ここでは、戦争初期の歩兵科小銃分隊の基本 的装備の装着法を展示しています。
  
  
 
歩兵科小銃分隊の標準的な野戦装備例(1939年〜1940年頃)
 
 
はじめに
 
ここでは、戦争初期(1939〜1940年頃)の、歩兵科小銃分隊の基本的野戦装備の装 着例を紹介する。第2次世界大戦時のドイツ歩兵師団の場合、小銃分隊と言っても、火力の中心はMG34やMG42等の軽機関銃であった。各分隊には分隊長 以下、機関銃手を含む機関銃兵と小銃兵がいて、機関銃手以外の機関銃兵達は弾薬運搬手の役割を担い、小銃兵達は機関銃の掩護役も兼ねていたのである。
ちなみに1939年までの標準的小銃分隊は、分隊長を含む13人編成で機関銃兵は4人、 1940年からは9人編成で機関銃兵は3人となっていた。
 
 
下士官(分隊長)
 
この画像は、1939〜1940年頃の前線における下士官の装備例である。
下士官の火器というと、MP38やMP40の様な短機関銃が使用されていたと思われがちであるが、これら短機関銃が、一般歩兵部隊の下 士官に行き渡ったのは1941年になってからの事で、開戦当初は下士官も、Kar98kなどの小銃を携行していたケースが多かった。
この装備例ではウエストベルトに、小銃用弾薬盒と書類ケース(マップケース)を付け、Dリング付き重装備用サスペンダー(以降Dリング付きサスペンダーと 記す)で吊っている。また、首からは6×30の双眼鏡を下げ、右肩には懐中電灯を付けている。
 
野戦装備
 
これは、上の画像の下士官の後姿である。1939年4月18日に採用された、Dリング付 きサスペンダーを付けた状態で、ウエスとベルトに飯盒と水筒を付けた雑嚢と、銃剣を吊っている。
この画像では、各装備の位置関係がわかりやすい様に、ガスマスクコンテナを省いてある が、付けた状態は下の方を参照されたい。
なお、装備類は、移動時や戦闘中などの状況に応じて、様々に増減されていた。
特に戦闘行動に入る時は、不必要な装備を外した方が身軽に動けるので、その時々の状況を 指揮官が判断し、装着する装備を決めていた。
 

機関銃手
 
これは、分隊火器MG34の射手の装備例である。
ウエストベルトには、機関銃用工具ケースと、P−08用ホルスターを装着している。
襟元から左脇に布製のストラップが写っているが、これはガスマスクコンテナに付けられて いる、キャリングストラップである。開戦当初は、このストラップに、毒ガス攻撃を受けた場合に被る、ガスシートを入れた袋、ガスシートケースを付ける事と されていた。(ガスシートケースを付けた状態は下の画像を参照されたい。)
 
小銃兵・機関銃兵
 
この画像は、いわゆる小銃兵・機関銃兵の装備例である。
ウエストベルトの左右には、小銃用弾薬盒を付け、それをDリング付きサスペンダーで吊っ ている。また、この兵はウエストベルトに24年型柄付き手榴弾を1本差し込んでいる。
胸にある長方形の袋は、ガスシートケースであるが、これはガスマスクコンテナのストラッ プに通している。この携行法は規定通りの方法であるが、実際にはかなり鬱陶しいので、兵達には不評であった。
1939年のポーランド戦、1940年の西方戦役、1941年のバルバロッサ作戦時の写 真では、まだこの規定通りの着用例が見られるが、戦争中期以降にはガスマスクコンテナに装備用ベルトで巻き付けている兵が多い。
 
野戦装備
 
上の画像の小銃兵の後姿。Dリング付きサスペンダーで吊ったウエストベルトには、水筒を 付けた雑嚢と、銃剣及びスコップが装着されている。また、肩からはガスマスクコンテナを下げている。
ライヒスヘーア期には、水筒は雑嚢の左側(体の中央より)に吊る事とされていたが、2次 戦時のドイツ軍の場合は、写真の様に右側に吊っている場合が多い。これは、当初携行している小銃などとぶつかる事を避けるために、中央よりに付けていた水 筒が、車両などの座席に座るのに都合が悪かったために変更されたにではないかと思われる。(ただし、写真などでは単一部隊でも、水筒を左右バラバラに吊っ ている兵士が混在するものもある。)
 
野戦装備
 
上の画像の装備に加えて、ウエストベルトに装備用ベルトでツェルトバーンを付け、雑嚢に は飯盒を付けた状態。これはAフレーム導入前や、Aフレームが支給されなかった部隊では、良く見かける装着方法である。
ツェルトバーンや飯盒は、戦闘自体使用しない事が多いので、戦闘前に背嚢と共に輜重部隊 などに預けるケースもあったが、輜重部隊を伴わない小隊以下での行動時や、戦闘の状況によっては、各自が携行して行動していた。
 
野戦装備
 
上の装備例に、MG34用の予備銃身ケースを加えた状態。通常この予備銃身ケースは、機 関銃手以外の機関銃兵が携行していた。
また、機関銃兵は通常装備以外に、300発入り弾薬箱2箱を携行した。
 
野戦装備
 
これも、Aフレームを使用しないで、飯盒とツェルトバーンを携行する装備例の一つであ る。
Dリング付きサスペンダーの、3本のパーツをつないでいる、Oリングに装備用ベルトで、 飯盒とベルトを吊り下げ、更にサスペンダー垂直方向の部分と、装備用ベルトで、飯盒とツェルトバーンが揺れない様に固定している。この装着法は、自分では 飯盒やツェルトバーンを外せない欠点があるが、重心が腰だけに集中しない利点がある。
 
野戦装備
 
この画像は、1939年にDリング付きサスペンダーと共に採用された、Aフレームに飯盒 とツェルトバーンを装着した装備例である。
Aフレームは、歩兵用の戦闘用簡易背嚢として開発採用され、戦争中期頃までの基本装備と して、あらゆる戦場で使われていた。
採用は1939年で、順次歩兵部隊に支給が開始されたが、1939年9月のポーランド戦 では、まだ全部隊に行き渡るには至っていない。写真などで見る限り、1940年の西方戦役から、1942年の東部戦線あたりの、標準的戦闘装備例であった と思われる。
ただし、在庫は支給使用が続けられため、1943年以降での使用例も多数確認出来る。
 
野戦装備
 
この画像は、Aフレームに軍用毛布を付けた状態を示す。Aフレームは簡易背嚢として、毛 布及びコートを装備用ベルトを用いて装着する事が出来た。
また、長さの余った装備用ベルトの先端は、写真の様にまるめてベルトのループに通して固 定した。
   
 
今回は、開戦当初の歩兵科小銃分隊の、基本的野戦装備を紹介したが、戦争中期以降の装備例や背嚢を付けた行軍装備、重機関銃分隊、支援 部隊、また、他の兵科の装備例などは、また改めて紹介する事とする。
 
  
   
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10.Dec.2003 公開
  
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