ここでは、Aフレームを使用した、歩兵の基 本的装備の装着法を展示しています。
   
はじめに
 
ここでは、Aフレームを使用した、歩兵の基本的な野戦装備の装着法を紹介する。第一次世 界大戦までの歩兵は、その性格上身の回り用品の多くを自分達で携行する事が求められた。ただし、これは戦線がある程度固定されていた場合には、左程問題と はならなかったが、戦線が大きく移動する場合には兵に対する負担も大きく、移動速度にも影響を及ぼしてしまう。第二次世界大戦が始まるまでのドイツ軍で も、歩兵には背嚢が用意されており、コートや毛布、セーター等の防寒具や替え下着、靴等の被服類や携行食糧、飯盒等の食器類や洗面用具等の日用品も、各自 で携行して行軍出来る様に考えられていたが、これは機動戦には不向きである為、これらの装備類は戦闘部隊に付随して移動する輜重兵が運ぶ事が多かった。し かし、この方法も戦闘部隊と輜重部隊が分断された場合には、戦闘部隊は個人装備の多くを使用出来ない状況下に置かれてしまう欠点があるので、いわゆる行軍 装備とは別に最低限の個人装備を各自が携行出来る野戦装備の考え方を導入した。ここで登場したのがAフレームで、これは携行食やセーター、テントロープ、 小銃用のクリーニングキット等を収納出来る小さいバッグ(Aフレームバッグ)と、飯盒及びツェルトバーン、場合によってはコートや毛布も装着出来る様に なっていた。
 
   
1941年頃の歩兵の標準的装備
   
 
 
 
1941年頃の歩兵の標準的な野戦装備例
 
これは、ウエストベルトとDリング付きサスペンダーに装着された一般的な歩兵の装備例である。ドイツ軍の装備は、ウエストベルトとDリ ング付きサスペンダーを中心に装着出来る様に作られており、これらの脱着は、ウエストベルトのバックルを外すだけで行なえる利点はあったが、歩行時には装 備がぶつかり音が出る欠点もあった。また、この写真ではガスマスクのコンテナ及びガスシートが除いてあるが、これらも含めた装備の装着画像は、各部隊の装 備例のコンテンツで紹介する。
また、タイトルに1941年頃と入れたのは、Dリング付きサスペンダーとAフレームが1939年の採用だったため、1939年のポーラ ンド戦や1940年の西方戦役では、まだ支給されていなかった部隊が多かったからである。
 
 

 
ウエストベルトに装着する装備
 
ウエストベルトには、写真の様に小銃用弾薬盒、雑嚢と水筒、スコップと銃剣を装着した。これが短機関銃を装備した兵であれば、弾薬盒が マガジンポーチに、機関銃手であれば機関銃用工具ポーチと拳銃用ホルスターに、といった具合に変化する。
これらは基本的に全てループにウエストベルトを通す事で装着されており、ウエストベルトを外さないでも脱着出来るのは雑嚢と水筒、初期 の小銃用弾薬盒だけである。
こうして見ると、ある程度重量のある装備はウエストベルトに吊ってある事がわかると思うが、これだけでは野戦服のベルトフックに掛かる 負担が大きく、サスペンダーで吊る方式が取られていた。
 
 

 
Dリング付きサスペンダーを加えた状態
 
サスペンダーで吊る事で、装備の重量を肩にも分散させ、且つ野戦服のベルトフックに掛か る負担も軽減する事が出来ている。しかし、この装備の携行法は、装備重量の重心は低く徒歩行軍時にはある程度疲労を抑える効果はあったものの、装備の上部 で吊り下げている事から、激しい動きには装備に遠心力が働き、兵の動きを制限するという欠点もあった。
 

 
Aフレームを加えた状態
 
これで、飯盒とツェルトバーン、テントロープや携行食、セーター等を入れたAフレーム バッグを装着する事が出来る。
 

 
野戦装備
 
AフレームにAフレームバッグ(写真ではツェルトバーンに隠れて見えない)飯盒とツェル トバーンを付けた状態。
これで、ガスマスクコンテナが加われば野戦装備の完成である。
 

 
野戦装備
 
上の装備例を裏返した状態。
裏側から見ると、AフレームにAフレームバッグが付けられているのがわかる。これら各装 備・装具のディティールは、各コンテンツを参照されたい。
   
   
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02.Feb.2003 公開
  
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