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今回は、野戦におけるドイツ兵の糧食の中心を担っていたコミスブロートと、それを製造していた製パン中隊に付いて紹介する。コミスブ ロート:Kommissbrotはいわゆる軍用パンの総称であり、形や大きさには結構バリエーションがあった事が写真等で確認できる。これらの軍用パンは 通常はライ麦パンの事をさしていて、常温でも保存できる様に硬めに焼かれていた。 野戦等では師団の管理部隊:Verwaltungs
Truppeに配されていた製パン中隊:Baeckereikompanieが製造していたが、場合によっては中隊単位でパン焼き釜を作って製造する事も
想定されたいた。 |
陸軍第123歩兵師団 第123製パン中隊 (1941年の東部戦線) (写真提供滝口氏) |
野戦兵站部:”Der Feld- verpflegungsbeamte”の1942年版マニュアルには管理部隊の編制や展開に付いての記述もあり、製パン中隊に付いて も数種の編制例が図示されている。 自動車化された製パン中隊の編制図では、中隊長(将校1名)以下中隊付き輜重隊長1名(将校1名)、下士官22名、兵108名から構成 されている。 パン焼きトレーラーは第1小隊に2両、第2小隊に3両配備されており、この第1小隊と第2小隊の下士官は上級パン焼き兵と記され、各パ ン焼きトレーラーに2名が配されていた。小隊の兵はパン焼き兵と補助員からなり24名(3個分隊)編制になっていた。 |
陸軍第93歩兵師団 第193製パン中隊(1941年の東部戦線) (写真提供滝口氏) |
製パン中隊の輜重部隊には、小型工作車を装備する修理部隊や給水車、大型のフィールドキッチン等も装備されていた。 製パン中隊は所属する師団の食の中心を担っており、通常は比較的安全な後方地域に展開していたが、戦局によっては通常の兵士同様武器を 取る事もあった。 写真はパン生地を練るミキサーと製パン中隊員を写したものであるが、15000人分のパン生地を毎日作るとなると、この様な設備も当然 必要となる。 こう言った写真を見ると、製パン中隊が大型発電機を装備していたのもうなずける。 |
陸軍第93歩兵師団 第193製パン中隊(1941年の東部戦線) (写真提供滝口氏) |
これも上の写真と同じ製パン中隊の写真で、陸軍第93歩兵師団所属の第193製パン中隊を写した物である。 撮影は1941年のロシアであるが、上の写真とは異なりパン焼きトレーラーを入れる小屋をきちんと設営してある。部隊の移動速度が速い 時はなかなかこの様な設営も困難であった事だろう。 トレーラーの手前には作業台用の馬が置かれ、燃料用の薪が積み上げられているが、こうしてみると燃料用の薪の確保もかなりの作業であっ た事が想像出来る。 |
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野戦でパンを製造している製パン中隊。 写真には樹木で偽装されたパン焼きトレーラーと、製パン中隊の兵士達が写っている。製パン中隊は師団の食の中心を担っていた為、通常は 安全な後方地域に展開していたが、師団線区が安定していない場合はこの写真の様に厳重なカモフラージュが施された。 写真の右手前にはシートと樹木でカモフラージュされた、原材料のライ麦が入れられた布袋が写っている。 |
陸軍第19戦車師団所属の製パン中隊員 (写真提供滝口氏) |
これは焼きあがったコミスブロートを運ぶ陸軍第19戦車師団所属の製パン中隊の兵を写した写真である。このパン焼き兵は30kg前後は あると思われるコミスブロートを板に載せて運んでいるが、生成りのコットン製初期型作業着の肩に、肩を痛めない様にパッド状の物が付けられているのが興味 深い。また、この兵の作業着を良く見ると、右腰の貼り付けポケットの上に大きな継ぎ接ぎがあるが、日常的に火を使う為に焦がしたのかもしれない。余談では あるが、この作業着は前線では目立つのでフィールドグレーのヘリンボーン生地で作られた物が採用されてからは徐々に新型に更新された。 |
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