本コンテンツでは、前線で使用する最も一般的な携帯用食器「31年型飯盒(戦争初期): Kochgeschirr 31」を紹介する。 31年型飯盒は、その生産時期によりパーツの材料や塗装色に変更が加えられたが、メーカーによりパーツの在庫状況に差があったり、同じ作りの飯盒で塗装色のみの変更もあったので、本コンテンツでは1940年製までの物を戦争初期の飯盒(あくまで型では無い)とし、1941~1943年製を中期の飯盒、1944~1945年製を後期の飯盒と区別する事とした。 本コンテンツを制作するにあたり、貴重なアイテムを取材させて下さった堀内氏、クラウゼのオーナー山下氏に、この場であらためて感謝の意を表します。 |
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StW 1939年製 | |
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1930年代前半にドイツ軍は歩兵装備を一新しており、1931年には新型の雑嚢、水筒、飯盒等を採用している。 飯盒は第1次世界大戦時に使用されていた1910年型飯盒よりも35mm背が低くなり、当初はフィールドグレーに塗装されたアルミ製の物が支給されていた。また、ドイツ軍の場合は飯盒と言っても米を炊く訳では無く、中身を温める事に使える野戦用食器として使用されていた。 写真の飯盒は1939年製で、オリジナルのフィールドグレー塗装が比較的良く残っている。 |
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31年型飯盒は写真の様にキャリングハンドルの付いた本体と、折畳式のハンドルが付いた蓋がセットになっていて、本体は前述の様に中身を温める事が出来る食器、また蓋の方はフライパンにもなる皿として使用されていた。 容量は本体が1.6リッター、蓋の方は0.5リッターとなっている。 全高150mm、巾160mm、厚95mm キャリングハンドルは鉄製の太さ3mmの針金を曲げて作ってあり、写真の様なアルミダイキャスト製の取付け金具と共にアルミ製リベットで飯盒本体に固定されている。 また、この飯盒本体には下の画像の様に3段階の目盛がプレスされているが、これは500ccの目盛になっており、1.5リッターまでの計量を行う事が出来る。 因みに日本の飯盒には、米を炊く時の水加減を示す目盛がプレスされているが、目盛は2合炊きと4合炊きの2段階である。 |
画像左:飯盒本体の上端部のクローズアップである。 飯盒本体の上端部はこの様に折り返してあり、補強と切り口の処理を兼ねた作りになっているが、アルミニュウムは柔らかいので、現存する飯盒には変形している物も少なくない。 画像左下:飯盒本体のキャリングハンドル基部。 アルミダイキャスト製のパーツが、同じくアルミ製リベットで取り付けられている。 画像下:飯盒本体内側から見た、キャリングハンドル基部。 画像中央に見える2つ並ぶ円形が、本体とキャリングハンドル基部を取り付けているリベットである。 |
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飯盒本体のキャリングハンドル基部には、メーカーコードと製造年が打刻されている。 製造メーカーと製造年は、飯盒の蓋のハンドル基部にも打刻されており、出荷・納品時には一致しているが、現存する物の中には本体と蓋の刻印が一致していない物があり、コレクター間では一致している物をマッチングと言って区別している。 しかし、異なるメーカーで作られた本体と蓋がピッタリと合う事自体、当時のドイツの規格と製造技術の高さを示す事例とも言えよう。 |
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キャリングハンドルは、この様に取り付け基部のパーツの穴を通した針金を曲げているだけの簡単な物であるが、下で紹介している38年製のHRE社製の飯盒では、この部分の針金が溶接留めされている。 しかし、同じくHRE社製の飯盒でも、1941年製の物では溶接が施されていない事から、溶接の有無はメーカー差では無く、製造年による仕様変更の可能性が高いと考えられる。 |
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フライパンや皿として使用された飯盒の蓋。 底部に段を付ける事で、補強リブの役割を果たしている。 この飯盒の折り畳み式ハンドルは、オールアルミ製で、そのマウント部はアルミリベットで蓋に固定されている。 飯盒の蓋に付けられているハンドルとそのマウント部には、飯盒を携行する時に使用する飯盒用ストラップを通す為のホールやループが付けられているのが特徴である。 飯盒用ストラップと飯盒の携行法は”31年型飯盒の携行法”のコンテンツを参照されたい。 |
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蓋のハンドル基部に打刻された、メーカーコード”StW”と製造年”39”の刻印。 StWは、”Stocko, Metallwarenfabrik OHG,Wuppertal”の略で、ヴッパータール(地名)にあった、シュトッコ金属製品製作合名会社の意。 ”Wuppertal:ヴッパータール”は、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属すルール地方の工業都市で、鎮痛剤アスピリンを製品化した事で有名な”Bayer AG:バイエル社”発祥の地(当時は”I.G. Farbenindustrie AG:イーゲー・ファルベンインドゥストリー”で、本社はフランクフルト・アム・マイン)や、VEVOタイプ徽章で有名な”VEVO社”もこの地にあった。 |
画像左:ハンドル基部のクローズアップ。 基部には飯盒用ストラップを通す為のホールが設けられており、先端部に付けられたループと2点で飯盒用ストラップと固定される作りになっている。 画像左下:ハンドルの先端部。 飯盒用ストラップを通す為のループ金具。 画像下:ハンドルの先端部。 ループ金具もリベットで取り付けられている。 |
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HRE 38年製 | |
取材協力:堀内氏 |
取材協力:堀内氏
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31年型飯盒:Kochgeschirr 31 元はフィールドグレーに塗装に塗装されていたこの飯盒、本体には全面に彫金が施されているが、勿論これは製造段階で彫られたものではない。 こういったアートの施されたアイテムは、 海外では人気があり、コレクションの一つのジャンルになっている。 図柄は、正面に飯盒の所有者のイニシャルK.F、その右上方には”GRAUDENZ”:ポーランド、クヤヴィ=ポモージェ県の都市名(ワルシャワから北西へ200km、グダニスクから南へ100kmの位置で、ヴィスワ川のほとりにある)その下にエーデルヴァイスの花とシールド章、さらには”1945”の文字が彫られており、裏面にはブドウとワイングラスの図柄が彫られている。 1945の文字から、もしかすると終戦後捕虜生活を送っている最中に、故郷を想いながら彫ったものかもしれない。 |
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この飯盒の蓋と本体には、”HRE 38”の文字が打刻されている。 ”HRE”は、”C.W.Motz u. Co., Brandenburg an der Havel”のメーカーコードで、”38”は1938年製の意。 因みに、メーカー名の後半”Brandenburg an der Havel”は、会社(工場)の所在地を示しており、この場合はハーフェル川沿いのブランデンブルクを指す。 この様に地名に川(河)の名称が使われるのは、同一名の都市等を区別する為で、フランクフルトもヘッセン州にある方を、マイン河畔(Frankfurt am Main)、ポーランド国境近くのブランデンブルク州にあるフランクフルトは、オーダー川沿い(Frankfurt an der Oder)と区別している。 |
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CFL 40年製 | |
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1940年になると、31年型飯盒の蓋に付けられたハンドルとその基部は、アルミニュウム製から鉄製に変更された。 これは、他の装備でも行われた変更で、航空機製造等に不可欠だった、アルミニュウムの消費を抑える為の方策だったと言われている。 また、塗装色もフィールドグレーから、ブラックグリーンに変更された。この変更に関する規定は未確認なので、具体的な日付は不明であるが、スチールヘルメットの塗装色も1940年にフィールドグレーからブラックグリーンに変更されている。 また、上の画像で飯盒本体に水平方向の線が並んでいるのが確認出来るが、これは塗料の付きを良くする為に、本体表面に極浅い溝加工を施してあるからである。 ただし、この溝加工は全ての飯盒に施されていた訳では無い。 |
この飯盒の本体には、支給された兵の物と思われるイニシャルがある。イニシャルは釘のような先の尖った物で書かれた簡単な物で、使用痕跡のある飯盒には良く見られる。 これは、前線等では給食の際に分隊毎に飯盒をまとめて取りに行く事があり、他の装備以上に他者の物と混ざってしまう可能性が高かった為と考えられる。 |
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ディティール この飯盒の刻印。 蓋のハンドル基部(画像左)と、本体キャリングハンドル基部(画像右)には、メーカーコードと製造年が打刻されている。 ”CFL”は、”C.Feldhaus,Aluminium-und Metallwerke,Lüdenscheid”の略で、”40”は1940年製を示す。 |
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VDNS 40年製 | |
取材協力:クラウゼ |
取材協力:クラウゼ |
この飯盒も1940年製で、ブラックグリーンに塗装されている。上で紹介したCFL 40年製の飯盒同様、蓋のハンドルと基部は鉄製に変更されている。飯盒自体に大きなへこみ等は無いが、塗装は60~70%残といったところか。そもそもアルミニュウム自体塗料の付きが悪いものの為、使用するとすぐに塗装が剥がれてしまった様である。 したがって、現存する飯盒の中には、戦後にリペイントされた物もあるが、この飯盒はオリジナル塗装である。 |
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取材協力:クラウゼ |
取材協力:クラウゼ |
この飯盒の刻印。 蓋のハンドル基部には、メーカーコードと製造年が打刻されている。 VDNS 40 :Vereinigte Deutsche NickelWerke, AG Schwerte (もしくは Nickel und Stahlwerke) 1940年製 このメーカーは、スチールヘルメットのメーカーでもあり、ヘルメットにはNSの文字が打刻されていた。 |
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この飯盒の刻印。 本体のキャリングハンドル基部にも、メーカーコードと製造年が打刻されている。 この飯盒も、蓋と本体の刻印は一致しており、所謂マッチングである。 |
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