ここでは、戦時中のドイツ軍の野戦食を様々な資料と写真で紹介します。
    
 
はじめに
 
本コンテンツでは、製パン中隊に引き続き、屠殺中隊の写真を紹介する。
 
屠殺中隊と屠殺精肉加工中隊
この中隊もドイツ軍の他の中隊の例にもれず、所属する師団によって様々な編制の部隊が存在した。
一般的には獣医が中隊長を務め、屠殺される家畜が食用に適しているか否かを検査判断し、解体精肉された物や様々な加工品の品質検査も行 なっていた。通常の屠殺中隊の能力に関しては、一日当たり肉牛であれば40頭〜55頭、豚の場合は80頭〜120頭、羊であれば240頭を加工処理する事 が出来た。これはレーションに必要とする肉の量に換算すれば牛40頭であれば約40、000食分、豚80頭でも20、000食分に達する量で、家畜さえ順 調に補給されれば缶詰などを併用する事で充分な食肉を師団の兵士達に供給する事が可能であった。
屠殺中隊も製パン中隊同様、許される限り安全な後方地域に展開し、清浄な水と作業に使える家屋がある事が望ましいと規定されてはいた。
 
  
屠殺中隊
 
野戦で牛を解体している屠殺中隊。
 
この部隊は車両整備中隊並の移動式クレーンを装備しているが、全ての屠殺中隊がこの様な贅沢な装備を所有していた訳では無く、チェーン ブロックや滑車等で作業していた部隊も決して少なくなかった様である。
 
この写真もキャプションが一切無いので確信は無いが、戦車師団や自動車化歩兵師団に所属している屠殺中隊なのかもしれない。
屠殺中隊
 
屠殺精肉加工中隊は通常の屠殺中隊には無い機材を多く持ち、精肉加工処理等もその任務としていた。
 
中隊本部は中隊長として将校1名、下士官5名、兵5名の11名からなり、第一小隊は将校1名、下士官5名、兵43名の49名、第二小隊 は小隊長を務める下士官1名、下士官5名、兵50名の56名から編制されている。
 

他にも、一個小隊編制の屠殺中隊の編制例もあり、こちら中隊長(将校一名)以下将校2名、下士官9名、兵士58名、計70名編制 となっており、乗用車1台、オートバイ、サイドカー各1台、肉を運ぶ専用車両を二両、3,5tトラック4両、兵員輸送車1両、挽肉機一台等を装備してい た。


 
陸軍第19戦車師団所属の屠殺中隊
 
(写真提供滝口氏)
屠殺中隊
 
これは陸軍第19戦車師団所属の屠殺中隊の写真である。
 
屠殺中隊は基本的に家屋を接収して作業する事が望ましいとされていたが、東部戦線ではなかなかその様に上手く建物が確保出来なかった事 も多かった。
 
この写真はログハウスの様な建物を解体作業及び解体した肉の保管庫として利用しているところを撮影した物であるが、手前の兵はチェーン ブロックで吊るした牛?の内蔵を取り出している。
 
フィールドグレーの作業着にゴム引きのエプロン姿が興味深い。

 
第23屠殺中隊
 
(写真提供滝口氏)
屠殺中隊
 
これは馬を解体する屠殺中隊員の写真であるが、ドイツ軍の兵站部マニュアルには”馬”は出ていない。
 
おそらく怪我等で処分された馬であろう。
 
写真の左隅に写っている人物は将校である事から、彼がこの屠殺中隊の中隊長かもしれない。
 
中隊長は通常獣医が務め、家畜等が食用に適しているか否かを判断していた。
 
背景に建物が写っているが、屋外作業をしなくてはならない事情があったのであろうか。
 

 
第23屠殺中隊
 
(写真提供滝口氏)
屠殺中隊
 
上の写真と連続して撮られたショットである。
 
将校用略帽を被った獣医が、解体中の馬の内臓を調べている様である。
 
元来食用として補給された畜類でも検査は行なわれていたが、この様な場合には一層慎重な検査が望まれたと思われる。
 
左隅の兵の手にはナイフが持たれているが、意外と小さいのが印象的である。
 
撮影時期等は定かでは無いが、軍装から1941年より前の、戦争初期ではないかと思われる。

 
(写真提供Pucki 氏)
出来あがったソーセージ:wurstと記念撮影。
 
手前の兵士達が持っているのは腸に詰められたソーセージであるが、左から二番目の兵士が皿に盛って持っているのは脂身の様である。更に 白い帽子を被ったセーター姿の兵士は食肉の大きな切り身を肩に担いでいる。
 
この写真もキャプション等が一切無いので、屠殺中隊員なのか各部隊の炊事の担当兵達なのかはわからないが、左端の下士官候補生の着てい るのが戦車搭乗服の様に見えるのが興味深い。
    
   
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27.Mar.2002 公開
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