ここでは、ドイツ軍の背嚢と衣嚢の中身を展示しています。
   

はじめに
 
 ここでは、ドイツ陸軍の背嚢と衣嚢の中身を紹介する。
 一般兵の荷物は背嚢と衣嚢に全て収まる範囲に制限されていた。(被服に関しては一部が部隊管理とされており、段列で管理される物もあった。)
 

 コレクター向けの書籍等では、兵士の私物に沢山のアイテムが掲載されている物もあるが、前線の兵士に関しては携行すべき物を背嚢と衣嚢に収納した後に、空いたスペースがあれば携行できたにすぎない。
 
 そこで、まず規定を見ると、背嚢には規定外の物を入れる事に関する記述は無く、事実規定通りの物を入れると、その他の物は殆ど入らない。
 
 一方衣嚢に関しては規定上、作業着とズボン下、クラーゲンビンデ(脱着式カラー)と靴下、その他に嗜好品等を入れる記されている。したがって、いわゆる私物は主に衣嚢に入れていたと思われるが、衣嚢にも左程空きスペースがある訳では無い。
 
 嗜好品に関しては、実際に携行可能なサイズで、且つ当時の兵隊が身近に持っていた物をチョイスして紹介するが、ここに紹介した物以外は携行していなかったという話では無い。
 
   


39年型背嚢:Trnister39の中身
 
39年型背嚢
 
 画像は行軍時の背嚢を再現した物であるが、パレード装の時は、背嚢に巻いたコート(マンテルロール)を縛着するのでは無く、毛布とツェルトバーンを巻いた物を縛着する。

 また、画像では背嚢と蓋の間にツェルトバーンを挟み込んでいるが、背嚢にAフレームを装着した場合には、ツェルトバーンの代わりに毛布を挟み込んだり、毛布をロール状にして背嚢に縛着し、折り畳んだコートを背嚢と蓋の間に挟み込む場合もあった。



 
 
マニュアルより
 
 背嚢の梱包に関する解説は、 や”REIBERT”などに掲載されているが、図版に関しては旧型のままで更新されていない。このマニュアルでも背嚢は1915年型、飯盒の図は1910年型飯盒で、下の説明で1931年型飯盒に触れている。
 1934年には新型背嚢が導入されたが、34年型背嚢や39年型背嚢も内容物に大きな変化は無かったため、イラスト化はされなかったようである。
 図版の上、蓋の裏側の袋部分の両サイドには、”Rasierzeug:シェービング用品、Handtuch, Hemt, Wasch-u. Nähzeug in Beuteln gleichmäßig verteilt : タオル、シャツ、袋に均等に入れた洗面具とソーイングキット”。
 左上から”Unter Kochgeschirr und Schuhen: Stmpf : 飯盒と靴の下に靴下を敷く”。
”Im Schuh: Bürste, Auftragbürste:靴の中にはブラシ、塗布用ブラシ”。
”Kochgeschirrhülle
: 飯盒カバー”。
”Zeltleine : テントロープ”。
”Manter gerollt:巻いたコート”
”Im Kochgeschirr a.A Zwiebackbeutel *) : 旧型飯盒の場合は中に乾パン袋”。
”Im Schuhcreme, Putzlappen : 靴の中には靴墨とウエス”。
”Gewehrreinigungsbeutel : 小銃クリーニング袋”。
”Fleischkonserve : 肉の缶詰”。

 図版の下の説明は、ツェルトバーンは背嚢と同じ大きさの正方形に折り畳み、背嚢本体と蓋の間に挟み込む。
*)31年型飯盒の場合は、乾パン袋は飯盒の下の空間に入れる。と記されている。

 


 
 
背嚢の梱包状態
 
 上の図版を参考に梱包した39年型背嚢。
実際に背嚢の梱包を行うと、規定の物を入れるだけで一杯になり、編上靴の中に靴磨き用品を入れる理由が理解できる。



 
背嚢の中身
 
 画像の上段左より コート用ストラップ、編上靴、靴磨き用品一式(ブラシ3種、靴墨、ウエス)、シャツ、洗面用具(タオル、櫛、鏡、石鹸、シェービングブラシ、シェービングソープ、髭剃り)。
中段左より、マンテルロール、39年型背嚢、小銃用クリーニングキット、裁縫道具セット。
下段左より、毛布、靴下飯盒カバーに入れた31年型飯盒、肉の缶詰(200g)、乾パン袋(200g)、ツェルトバーンテントロープ
 
編上靴と靴磨き用品

 編上靴を背嚢に収納する際には、靴磨き用品を靴の中に入れ、足首の部分を画像の様に内側に折り込む。
 
 こうする事で、中に入れたブラシ類が外に出てしまう事を防げると共に、背嚢内のスペースも有効に使う事ができる。
 
靴磨き用品
 
 靴磨き用品は、靴の汚れを落とすブラシ、靴墨を塗るブラシ、磨き用のブラシ、靴墨、ウエスで構成されている。
 
 画像ではウエスの上に3種類のブラシがあるが、上から磨き用、靴墨塗布用、汚れ落とし用である。
 
 右の黒い紙箱は靴墨である。
   
31年型飯盒と飯盒カバー
 34年型背嚢では、背嚢の中に飯盒を入れるためのカバーが付けられていたが、39年型背嚢では飯盒カバーは別パーツとなった。
 
 飯盒カバーは、背嚢の中で編上靴などと擦れて飯盒の塗料が剥がれる事を防ぐためで、飯盒をAフレームに装着する際には使用しない。
 
34年型小銃用クリーニングキット
 
34年型小銃用クリーニングキットの収納缶の内部は2室に分けられていて、片方にはモップ状の紐の束が入れられ、もう片方には汚れを落とすブラシと、オイルを引くブラシ、銃身内にブラシを通すためのチェーン、オイラー、薬室内等をモップで清掃する際や、弾倉分解用の工具にもなる栓抜き状の工具が収められている。

画像の左上より、収納缶、栓抜き工具。
下段左より、モップ、オイラー、チェーン、クリーニングブラシ、オイラーブラシである。
 
 
 
洗面用品
 
 画像上段左より、 アルミ製の櫛、歯ブラシ、シラミ用の櫛
下段左より、髭剃り、シェービングブラシとケース、シェービングソープ(アルミケースに棒石鹸が入る)、石鹸(ケース)、携帯用鏡、これらの下に敷いているのはタオルである。
 
 これらは基本的に私物のため、当時の民生品が多く、バリエーションも多く存在する。
 
裁縫道具セット
 
 裁縫道具セットには、針と糸、スペアボタン類、安全ピンなどが入っている。

 これは入営前に自分で揃えておく物のリストに入っており、入営後は酒保で購入する事もできた。
 



携行食(半食):Halbeiseren Portion
画像は行軍時等に指示があった時に喫食する携行食(半食)で、内容はツヴィーバック:Zwiebackという乾パン(200g )と肉の缶詰(200g)で、ツヴィーバックはツヴィーバックボイテル:Zwiebackbeutelという袋に入れられている。
 
 このセットは各自1セットを背嚢かAフレームバッグ、もしくは雑嚢に入れて携行していた。
 
因みに携行食(全食):Eiseren Portionは、ツヴィーバックが250gで、肉の缶詰の他に乾燥野菜150gと、コーヒー25g、塩25gで構成されており、乾燥野菜と塩はスープ等に調理して供された。
 
ハンカチ
 
 戦前の資料にはハンカチが収納物リストに書かれている物もあるが、39年版のリストには無い。
 
 もしかすると、ハンカチは手を拭くものではなく、鼻をかむものであるから、洗面用品の中に含まれているのかもしれない。
 
 2枚支給されているので、洗濯済みの1枚を背嚢に入れていた可能性は否定できない。

31年型衣嚢 : Bekleidungssack 31 の中身
 
 
 
衣嚢の中身
 
 衣嚢には、作業着ズボン下、クラーゲンビンデ(脱着式カラー)と靴下、その他に嗜好品等を入れるとされていたる。





品目指定の衣嚢の中身
 
 画像左から、作業着上下、中央が衣嚢、右上から、クラーゲンビンデ、ズボン下、靴下である。その他に嗜好品等に関しては、下で紹介した様な物を、各自が選んで入れていた。
 
 
タバコ
 
 タバコは当時の兵隊達の嗜好品の代表格と言える。その日の分は、野戦服のポケットに入れて携行していたが、前線では支給分以上のタバコをいつでも購入できる訳では無かったので、余剰分は衣嚢などに入れていた。
 画像は5種類の紙巻タバコとマッチであるが、葉巻やパイプタバコ等も同様である。
 
野戦郵便用品
 
 外地の兵隊達にとって、無くてはならない心の支えが家族や恋人との野戦郵便であった。
 
 携帯電話やパソコンが無かった当時、兵隊達と家族や愛する人をつなぐ連絡手段は、通常この野戦郵便しかなかった。 したがって、お互いの近況ははおろか、その安否を知る手段として、野戦郵便が果たす役割は大きかった。
 
 当時、家族や恋人などがら郵便がもらえない兵隊のために、B.D.M.などが前線の兵隊と文通をするボランティアがあった事からも、野戦郵便の重要さ加減が分かる。
 
 野戦郵便には、葉書、封書、小包などがあったが、家族などから兵隊に送る際には、各中隊に付された”野戦郵便番号”を記せば、実際の所在地が分からなくても届くシステムになっていた。
 
 画像は、野戦郵便用の便箋と筆記具である。これらの物品も酒保品として購入できた。
 
娯楽用品
 
 カード類。
 
 トランプカードやスカートカードは、当時の兵隊達に人気のアイテムであった。
 
 画像のカードはスカートカードで、慰問品として支給された物である。
 
 慰問品も多くの酒保物品同様に免税対象だったので、納税済みスタンプは押されていない。
 
娯楽用品
 
 携帯用のボードゲーム。

 この手のボードゲームも人気があった。画像は携帯用のチェスで、おそらく旅行用品であったと思われる。
 
 小型で軽いので、兵隊達が余暇を過ごす際に使われていた。
 

娯楽用品
 
 兵隊歌ポケット歌集。
 兵隊歌は、行軍時にもしばしば歌われたが、娯楽としても歌われていた。
 この兵隊歌集については「ドイツ軍の軍歌集(兵隊歌集)」のコンテンツを参照されたい。

 

娯楽用品
 
 ハーモニカとハーモニカ譜。
 
 ハーモニカは、手軽に携行できる楽器として、兵隊たちに親しませていた。
 
 開戦後は、クリスマス用の慰問品としても選ばれており、兵隊達の心を癒したものと思われるが、勿論全員が持っていた訳ではない。
 
 画像のハーモニカは、1941年と1942年のクリスマス慰問品で、紙箱の裏面にはクリスマス用慰問品を示すスタンプが押されている。
 
 
  
       
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28.Oct.2019 公開

  
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