ここでは、柏葉付騎士鉄十字章と柏葉剣付騎士鉄十字章の 展示をしてい ます。



はじ めに

本コンテンツでは、”柏 葉付騎士鉄十字章:Eichenlaub zum Ritterkreuz des E.K.”と、”柏葉剣付騎士鉄十字章:Eichenlaub mit Schwertern zum Ritterkreuz des E.K.”を紹介する。
今回のコンテンツを制作 するにあたり、貴重なアイテムの取材をさせて下さった、クラウゼの山下氏と、コンテンツ内の柏葉章を授与された、エーリヒ・ロイター陸軍中将の特定及び略 歴、キャプションに関して様々なアドバイスを下さった、きたむら氏にあらためて感謝の意を表します。
 
騎士鉄十字章のランクと 制定時期

騎士鉄十字章は、 1939年9月1日にヘルマン・ゲーリングによって制定されたが、翌年の西方戦役後に於いて既に騎士鉄十字章を授章した将兵に対し、更に高位の勲功章を制 定する必要が生じ、1940年6月3日には柏葉章が、追加制定された。
そして、1941年6月 の対ソ開戦後、7月15日には柏葉剣章と柏葉剣ダイアモンド章が追加制定され、更に戦争の長期化に伴い、1944年12月29日には黄金柏葉剣ダイアモン ド章が追加制定された。

   
柏 葉付騎士鉄十字章
Eichenlaub zum Ritterkreuz des E.K.

 取材協力:KLAUSE
柏 葉付騎士鉄十字章
Eichenlaub zum Ritterkreuz des E.K.
 
1940年6月3日に追 加制定された騎士鉄十字章で、既に騎士鉄十字章を授与されている将兵に対しては、騎士鉄十字章に加えて佩用する柏葉章が追授された。

柏葉章は、画像の様に3枚の柏葉が重なったデザインであるが、
柏葉は1813年に最 初に鉄十字章を導入したプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻ルイーゼ王妃を記念したものとされる。

また、柏葉は
幸運の印 としても親しまれていたが、ドイツの国樹(オウシュウナラ)の葉であると同 時に、この国樹自体が産業の振興により 決められた経緯に由来する。

柏 葉付騎士鉄十字章は、資料に よって若干異なるが、ドイツ全軍で、882名、スペイン義勇部隊将官1名、ルーマニア陸軍将官3名、フィンランド軍将官1 名、ベルギー人義勇部隊将校1名に授与された他、日本海軍将官2名にも授与されている。






 取材協力:KLAUSE

柏葉
章:Eichenlaub
 
この柏葉章は、21mm ×19mm×厚さ3.5mm。本体は、鋳造一体成形の銀塊で、表面 は梨子地仕上げ。中央の葉脈とエッジ部分は磨かれている。

一般的に柏葉章以上の授与式では、ヒトラーから直接賜与され、空軍将兵の場合は授与後に ゲーリングの謁見を受ける慣わしがあった。
騎士鉄十字章と同様に、撃墜機数が授章基準となっていた、空軍戦闘機パイロットの例でみると、戦争初期には40機、対ソ戦が始まり、東部戦線に於いては1941年9月には 60機、11月には80機、1942年8月には100機、1943年には150機と引き上げられた。(騎士鉄十字章の基準の2倍)
また、西部戦線での基準は上記とは異なり、1942年に概ね60機が
受章基準とされた。

因みに画像の柏葉章は、
1945年1月21日に全軍で710番の柏葉章受章者となった、エーリヒ・ロ イター中将の物。


 取材協力:KLAUSE
柏葉(裏面)
 
裏面は、皿の様に中央が 凹んでいて鏡面仕上げになっている。

センターには騎士十字章とリボンを通す、サスペンションループが蝋付けされている。

裏 面左上部に銀含有量刻印“800”、右上部には勲章メーカー番号”21”(
Gebrüder Godet & Co.)が打刻されて いる。

 取材協力:KLAUSE
 
柏葉
 
サスペンションループは、写真の様に銀製の針金を曲げて作られている。

本章
受章者は既に授与されている騎士鉄十字章のサスペンションループを外し、この柏葉章のサスペンションループに騎士鉄十字章 とリボンを通しで佩用してい た。
 

 取材協力:KLAUSE
銀含有率刻印
 
裏 面左上部の銀含有量刻印“800”のクローズアップ。
これは、銀含有率が800/1000である事を示している。


 取材協力:KLAUSE
勲章メーカー番号刻印

この”21”の勲章メーカー番号刻印は、この柏葉章の生産者が、ベルリンの有名な老舗宝飾商、Gebrüder Godet & Co.:ゴデット社である事を示す。

因みに、ゴデット社のLDOコードは”L/50”であり、”L/21”はPforzheimのForster & Barth社のコードである。

”L/50”では無くて”21”の打刻から、この柏葉章は官給品で、エーリヒ・ロ イター中将が1945年1月21日に授与された物である事を 示唆している。

 取材協力:KLAUSE
柏葉章のケース

このケースにはLDO:ドイツ勲章協会の略の組文字が押されている。 これは、通常柏葉章の受章者が、 私費で追加購入する際の物である。

このケースと上の柏葉章はセットであるが、前述の
エーリヒ・ロ イター中将が、1945年1月21日以降に追加購入した柏葉章 のケースに、授与時の柏葉章を入れていたものと考 えられる。

この章も、他の勲章・戦功章同様に、所持証明書を提示する事で、私費購入する事が出来た。


 取材協力:KLAUSE
ケースに入れられた柏葉

前述の様に、柏葉付騎士鉄十字章は、騎士鉄十字章を受章した者で、さらに戦 功を立てた者に授与されたため、この様に柏葉章だけが手渡された。

通常は、元々騎士鉄十字章に付けられていたサスペンションループを外し、柏葉章のサスペンションルー プ に騎士鉄十字章とリボンを通して佩用した。

ケース内は画像の様に、黒のベルベットが貼られ、中央に設けられた溝に、柏葉章のサスペンションループを差し込める様に作られている。

蓋の裏側にはクッション素材が入れられていて、白のシルク張りとなっている。

 取材協力:KLAUSE

柏葉
章と授章者の写真

写真の人物はこの柏葉章 の受章者、エーリヒ・ロ イター中将:Generalleutnant Erich Reuter である。
1904年3月30日ラ インラントのノイ=ヒュッケンスヴァーゲン:Neu-Hückeswagen bei Remscheid 生まれ。
エーリヒ・ロイターは軍人の家系に生まれ、プロイセンの王立士官候補生学校で10年、更に付属訓練所で2年間の訓練を受けた。
ライヒスヴェーア(ヴァイマールの国軍)の第2歩兵連隊に1922年
入隊後、1924年には士官候補生、1927年には 中尉に任官した。
1932年の中頃には
第 2歩兵連隊の第I猟兵大隊副官、1934年10月には第2歩兵連隊の第14中隊長を務めた
開戦直前はOKH In 6(装甲部隊を管轄する第6課)の一員(大尉)で、その後第2歩兵連隊第I大隊長、1939年11月5日から第50歩兵師団第122歩兵連隊長となり、西 方戦役とギリシャ戦に従軍。
1941年の対ソ戦にも従軍し、1941/1942年セヴァストポリ攻略戦の戦功で、1942年3月には金ドイツ十字章を授章、4月には中佐に昇進し、8 月には騎士鉄十字章を授与された。1942年11月には、OKH/HPA(陸軍人事局)で人事課長、同12月には大佐に昇進、1943年4月には北ウクラ イナ軍集 団(モーデル元帥麾下)副官、第1134旅団長、を歴任し、1944年8月26日に第45歩兵師団司令官に着任し、1944年11月9日に少将に昇進、 1945年には中将に昇進したが、5月に東部戦線で終戦を迎えた。
1955年まで捕虜として過ごし、1989年10月30日ボーデン湖沿いのリンダウで死去。

 受勲歴
 1940年6月8日 : 
二級鉄十字章
 1940年7月6日 : 一級鉄十字章
 1941年9月29日  : 陸軍名誉章
 1942年      : 東部戦線従軍記章
  1942年3月12日 : 金ドイツ十字章
 1942年8月17日 : 騎士鉄十字章
 1943年      : 
クリミアシルト章
 1945年1月21日  : 柏葉章(710番目)

他に、
エーリヒ・ロ イター中将には、陸軍感状、戦傷章(黒)、歩兵突撃章、も授与さ れている。

柏葉 剣付騎士鉄十字章
Eichenlaub mit Schwertern zum Ritterkreuz des E.K.

 取材協力:KLAUSE
柏葉 剣付騎士鉄十字章
Eichenlaub mit Schwertern zum Ritterkreuz des E.K.
 
1940 年の西方戦役に続き、1941年7月15日、 対ソ戦開始に伴って追加制定された騎士鉄十字章で、授与の条件は、柏葉章授章者でさらに戦功をたてた者とされていた。
授与されたメンバーの多くは、各軍の将官であったが、空軍のエースパイロットや、降下猟兵の指揮官、Uボートの艦長、武装SSの戦車長で有名なミハエル・ ヴィットマ
Michael Wittmannの様な将校も含まれていた。

柏葉 剣章は、 ドイツ全軍で159名、外 国人受章者として、日本軍人1 名(山本五十六)の計160名が授与された。

日本帝国 海軍の山本五十六元帥海軍大将(1943年(昭和18年)4月18日戦死)は、唯一の外国人受章者として、戦死後の1943年5月27日に追叙 された。

撃墜機数 という分かりや すい指標があった空軍の戦闘機パイロットの場合、受章基準は東部戦線のみで戦闘した者は200機、西部戦線のみの場合は100機、 両戦線で戦闘した者には150機という機数が一応規定されていた。

 取材協力:KLAUSE
柏葉 剣章:Eichenlaub und Schwertern

柏葉 剣章は、画像の様に柏 葉章の下に、戦功章や従軍記章で馴染みのある、剣を加えたデザインとなっていて、柏葉章の下に横25mm、縦10mmの銀製の2 つの剣が、右側の 剣を手前に40度の角度で、2本の刃が交差したものが追加されている。

ただし、この剣は後付では無いため、柏葉と一体の物として授与され、柏葉章と同様既に授与されている騎士鉄十字章に付けて佩用した。


 取材協力:KLAUSE
柏葉 剣章(裏面)

柏葉の裏面には、
銀含 有量刻印“800”の刻印と、下の画像の”SiLBER”とメーカー刻印” L/50”が打刻されているのみであるが、宝剣は表面同様に図柄が刻まれている。

この柏葉剣章は1941年型と言われる物で、製造はベルリンにあったゴデット社:Gebrüder Godet & Co.製である。

騎士鉄十字章を下げるサスペンション ループは、剣と騎士鉄十字章が干渉する事を避けるため、長めに作られているのが特徴である。




 取材協力:KLAUSE

刻印
 
SiLBERは、銀製を示しているが、” i ”が小文字なのが、興味深い。

L/50は、BerlinのGebrüder Godet & Co.社製を示す。
同社の勲章メーカーNoは、”21”である。

”L/50”の打刻がある事から、この柏葉章が官給品では無く、私費用購入用の物であった事を示す。


 取材協力:KLAUSE
柏葉 剣付騎士鉄十字章(裏面)

柏葉 剣付騎士鉄十字章の裏 側。

騎士鉄十字章が、
柏葉 剣章のサスペンションループに通されている状態を示す。

この画像 で、柏葉剣章 のサスペンションループは、剣と騎士鉄十字章が干渉しないように、騎士鉄十字章 や柏葉章の物よりも縦長に作られていた事が理解出来るだろう。

 取材協力:KLAUSE
柏葉 剣付騎士鉄十字章

このリボンには、
サスペンションループが横方向にズレない様に、黒の糸でループが付け られている。

騎士鉄十字章のリボンについては、佩用者によって
様々な工夫が施されており、このループ自体が、柏葉剣章用の物と言う訳では無い。

しかし、柏葉剣章の場合は、サスペンションループが長めに作られていたので、騎士鉄十字章や、柏葉章のサスペンションループに合わせたリボンでは、左右に ズレやすかった事も容易に想像出来る。

画像の騎士鉄十字章と、柏葉剣章はセットでは無いので、偶然ではあるが、このリボンと柏葉剣章の組み合わせには合理性があるだろう。
   
更に高位の騎士鉄十字章

柏葉
剣ダイヤモンド付騎士鉄十字章
Eichenlaub mit Schwertern und Brillanten zum Ritterkreuz des E.K.

柏葉剣付騎士 鉄十字章と同時の、1941年7月15日に対ソ戦開始に伴い制定された騎士鉄十字章。柏葉剣付騎士鉄十字章授章者のうちでさらに際 立った功績のあった者に対して授与された。
柏葉剣ダイヤモンド章に は、その名の通りダイヤモンドがちりばめ られているが、宝石職人のハンドメイドであるため、物によって石の数や配置が異なり、ダイヤモンド装飾も柏葉上だけのものと剣の 柄にまで施されたものとがあった。
また、柏葉剣章は当初銀製であったが、最初にこの章を授与されたドイツ空軍のエース、
ヴェルナー・メルダースWerner Mölders(1941年7月11日授章)とアドルフ・ガランドAdolf Galland(1942年1月28日授章)の物以降は、プラチナ製となった。更にこの章で はダイヤモンドの輝きを強調するために、柏葉のダイヤモンドを埋め込む部分の穴は貫通させてあり、裏面より光りが入る工夫がされていた。
また
受章者には本物のダイヤモンドの装飾を施した物以外 に、普段用のイミテーションの石を使用したものの2組で与えられた。
全軍を通じて受章者は僅 か27名に過ぎず、同章を最高位の名誉勲章とすれば、その受章確率は1/94,000となり、イギリスヴィク トリア十字章の 1/49,500やアメリカ名誉勲章の1/28,500よりも難しかった。

27名の軍種別内訳は陸 軍が11人、海軍2人空軍12人、武装SSは2人で、全てがドイツ軍 人である。そして階級別内訳だと元帥3人、将官10人、佐官8人、尉官6人と全てが将校であった。


黄金柏葉剣付騎士鉄十字章
Goldenes Eichenlaub mit Schwertern und Brillanten zum Ritterkreuz des E.K.

戦局も押 し詰まった1944年12月29日、既に全等級の騎士鉄十字章を受章し、なおかつドイツ国民の目から見て際立った功 績のあった12名 の軍人に与えるために制定されたナチス・ドイツの最後の名誉勲章。
この12人と言う数は、円卓の騎士に因んだ物で、柏葉と剣は18金製、50個のダイヤモンドがとりばめられていた。


12名に授与される事とされていたこの名誉勲章は、1945年1月1日に大本営でヒトラー自身により授与されたスツーカ大佐こと第 2急降下爆撃航空団司令ハンス=ウルリヒ・ルーデル大佐
Hans-Ulrich Rudelただ一人であった。


最後に


上位の騎士鉄十字章については、柏葉章等を主にした表記と、騎士鉄十字章を主にした表記がありますが、本コンテンツでは、上位の章を主にした表記を使用し ています。

騎士鉄十字章を主にした表記

柏葉付騎士鉄十字章:Ritterkreuz des E.K. mit Eichenlaub
柏葉 剣付騎士鉄十字章:Ritterkreuz des E.K. mit Eichenlaub und Schwertern
柏葉剣ダイヤモンド付騎士鉄十字章: Ritterkreuz des E.K.mit Eichenlaub,Schwertern und Brillanten
黄金柏葉剣付騎士鉄十字章: Ritterkreuz des E.K.mit Goldenem Eichenlaub,Schwertern und Brillanten


  
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24.Jan.2012 公開
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