このページでは、親衛隊の将校用バックルを 紹介します。
   
はじめに

SS(親衛隊)では、初期にはSA(突撃隊)のベルトバックルが使用されていた (ただしベルトは黒革製)が、1920年末に独自のデザインの物が使用されはじめた。これはアドルフ・ヒトラーがデザインした物であったが、最終デザイン は1927年O.L.C.(Overhoff & Cie)社によって提出され、1931年に制式採用となった。初期に作られたバックルはニッケル合金製、またはアルミ製で、後に亜鉛合金や鉄製の物も作ら れたが、他に礼装用として銀製の物も作られた。なお、このページで紹介する3ツの初期型のバックルはPucki氏のコレクションで、この様に貴重なアイテ ムを貸してくれた氏には、この場で感謝の意を表します。

   
SS将校用ベルトバックル
   
 

 Pucki氏コレクション
黒革製のベルトとバックル
 
黒革製の将校用ベルトとアルミ製バックル。
SSの将校用ベルトは下士官・兵用のベルトと同じく、裏側で長さを調整する様になってい る。このベルトの長さ調節穴は25mm間隔で6個となっており、通常の下士官・兵用ベルトの20mm間隔、7個穴より大まかな作りになっている。
 Pucki氏コレクション
ニッケル合金製バックル

これはO.S.G社製のバックルで、本体の直径は49mm、1935年頃まで作ら れていた極初期型である。デザインは写真のように、国家鷲章の下に”Meine Ehre heisst Terue !”(忠誠こそ我が名誉!)の文字を配した物で、陸軍の”GOTT MIT UNS”(神、我らと共に)とは異なる。
写真左が裏側の刻印のクローズアップだが、RZM、SS、の他にメーカー名を示すOSG の文字が確認出来る。

 Pucki氏コレクション
アルミ製バックル
 
上のニッケル合金製バックルとほぼ同じ作りであるが、材質がアルミに変更されている。資 料によると、ニッケル合金のバックルは1935年迄生産されていたという事なので、材質がアルミに変わった当初のタイプかと思われる。裏側には、RZM、 SS、の他にメーカー名を示す刻印があるが、詳細は不明。
 Pucki氏コレクション
アルミ製バックル

これはO.L.C.(Overhoff & Cie)社製のバックルで、本体の直径は49mm、もっともスタンダードな作りで、材質がアルミから亜鉛合金に変更された後も同じ作りになっている。写真 左が裏側の刻印のクローズアップだが、RZM、SS、の他に生産年を表す39やメーカー名を示すOLCの文字が確認出来る。ベルトバックルなどのメーカー コードはダブルコードとなっており、O.L.C社のRZM.Nrは27番だが、バックルの契約番号は写真の様に36番になっている。

  
ディティール
  
 

 
バックルの取り付け金具
 
バックルの取り付け金具はこの様にベルトにフィットするように湾曲した形状になってい る。
また、今回紹介したバックルには無いが、この長さ調節が出来る金具がバックルに付いてお らず、バックル本体がベルトに付いた金具に取り付けられていた物もある様である。
 

 
ベルトとバックルの関係
 
バックルはこの様にベルトに付けられる。一部の国内資料にはSS将校用ベルトバックルは 外れやすい為、陸軍将校用ベルトをしていた云々と言う様な記述があったが、実際には下士官・兵用ベルトと比べても決して外れやすいと言う事は無い。むし ろ、戦地では高価なバックルをしなかった、若しくは取り付け金具が戦闘装備にはデリケート過ぎたため、と言う方がリアリティがあるように思う。

 
斜革を付けた状態
 
初期においては、他の党組織同様にSS将兵も斜革を使用していた。
これは元々拳銃などを携行する際にベルトがずり落ちない為の物であったと思われるが、 1940年以降は殆ど使用されなくなった様である。
斜革のディティール
 
この斜革はオーストリア製である事が刻印から確認出来る。画像では見にくいが、 WOGERBAUER WIEN 1938と打刻されている。
”2”はサイズを表している物と思われる。
またナス環金具の方にはGAの刻印がある。このGAと言う刻印は水筒の吊り下げ用のナス 環金具にも見られる刻印で、Mendenの”Gebrueder Albert,”社の意。
    
続  き を 見 る
   
   
ホームに戻る
資料 館トップへ

本サイトに掲載されている文章及び画像の 無断転載はお断りします。Copyright  2000  STEINER

17.Jan.2000 公開
08.Jul.2000 改定
  
   inserted by FC2 system