今回は、SSの迷彩ツェルトバーンの中でFパターンと呼ばれている迷彩の物を紹介する。 このツェルトバーンには迷彩生地の生産方法と裁断に関する興味深いヒントが見られるので 私なりの仮説を立ててみた。一般的に通用している定説とは多少異なる部分もあるので、あくまで私の意見と言う事で理解して頂きたい。なお、本コンテンツを 制作するにあたり、貴重な資料や助言を下さったschmidt氏に感謝の意を表します。 |
上のツェルトバーンのアップだが、ライトグリーンのパターンにダークグリーンの輪郭線が はっきり見えるのが、このFパターンの特徴である。A・Bパターンが影を意識した迷彩で、パターン自体が大きく生産性が悪かったのに対し、Dパターン以降 の迷彩パターンは輪郭線をぼかすタイプの迷彩パターンが主流になっていく過程で、敢えてこの様なはっきりした輪郭線をプリントしたパターンが作られている 事は興味深い。しかも、上の画像でわかる様に、この輪郭線は実際少し離れてしまうと殆ど見えなくなってしまう。 |
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これは前回紹介したEパターンであるが、こうして比べて見るとFパターンとの違いがわ かってもらえるだろう。Eパターンは1940年ないしは1941年頃から生産されていた事が確認されているので、FパターンはEパターンのバリエーショ ン、または改良型とする説もある。確かにEパターンは4色のプリントで作られているのに対し、Fパターンは3色のプリントで作られているので、省力型と言 う見方は出来るかもしれないが、後に現れる44年型迷彩はリバーシブルでは無いが5色と色数が増えている。 |
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これは一番上に掲載した画像の右下の部分のクローズアップだが、新しい生地で補修されて いる。結構丁寧な補修で裏側などはEパターンの生地も使われていたりするので、当時の補修かと思われるが、金具迄は付けられていない。補修されてからは 洗った感じが無いので、補修中に終戦を迎えたのかもしれない。このツェルトバーンを扱ったディーラーの所在地がツェルトバーンの工場と近くと言う事実は単 なる偶然か?。 |
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ここからがこのページの主題なのだが、まずは画像の赤い線の部分を見て貰いたい。これは 一番上の画像のツェルトバーン左半分のセンターよりのクローズアップだが、迷彩パターンが不自然に途切れている感じする。ローラープリントの為に約 45cmでパターンが繰り返しになるのは仕方の無い事だが、デザイン的に見て他の場所では繰り返しがわかりにくい工夫がしてあり、この部分はどう見ても作 為的であり、ある目的があったと考えた方が自然に思える。そこで思いついたのがここは本来裁断線だったのでは?と言う考えだが、もう少し観察と考察を続け てみよう。 |
そもそも裁断する理由であるが、既製品の原反とそれから作る製品の巾が違うと言うのが最 も理解しやすい。当時使われていた綿の原反巾は140cmと言われており、事実迷彩スモックの袖のツナギ目は原反巾の関係で出来ていると考えられる。(多 くの迷彩スモックは130cm前後のところで袖が繋ぎ合わされている。)ツェルトバーンの場合は底辺が約2m50cmなので縫い代の折り返しを含めて考え ても巾が130cmの生地から作る事が出来る。切り落とされた巾10cmの生地は、ツェルトバーンの秋側の周囲の補強布(巾65mm)に丁度良い。 |
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ところが、上の画像では私が裁断線と考えたパターンの中心からツェルトバーンのセンター の縫製部分まで約20cmあり、更に裏側を見ると例のパターンは同一個所には無く、逆側の端部にプリントされていた。迷彩パターンの位置に関しては布の方 向を逆にすればこの様な結果になるので、プリント工場のミスと言う事も考えられるが、20cmを切り落とすとなると原反巾に関しては定説になっている 140cmでは足りなくなってしまう。実際問題ツェルトバーンの高さ方向が使用する綿布の長さなので10cmの切り落としで三角形の全周に補強布を施す事 は不可能で、他の製品の端切れを使ったにしてもロスが多かったのではないだろうか?。 |
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また、このツェルトバーンのパターンを良く見ると画像の様にセンターの繋ぎ目の左右で同 じパターンを見つける事が出来、しかもそのパターンのずれ方からは例の裁断線の位置に来ると思われるパターンが完成品に現れない様に裁断出来る事も確認出 来る。そもそも原反と言っても繊維製品は織機の許容範囲内であれば特注生産が可能で、大量発注するこの様な装備品の場合は新しい規格の物が作られた可能性 は極めて大きい。おそらく当時の原反巾が140cmであるとの記述が合った資料は、現存する原反の巾を計った結果の物と思われるが、実際には原反巾には種 類があり、例えば迷彩スモック用とツェルトバーン用では異なった巾の原反が作られていたとか、更に生産性を考えて巾の広い原反も作られていた可能性もある のでは無いだろうか?。 |
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この画像は1950年代のドイツのプリント工場のイラストであるが、1940年代もおそ らくあまり変わらぬ設備を使用していたと思われる。ローラープリントの機械はこの様に一度に多色刷りが可能ではあったが、リバーシブルで表裏のパターンを あわせるとなるとそれなりの職人技が必要だったのだろう。以前染色関係の人に聞いた話では、両面プリントの迷彩生地の生産はかなり高度が技術が必要で、現 在の日本の技術では作る事が難しいとの事であった。 今回の観察と考察では当時の原反巾が定説の物だけでは無く、他にももっと巾の広い物が作 られていた可能性を提起しただけにとどまってしまったが、私は140cm以上の巾の原反の存在等もあったのかもしれないと考えている。実際にはその様な原 反が発見されれば簡単に結論が出る事なのだが、現状ではなかなか難しいかもしれない。これら迷彩プリントに関する研究は、兎角現存するアイテムに偏重しが ちだが、生産方法等を含めた視点での考察も意外と面白いと考えている。 |
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