく、天上の神から地上(生前)での罪が許され、永遠の安息を与えられることとされている。
 したがって、死は不幸な事と言うより「召天」もしくは「帰天」と言って、神のもとに召される記念すべき事であり、やがて訪れる「復活の日」(生まれ変りでは無い)まで天国で過ごすとされている。

 これは、キリスト教がイエス・キリストの復活を死生観の基盤にする信仰であることに基づいているからである。

 しかし、実際に父親や息子、あるいは夫や兄弟を戦争で失った家族、また友人知人、あるいは恋人を失った人々が悲しまなかったと言う訳では無い。


Franz Kandlbinderの追憶カード

Ehre seinem Andenken ! :彼を忘れない!
Die Trennungsstunde schlug zu früh, „doch Gott der Herr der wollte sie.“:別れはあまりに早く来ました。しかし、それは神の思し召しです
Gebetsandenken: :祈り-記憶
Den Heldentod für’s Vaterland starb der Soldat in einem Infanterie-Regiment 祖国のとある歩兵連隊所属の兵士として英雄的な戦死を遂げました

Franz Kandlbinder :フランツ カントルビンダー Postschaffnerssohn von Gangkofen ガングコフェン(南ドイツバイエルン州にある街)の郵便集配人の息子
bei den schweren Kämpfen im Osten am 23. September 1942, 19 1/2 Jahre alt. :1942年9月23日の東部戦線に於ける激戦で、享年19と1/2歳。
Wir danken GOTT, 我々は、神に感謝します

以下、神への感謝の言葉と思われるが、定訳がありそうなので訳は省略する。

daß du unser warst,
ja noch mehr,
daß du unsr bist;
denn alles lebt beim lieben Gott und wer immer heimkehrt zum Herrn,
der bleibt in der Familie.





表裏表紙

 左ページは”十字架上のイエス”、右ページ(おそらく表表紙)は”Mater Dolorosa:悲しみのマリア”である。

”悲しみのマリア”の下には、ローマ教皇 レオ13世(1810 - 1903)の言葉が載せられている。

 レオ13世は、19世紀以来近代思想と科学思想のすべてを否定していたカトリック教会のあり方に憂慮し、信仰と科学思想が共存しうることを訴えた事で知られている。

 また、社会回勅に於いて、労働者の権利を擁護し、搾取とゆきすぎた資本主義に警告を行いながらも、一方で台頭しつつあったマルクス主義や共産主義を批判した教皇でもあった。

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が112mmで、横は136mmである




Franz Reichertの追憶カード

 Franz Reichert:フランツ・ライヒャートは、とある歩兵連隊のGefreiter:上等兵で、2級鉄十字章を授与された。
 生まれは1917年2月2日で、1943年3月19日にオリョール北西の戦線で名誉の戦死を遂げた。(享年26歳)

 この追憶カードのFranz Reichertは、連隊番号62が刺繍された角型肩章を付けている。
 所属が歩兵科であるので、第62歩兵連隊とすると、戦死した1943年3月には、第7歩兵師団揮下、東部戦線に於ける中央軍集団の第2装甲軍に属していた。

 因みに、第62歩兵連隊は第Ⅶ軍管区(オーバーバイエルン、ニーダーバイエルン、オーバープファルツの地区とシュヴァーベンの一部)に属し管区本部はミュンヘンだった。




表裏表紙

 左右共にキリストの絵が掲載された表裏表紙。

 この面のデザインは、左右の絵の組み合わせを含めて選択できるシステムであったと思われる。

 そして、その絵や文面には「受難」や「復活」、「悲しみのマリア」を題材にした物が多く見られる。

 これは戦場で傷つき倒れた息子(夫や父)に降りかかった災いを想い、その安息を祈りつつも、母の深い悲しみを重ね合わせ、復活を願う気持ちを表しているのだろう。

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が104mmで、横は136mmである




Sebastian Heindlの追憶カード

Sebastian Heindl:セバスチャン・ハイントル

Bauerssohn in Hartberg
ハルトブルク(現オーストリア、ヴィーン南西)の農家の息子

Soldat in einem Gebirgs-Jäger-Rgt.
Gefallen am 17. April 1943 in treuer Pflichterfüllung bei einem schweren Sturmangriff am Kuban (Rußland) im 21. Lebensjahre.

 1943年4月17日、クバン(東部戦線)に於いて、山岳猟兵連隊の兵士として、激戦の最中忠実に任務を全う中に、21歳で戦死した

 因みに、1943年4月にKuban:クバンにいた山岳師団だと、4.Gebirgs-Division:第4山岳師団が該当する。

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が99mmで、横は118mmである




表裏表紙

 この面には、ドイツ・ルネッサンス期の有名な画家、アルブレヒト・デューラーの版画が印刷されている。

 左は1512年に制作された”Die Groblegung:「受難」埋葬” と題された銅版画で、キリストが石棺に納められようとしているシーンを描いた物。

 右は1505-1508年(1505年が制作年で1508年は出版年)の銅版画で、”Der Heilige Georg zu Pferd:馬上の聖ゲオルギルス”である。

 英雄が怪獣との戦いに勝利した後、ころがった怪獣の脇で槍を斜めに構え、天を仰ぎ見る姿は、数世紀にわたり信仰深い英雄的精神の象徴的表現とされた。

 これらの版画は、新教的表現ともされているので、カトリックの風習であるカードに使用されているのが興味深い。

 

 

Johann Starneckerの追憶カード

Johann Starnecker
ヨーハン・シュターネッカー

Sanitätsgefreiter in einem Inf. = Regt.
ある歩兵連隊所属の衛生上等兵

Inhaber des E.K.2
2級鉄十字章受賞者

welcher am 14. Januar 1944 nach schwerer Verwundung im Osten im Alter von 22 1/2 Jahren den Heldentod starb.
1944114日、東部戦線の激戦の最中、22歳半で名誉の戦死を遂げた。

このカードのサイズは、縦が99mmで、横は62mmである。


 

表紙

 このカードの図柄も、アルブレヒト・デューラーの銅版画である。”Die Auferstehung:「受難」復活”と題された銅版画で、1512年に制作されたもの。

 墓石の上に立ち、キリストの光り輝く姿に二人の番兵は驚愕、他の者は目がくらんでいるシーンである。

 絵の右側には大きな文字で

Ich bin die Auferstehung und das Leben.
Wer an mich glaubt, wird leben, auch wenn er gestorben ist
 とある。(以下小さい文字の部分は略)
 意味としては、”私は復活し、生きている。私を信ずる者は、皆死後に復活する事が出来る。”と言う様な意味である。


 

Sebastian Spatzlの追憶カード

Sebastian Spatzl
Bauerssohn von Kiefering Grenadier in einem Inf. Regt.
welcher am 20. Mai 1944 bei den schweren Kämpfen im Osten im Alter von 37 Jahren den Heldentod fand.

 1944年5月20日、やはり東部戦線で戦死したSebastian Spatzl:セバスチャン・シュパッツェル (享年37歳)。


 このカードでは、Kiefering:キーフェリンク(ミュンヘンの東方)の農家の息子で、歩兵連隊所属の擲弾兵だった事が記されているものの、最終階級は記載されていない。


 

表紙

 表紙には本人の墓が描かれている。

 墓にはヘルメットと花が供えられ、丸太で作った十字架にある墓標にはGrenadier:擲弾兵 Sebastian Spatzl:セバスチャン・シュパッツェルの名と、戦死した日付1944年5月20日が記されている。


 そして、図柄の下方には”Ehre seinem Andenken !:彼の思い出に敬意!”とある。

 このカードのサイズは、縦が111mmで、横は67mmである。


 

Fritz Jantkeの追憶カード

 このカードは半切サイズで、遺影の下には神への言葉が書かれている。

 Fritz Jantke:フリッツ・ヤーントケは、擲弾兵連隊で分隊長を務めていたが、遺影の肩章の兵科色は黒の様に見える。

 通常このカードには兵科は記載されているので、工兵に所属していた経歴の持ち主だったのかもしれない。


 今回紹介したカードの中で、唯一南ドイツ・オーストリア以外の出身者である。

 このカードのサイズは、縦が115mmで、横は71mmである。


 


表紙

Fritz Jantke
フリッツ・ヤーントケ

Obergefr. u. Gruppenführer in einem Gren. Reg., Inh. d. E.K.Ⅱ u. Sturmabz.
 ある擲弾兵連隊に於いて、2級鉄十字章及び(歩兵か一般か不明)突撃章を授与され、伍長勤務上等兵で分隊長を務めていた。

Der liebe Verstorbene wurde geboren am 1. Juni 1908 in Nordhorn.
 愛しく威信ある故人は、190861日にNordhorn:ノルトホルンに生まれた。

In soldat. Pflichterfüllung u. heldenmütig.
兵役中、剛勇で任務に忠実であった。

Einsatz gab er als gläubiger Christ am 13. Juli 1944 bei den schweren Kämpfen in Rußland sein junges Leben in die Hände seines Schöpfers zurück.
 1944713日、ロシアでの激しい戦闘に於いて、忠実なるクリスチャンとして、その若い命を神に召された。 (享年36歳)

 Nordhorn:ノルトホルンは、ニーダーザクセン州のオランダ国境近くにある街で、デュッセルドルフの北に位置する。




Johann Kulzerの追憶カード

Gebets - Andenken
祈り-記憶

Johann Kulzer

ヨーハン・クルツァー

Stabsgefr. In einem Inf.-Regt.
ある歩兵連隊所属の本部付上等兵

Schuhmacher von Kronwieden
Kronwieden:クロンビーデン(ミュンヘン北東の街)の靴屋

geb. am 27. Oktober 1915 in Großköllnbach
191510月27日、Großköllnbach:グロースケルンバッハ(ミュンヘン北東の街)に生まれる。

gef. am 19 November 1944 in Holland
1944年11月19日、オランダで戦死 (享年29歳)

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が1mmで、横は1mmである




表裏表紙

上で紹介したFranz Kandlbinderの追憶カード同様に、”Mater Dolorosa:悲しみのマリア”の絵がある。

 十字架に磔されたキリストと悲しみのマリア(聖母)の組み合わせは、息子を失った母の想いと言う意味に於いて、万国共通のものと考えられる。


 画像右の”Mater Dolorosa:悲しみのマリア ”はGuido Ren:グイド・レーニの油彩である。

 グイド・レーニ(1575-1642)は、17世紀前半のバロック期、イタリアのボローニャ派に属した画家で、ラファエロ風の古典主義的画風が特徴である。

 画像左は十字架上のイエスであるが、下の”Consummatum est:全てが終わった”は、最後の言葉とされている。


 


Franz Gloggerの追憶カード

 このカードも半切サイズで、遺影の下には神への言葉が書かれている。

FRANZ GLOGGER:フランツ・グロッガーは、山岳猟兵であったが、具体的にどの山岳師団に所属していたのかは、防諜上の理由からこのカードには記載されていない。

山岳師団は数が限られているので、死亡地の記載があれば、ある程度所属師団が特定出来るのだが・・・。

 遺影は36年型野戦服に、角型肩章を付けている事から、戦争末期に編制された8番以降の山岳師団では無いと仮定し、更に生誕地から転居していないとすれば、第Ⅶ軍管区に属する1.Gebirgs-Division:第1山岳師団の可能性が高い。
 第1山岳師団は1944年の10月にはセルビアにいたが、11月に南方軍集団の第2装甲軍に配属され、1945年3月までハンガリーのバラトン湖で激戦を繰り広げている。


 このカードのサイズは、縦が116mmで、横は72mmである。


 


表紙

FRANZ GLOGGER
フランツ・グロッガー

Schriftsetzer
植字工

Obergefreiter in einer Gebirgsj. – Abtlg.
ある山岳猟兵大隊の兵長

geboren am 9. Juli 1922 in Donauwörth
 192279日、ドナウヴェルトに生まれる。

geftorben am 20. Dezember 1944 an den Folgen feiner schweren Verwundung in einem Reserve-Lazarett
 19441220日、戦闘中に受けた重傷による加療中、予備-軍病院に於いて、治療の甲斐なく死亡した。 (享年22歳)

 ドナウヴェルトは、ミュンヘンの北西(バイエルン州シュヴァーベン行政管区)にある街で、リヒテンシュタイン公国のリヒテンシュタイン家の発祥の地でもある。


 
Hermann Fremgenの追憶カード

Hermann Fremgen
ヘルマン・フレムゲン
Gefr. In einem Panzerjäger-Regiment
ある戦車猟兵連隊の上等兵
geboren am 22. Okt. 1925 in Weingarten (Pfalz),
gefallen am 17. Jan. 1945 bei Ebenrode i. Ostpr.
19251022日プファルツのヴァインガルテン生まれ
1945117日オストプロイセンのエーベンローデで戦死
(享年19歳)

 所属がPanzerjäger-Regiment:戦車猟兵連隊とあるが、戦車猟兵は通常Abteilung:大隊編制である。
連隊となると656.Panzerjäger-Regiment:第656戦車猟兵連隊があったが、同部隊は1945年1月にオストプロイセンにはいなかった。

 第656戦車猟兵連隊は、1943年6月8日に第4装甲師団の第35装甲連隊本部、第653重戦車猟兵大隊を第Ⅰ大隊、第654戦車猟兵大隊を第Ⅱ大隊として、ニュルンベルク北方のBamberg:バンベルクで編制された。同連隊は、Tiger:ティーガーやPanther:パンター戦車のみならず、Ferdinand:フェルディナントやJagdtiger:ヤークトティーガーをも有する部隊として知られている。

 ヘルマン・フレムゲンの写真は、彼が1945年に19歳で戦死しているにも関わらず、1939年に廃止された襟に縁取りのある戦車搭乗服を着用しており、肩章にも戦車猟兵を示す”P”の刺繍が無い。
 これは、上記の様に特別な部隊で、オープントップでは無い戦車、若しくは駆逐戦車に搭乗していたと考えれば、ありえない話では無いのであるが、最後まで第656戦車猟兵連隊に所属していたとなると、辻褄が合わなくなる。
 このカードの真贋を好意的に見れば、大隊を連隊と誤記したとか、転属先の部隊が1945年1月にオストプロイセンにいたと言った解釈もあるのだが・・・
 因みに、彼が第4装甲師団に戻っていたと仮定した場合、1944年にKurland:クアラントから脱出し、1945年1月はヴェストプロイセン
(西プロイセン)に再配置されていた事になる。





表裏表紙

 右ページ(おそらく表表紙)には、細い線の十字架と共に
Das Letzte
heißt nicht Tod,
sondern
Auferstehung.
 最後には、死では無く復活が訪れる

Und am Ende steht
nicht Verlust, sondern
Ewige
Vollendung
des Lebens.

 そして最終的には喪失では無く、永遠の命を得る事になる

と、キリスト教の死生観が書かれている。

 この二つ折りカードのサイズは(見開きの状態)、縦が126mmで、横は141mmである

 
”アルブレヒト・デューラー”と”ドイツ・ルネッサンス”

 Albrecht Dürer:アルブレヒト・デューラーは、ドイツのみならず北欧ルネッサンスの代表的な画家である。
 1471年にニュルンベルクに生まれ、1528年に同地で没しているが、描画の他に版画家・数学者でもあった。
 文学に於けるゲーテに比する大画家で、ドイツ美術の代表的作家と評されている。

 13世紀以降の都市の発達により、15世紀初頭のイタリアで始まったルネッサンス文化は、人間が評価の基準になったと言う意味において、近世の始まりとも言われている。
 当時経済や社会的基盤の脆弱だったドイツでは、ルネッサンス文化が始まった時期も15世紀末と遅れているが、これには北方ゲルマン文化の特性も影響していると考えられている。

 しかし、15世紀末になると、経済活動の盛んだったイタリアとフランドル地方を結ぶ通商路の要として、また鉱山採掘の発達もあり、南ドイツの経済活動は急速な発展を遂げた。
なかでも、アウグスブルクとニュルンベルクの繁栄は著しく、封建制から解放された自由で裕福な市民層の自覚を基盤に、教会や君主以外の為に作られた新しい美術が誕生したのであった。
 こうした中で、宗教画にも新しい精神で描かれる物が登場した事から、後の宗教改革とルネッサンス運動には深い関係性があると言う見方もある。

 
 
追憶カードの注文書

 


 史料提供 Schmidt氏


”追憶カードの注文書”

 これは追憶カードを注文する際に使用した写真と、写真の裏側に添付された注文書である。
 ”Erinnerungsabzeihen:伝統部隊徽章”である”Schwedteradler:スウェーデンの鷲”を、野戦帽に付けた陸軍伍長の写真は、画像の様に階級袖章が修正鉛筆で消され、襟と肩章にはトレッセが、胸元には二級鉄十字章のリボンが加筆修正されている。
 伍長昇進後の写真が家族の元に無かったための措置と思われるが、右側の注文書に写真のサイズ、トリミングや修正項目が記載されている。

 

Schwedteradler:スウェーデンの鷲

 “スウェーデンの鷲(Schwedteradler)”…いわゆる“ドラゴン・イーグル”は「シュベータァ竜騎兵」と呼ばれた第1ブランデンブルク竜騎兵連隊・第.2大隊によってもとは着用されていた。

 この“鷲が剣を抱え、爪で王笏を握っている”金属または光沢のない金色の記章は『国王と祖国のために神は共にあらん』という古いプロシアのモットーを表しているそうで、1921年にこの記章は第6騎兵連隊の連隊幕僚及び第2大隊に…更に1926年にはその名誉は同連隊の第4大隊にも受け継がれた。

 1933年までにこの記章を着用する部隊も再編成が度々行なわれることになるが、19371012日には第3オートバイ偵察大隊にもこの名誉が与えられることになる。

 大戦中は第15装甲師団・第33装甲偵察大隊で着用されることが多かったようである。

 
 
併合前のオーストリアで作られた追憶カード

 


 史料提供 日高氏

”カトリーヌ・ユンガー婦人”の追憶カード

 1924年6月18日、Frau Kathorina Junger:カトリーヌ・ユンガー婦人はAchdors家の主婦として67歳の生涯を閉じた。

このカードは、追憶カードがカトリック教徒の風習であって、軍人特有の物では無い例として掲載した。

 


 史料提供 日高氏

 
”カトリーヌ・ユンガー婦人”の追憶カード

 この追憶カードの表紙はカラー印刷で、図柄の中央には羊が描かれている。

 キリスト教では「さまよえる子羊」と言う表現があるように、羊は従順な信者を表しているので、故人が敬虔なクリスチャンであった事を示しているものと思われる。

 


 史料提供 日高氏

”エンゲルベルト・ドルフース博士”の追憶カード

 Dr. Engelbert Dollfuß:エンゲルベルト・ドルフース博士は、オーストリア第一共和国時代の政治家で、首相在任中の1934年7月25日にオーストリア・ナチス第89連隊所属の党員10名により暗殺された。

 このカードには、名前の下にBundeskanzler:連邦首相の肩書きが記載されているが、肩書きが名前の上に記載された物も存在する。

 なおこのカードに使用されている写真は、1933年のタイム誌の表紙を飾った写真でもある。

 
 


 史料提供 日高氏

表裏表紙

 右ページ(おそらく表表紙)には、Van Dyck:ヴァン・ダイク作の「十字架上のキリスト」が印刷されており、その下には十字架上のキリスト「最後の7つの言葉」の第1の言葉

Vater, verzeih ihnen, denn sie wissen nicht, was sie tun !

「父よ、彼等を赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているかわからないからです。」

と、ある。

 そして、左ページには、信仰心や教会での祈りについて記されているが、1934年7月28日にウィーンのカルデナル教会行われた教会行事についての記述があるので、それよりも前に配られたと考えると、下で紹介している8月6日の葬儀時の物とは別に、恐らく個人葬が行われた際の物ではないかと思われる。

 


 史料提供 日高氏

 
”連邦首相エンゲルベルト・ドルフース博士”の追憶カード

 こちらのカードにはBundeskanzler:連邦首相の肩書きが名前の上に入っているので、1934年8月6日に行われた、連邦首相としてのエンゲルベルト・ドルフースの葬儀のために作られた物であろう。




 史料提供 日高氏 

 
表紙

 このカードの表紙には、十字架に磔されたキリストの肖像と、以下の文字が印刷されている

Mein Jesus, Barmherzigkeit !

私はイエスの意のままに!

300 Tage Ablaß, jedes mal. Pius X. 1911

300日の免償  教皇ピウス10世 1911

 
”エンゲルベルト・ドルフース”

 Engelbert Dollfuß:エンゲルベルト・ドルフース(1892年10月4日~1934年7月25日)は、オーストリア第一共和国~オーストリア連邦国の政治家である。

 ドイツのN.S.の影響を受けたファシズム勢力が拡大しつつあった、政情不安定なオーストリアで1931年に農林大臣として初入閣し、1932年5月20日にキリスト教社会党、護国団、農業党連立政権の首相となった。

 第一次世界大戦で敗戦したドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国は、共に帝国を解体され、多くの領土を失い、巨額の賠償に苦しめられていたが、特にオーストリアは主要工業地帯の大半を失っていたため、経済的に困窮していた。

 そのような状況下、オーストリアの独立よりも、大ドイツ主義的併合も良しとする勢力を拡大しつつあったのである。
 しかし、ドルフースはカトリックの保守的価値観を持っており、プロテスタントの侵入を嫌い、オーストリア自立を主張して、共産党やオーストリア・ナチスを非合法化するなどの強行姿勢を貫き、イタリア王国のベニート・、ムッソリーニをモデルとした独裁体制を構築した。

 ドイツでヒトラー率いるN.S.が政権を摂った1933年には、政権支援のための祖国戦線を組織し、キリスト教社会党と護国団を統合した。

 国内での政情不安が続く中、1934年4月には新憲法を公布、5月に施行しカトリックと中世ドイツ的伝統に支えられた新しい国家体制の確立を目指し、国名もオーストリア連邦国と改称したが、7月25日に首相官邸を襲ったオーストリア・ナチス第89連隊の10名の党員に射殺された(7月一揆)。

その後紆余曲折はあったものの、最終的には1938年3月13日、オーストリアはヒトラーのドイツにアンシュルス(併合)されたのは周知の事実である。

 

 


 史料提供 日高氏 

報道写真より

 これは、連邦首相エンゲルベルト・ドルフース博士の葬儀の様子を伝えた当時の報道写真である。

 配信された写真は何故か裏焼き(左右逆)であったので、本稿では修正してある。

 裏面には葬儀の日付が1934年8月6日、配信日は同8月10日となっている。

 海外向け配信のため、キャプションは英文表記となっている。

 
おわりに

 外交手段の一つに戦争がある。そして、政治が自国の国益を踏まえた上で戦争を選択した時には、国防を担う軍が戦闘行動を行う。
 戦闘行動は、任務遂行上従軍した将兵が命を失う事もある。また、戦争の状況によっては多くの民間人がその生命を奪われる事も周知の事実である。

 第二次世界大戦では、ある統計によると、ドイツ、オーストリア、その他の国のドイツ人の合計82,650,000人から、延べにすると約18,2000,000~20,000,000人が国防軍や準軍事組織に従軍し、行方不明及び捕虜として死亡した数を含む戦死者の合計は、4,300,000~5,300,000人とされている。
 そして更に、多くの民間人も惨禍に見舞われ、1,500,000~3,500,000人の尊い命が失われた。

 国籍や官民を問わず、全ての戦没者に哀悼の意を表します。

        
ホームに戻る
図書館トップヘ
資料館トップへ

本サイトに掲載されている文章及び画像の 無断転載はお断りします。Copyright 2014 STEINER

23.Aug.2014 公開
11.Nov,2016 増補改定

  inserted by FC2 system