はじめに 今回のコンテンツを制作するにあたり、貴重なメダルや章記を貸して下さった滝口氏、 PEIPER氏、また、ドイツ軍の指揮官用語をご教示下さった北村氏に感謝 の意を表します。 |
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歩兵突撃章 銀章 歩兵突撃章 銀章は、1939年12月20日に陸軍総司令部の 総司令官で上級大将の、ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ(後に元帥に昇進)によって制定された。 この戦功章の授章対象者は、自動車化されていない歩兵部隊、もしくは山岳猟兵部隊に所属し、軽歩兵兵器を使用して戦闘に参加した者の内、以下の条件を満た した者に授与された。 ○ 突撃に三回以上参加した者 ○ 反撃に三回以上参加した者 ○ 偵察任務に三回以上参加した者 ○ 突撃の際に白兵戦を行った者 ○ 断続的な歩兵戦闘の中で三日参加した者 承認は、連隊本部以上のレベルで行われる事になっていたため、連隊本部発行の章記が多く存在しているが、最初の2個に関しては、1940年 5月28日に、フォン・ブラウヒッチュ自身が授与している。 |
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PEIPER氏コレクション
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歩兵突撃章 銀章 この戦功章は、ベルリンのC.E. Junckerでデザインされたが、多数のメーカーによって、しかも大量に生産されたため、鋳造かプレス成形か、材質、裏側のピンや受具、更にはメーカー ロゴ等の刻印などを含めると、極めて多くのバリエーションが存在する。 基本的なサイズは、高さ63mm、幅が49mmで、材質は当初銀や錫などの非鉄金属合金で作られていたが、後に亜鉛合金で生産されている。 画像の歩兵突撃章は、材質が亜鉛合金に変更される前の、初期に作られたタイプで、鋳造製である。 また、このメダルは、凸レンズのように湾曲した作りになっているが、同じく鋳造製の歩 兵突撃章でも、フラットなタイプも多く作られていた。 |
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PEIPER氏コレクション |
裏側のピンの基部と、ピンの形状。 ピンの取付基部は、このメダルのように別パーツを後付けした物の他、メ ダルと一体成形された物もあり、形状や取付方のバリエーションは多岐に亘る。 |
歩兵突撃章 銀章 これは、プレス製の歩兵突撃章 銀章である。 1940年6月1日、それまでは軽歩兵兵器を使用して戦闘に参加した者とされ ていた授与基準が改定され、歩兵部隊に所属する、重機関銃、歩兵砲、対戦車ライフル部隊の兵士が授与対象に加えられると同時に、武装SSの兵士達にも授与 される事になった。 また、山岳猟兵部隊所属の兵士に関しては、新しく制定されたブロンズ章を授与される事とされた。 |
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歩兵突撃章 ブロ
ンズ章
ブロンズ章の制定は、1940年6月1日である。 銀章の違いは等級では無く、授与対象者の所属部隊の違いである。 ブロンズ章は、自動化歩兵(後の装甲擲弾兵)と、山岳猟兵に対して授与された。 ○ 突撃に三回以上参加した者 ○ 反撃に三回以上参加した者 ○ 偵察任務に三回以上参加した者 ○ 突撃の際に白兵戦を行った者 ○ 断続的な歩兵戦闘の中で三日参加した者 |
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歩兵突撃章は通常写真の様に、左胸ポケットに付ける事になっていた。 写真の陸軍歩兵科伍長の場合、左胸ポケットには歩兵突撃章のみの佩用のため、ポケットの中央に付 けている。 ただし、一級鉄十字章のような、より上位の勲功章を授与された場合には、通常その直下か、バナー画像の様に左下にずらして佩用した。 この写真は野戦帽の正面に兵科色のソータッシェが無い事から、撮影時期は1942年以降の可能性が高いと思われる。 また、着用している40年型野戦服の襟章は各兵科共通、肩章も角形の旧タイプのため、兵科を特定しづらいが、授与されたばかりのような歩兵突撃章がシル バーであるため、歩兵科と判断した。 余談ではあるが、左胸ポケットにはゾルトブーフより大きな何かを入れているようで、はち切れそうになっており、右胸ポケットにも万年筆 が確認出来るほか、ポケットを最大限有効活用しているのが、興味深い。 |
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滝口氏コレクション
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章記 所有証明書 (Dienstgrad) 上等兵 (階級) Wilhelm Jost (Vor" und Zuname) ヴィルヘルム・ヨースト (姓名) 10./I.R.445 (Truppenteil) 陸軍第134歩兵師団・第445歩兵連隊 第III大隊・第10中隊 (部隊:中隊・大隊及び連隊) verleihe ich das Infanterie Sturmabzeichen - Silber - 授与する 歩兵突撃章 - 銀 - Rgt.Gef.Stand, 6. 9. 42
1942年9月6日連隊前線本部にて (場所と日付) サイン (Unterschrift) サイン (署名) (Dienstgrad und Dienststellung) 中佐・連隊指揮官 (階級と職務) |
滝口氏コレクション |
Besitzzeugnis
兵長・伍長勤務上等兵 Georg Müller ゲオルク・ミューラー Infanterie-Regiment 454 9.Kompanie 陸軍第254歩兵師団・第454歩兵連隊 第III大隊・第9中隊 verleihe ich das Infanterie Sturmabzeichen Silber 授与する 歩兵突撃章 銀 Im Felde, den 24. März 1942. 1942年3月24日、前線にて Oberstleutnant u. Regiments-Kommandeur. 中佐・連隊長 |
PEIPER氏コレクション |
章記 所有証明書 Dem Obergefreiten
(Dienstgrad) 兵長・伍長勤務上等兵 (階級) Hermann Niebuhr (Vor" und Familienname) ヘルマン・ニーブーア (姓名:表記上は名姓) Stabskp./G.R.50 (Truppenteil) 陸軍第161師団・第50擲弾兵連隊 本部中隊 (部隊:中隊・大隊及び連隊) verleihe ich das Infanterie Sturmabzeichen 授与する 歩兵突撃章 Im Felde, den 23. 5. 1944 (Ort und Datum) 1944年5月23日、前線にて (場所と日付) (Unterschrift) (署名) Hauptmann u. Rgt. Führer (Dienstgrad und Dienststellung) 大尉・連隊指揮官 (階級と職務) |
章記の”Regiments-Kommander”と”Regiments-Führer”について 軍隊に於ける階級は、給与体系であると同時にその資格を表す物で、その階級によって役職(指揮できる部隊の規模)も規定されている。 しかし、前線で部隊指揮官や司令官が負傷や疾病等で、その職を継続出来ない場合、部隊の”長”が欠員のままでは、部隊の運用上支障があるので、一時的に能 力が認められた者が、その職を代行もしくは代理の形で引き継ぐ場合があった。 したがって、今回のコンテンツで紹介した章記に見られる様に、 連隊の場合では、正規の資格を持って連隊の”長”を務める場合は、”Regiments-Kommander:連隊長”であるのに対し、” Regiments- Führer:連隊指揮官”の方は、mit der Führung beauftragt (略して m.F.b. ):「指揮をとっている状態」を意味し、書き分けられているのである。 また、Führung の前には、「代理で」という用語がつく場合もある。 ロンメル麾下のD.A.K.:アフリカ軍団で、Bayerlein:バイヤーライン大佐はエル・アラメインからの後退戦において、D.A.K.を指揮した が、大佐の階級で軍団指揮官というのは、かなりの例外的措置であったと言える。 本コンテンツ3枚目の章記でも、大尉が連隊指揮官を務めており、これもかなり異例の事であると言えよう。 以下、ドイツ軍の部隊規模ごとに使用される、指揮官の名称を記載しておく。 Gruppen-Führer : 分隊指揮官(分隊長) Zug-Führer : 小隊指揮官(小隊長) Kompanie(中隊) / Batterie(砲兵中隊) / Schwadron(騎兵中隊)-Chef : 中隊指揮官(中隊長) Bataillons / Abteilungs-Kommandeur : 大隊指揮官(大隊長) Regiments-Kommandeur : 連隊指揮官(連隊長) Divisions-Kommandeur : 師団司令官(師団長) Korps / Kommandierenden General : 軍団司令官(軍団長) Panzergruppe / Befehlshaber : 装甲集団司令官(装甲集団長) (Pz.)Armee, Heeresgruppe / Oberbefehlshaber : (装甲)軍司令官、軍集団司令官 上記訳語で、指揮官と司令官の使い分けは、佐官までが指揮官、将官は司令官としている。 また、中隊長以上の場合、正式な指揮官でない場合には Führer が用いられているが、中隊未満の単位で Kommandeur が用いられることはないようである。 |
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