ここでは、1939年と1943年制定の戦車戦章の展示 をして います。
   
 
はじめに
 
今回はPanzerkampfabzeuchen:戦車戦章を ドキュメントと共に紹介する。本コンテンツを制作するにあたり、貴重なアイテムを取材させて下さった滝口氏、G・トーマス氏、PEIPER氏、クラウゼの 山下氏、Military Forceの井上氏、の各位に、 この場であらためて感謝の意を表します。
 
   
Panzerkampfabzeichen 1939 Silber
 
 G・トーマス氏コレクショ ン

戦車戦章1939銀章
 
1939年に制定されたこの戦車戦章は、ドイツ軍の戦車戦章としては、第一次世界大戦時 の物、スペイン内乱に従軍したコンドル軍団用の物に継いで、3番目の物である。
 
デザインはベルリンにあった有名なバッジ・デザイナー、エルンスト・ピー クハウス:Ernst Peekhausによって行われ、陸軍最高司令部:OKHに提出された。そしてそのデザインは、1939年 12月20日に陸軍総 司令官ブラウヒッチュ上級大将:Generaloberst von Brauchitschの承認を得て採用された。
 
この戦功章は、1940年1月1日以降の戦闘に対して授与され、少なくとも3ヶ月間戦闘 に従事、異なる日の3 回以上の戦車戦に参加して、この戦闘中に負傷した者、戦闘中に特別な功績のあった者に対して 授けら れる事とされていた。
 
画像の戦車戦章は、初期から作られていた銀製の物である。


 G・トーマス氏コレクショ ン
戦車戦章1939銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。
 
初期のバージョンは銀章のみで、戦車搭乗員将兵(戦車長・砲手・操縦手・通信手)のために認可されていたが、1940年6月1日から は、戦車以外の装甲車両搭乗員、装甲部隊に所属する自動車化歩兵(装甲擲弾兵)、装甲車両に搭乗した医療スタッフ、の為にブロンズ章が導入 された。

この戦車戦章を授与する権限は、装甲部隊指揮官に委ねられており、通常は紙袋に入れられた物が章記と共に授与された。
 
佩用位置は、通常の戦功章同様左胸で、戦車搭乗服の場合は胴に、通常の野戦服では左胸ポ ケットに付けられた。

ディテール
 
ピンの取り付けヒンジ部のクローズアップ。
 
このメーカーの物としては異例のヒンジとの説もあるが、真偽の程はわからない。
 
メダルの取り付けピンは、受け金具に入れると簡単に外れない様に、基部が内側に曲げられ ている。
 
これでピンは常に受け金具に対してテンションの掛かった状態となる。
刻印
 
Dresden:ドレスデンの”Hermann Aurich社”のメーカー刻印で、”H”と”A”をモチーフにしている。

”Hermann Aurich社”は、勲章メーカー番号”113”を取得していた。
 
刻印の下はピンの受け金具であるが、この金具にもバリエーションが存在する。
 PEIPER氏コレクション
戦車戦章1939銀章
 
画像は通常の戦車戦章であるが、上で紹介したメダルと同一メーカーで作られた物である。
 
戦車戦章も生産時期が後の方になると、亜鉛製、更にそれに銀の塗装を施した物等が作られる様になった。
 
また、戦争の長期化に伴ない、継続的な戦闘に従事した者に対する新たな戦功章の制定が必要となり、1943年6月には更に上級の戦車戦 章の導入が決定された。
 
この新型の戦車戦章には、オークのリースの下部に参加した戦闘の回数がモールドされており、25回、50回、75回、100回の物が制 定された。

 PEIPER氏コレクショ ン
戦車戦章1939銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。
 
同一メーカーの物でも、金具等の作りや取り付け方法が異なるのが興味深い。
 
海外のメダル収集・研究家は、こう言った事例から真贋判定に関する様々な説を発表してい るが、確たる根拠を示している訳では無く、何を信じるかはコレクター自身の判断に任されていると言っても良いだろう。

 PEIPER氏コレクショ ン
ディティール
 
これはピンを上げた状態である。
 
ピン受け金具の上にメーカー刻印が施されている。
ディテール
 
ピンの取り付けヒンジ部のクローズアップ。
刻印
 
この刻印も上の戦車戦章と同じ、Dresden:ドレスデンの”Hermann Aurich社”のメーカー刻印で、”H”と”A”をモチーフにしている。
戦車戦章1939銀章
 
これは違うメーカーで作られた戦車戦章である。
 
このメダルは地中にあった為、表面のモールドの一部が腐食しているが、メーカーによって デザインが微妙に異なる事がわかる。

戦車戦章は、その形状自体が丸みを帯びた物と、このタイプの様に縦方向に細長いタイプがある。

このメダルは銀の塗装が施されたタイプであるが、リペイントされている。
戦車戦章1939銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。
 
表面のモールドが高い部分は、この様に凹んでいる。

また、裏面はオリジナルの銀色塗装の状態。

このメダルの取り付けピンは腐食のため欠損している。
刻印
 
Grunwald:グリュンヴァルトの”Adolf Scholze社”のメーカー刻印で、”A”と”S”をモチーフにしている。

”Adolf Scholze社”は、勲章メーカー番号”95”を取得していた。


戦車戦章1939銀章

Panzer - Kampfabzeuchen (Silber) :戦車戦章(銀)の文字がプリントされた紙箱に入れられた、戦車戦章。

通常授与される戦車戦章は、紙袋に入れられていたので、これは私費購入用に生産された物と思われる。

このメダルも亜鉛鋳造製のバリエーションである。

戦車戦章1939銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。

このメーカーのメダルは裏面がフラットな鋳造製で、比較的大きめの面が取ってあるのが特徴である。

戦車戦章1939銀章
 
これはピンを上げた状態である。

取付ピンのヒンジパーツが上で紹介した物と異なる他、ピン受け金具基部の処理にも違いがある。

ヒンジの下方にはメーカーロゴがモールドされている。

また、このメダルは無塗装で、表面には亜鉛独特の地紋を見る事が出来る。

戦車戦章1939銀章
 
製造メーカーを表す”EWE”の刻印があるが、この”EWE”に付いては、残念ながら詳 細がわか らない。

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939銀章
 
これも亜鉛 鋳造製の戦車戦章のバリエーションである。

このメダルも、上で紹介している
”Adolf Scholze社”のメダル同様、縦方向に細長いタイプである。

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。

上記の
”Adolf Scholze社”のメダル同様、裏側は表面のモールドが高 い部分が凹んでいる。

これは細長いタイプの特徴なのだろうか?。

取付ピンとヒンジには浮き錆が出ている。

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939銀章
 
このメダルの裏側には”1942”の年号と、メーカーを示す”AWS”の刻印がある。

この”AWS”の刻印は、
旧オーストリア領Salzburg”に あった”Arno Wallpach社”の略である。

Arno Wallpach社”の勲章メーカー番号は”108”である。
Panzerkampfabzeichen 1939 Bronze

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939ブロンズ
 
1940年6月1日から は、戦車以外の装甲車両搭乗員、自動車化歩兵(装甲擲弾兵)、装甲車両に搭乗した医療スタッフ、の為にブロンズ章が導入された。

授与に関する条件は銀章と同様で、
少なくとも3ヶ月間戦闘 に従事、異なる日の3 回以上の戦車戦に参加して、この戦闘中に負傷した者、戦闘中に特別な功績のあった者に対して 授けら れる事とされていた。

医療スタッフに関しては、3回以上の戦闘で、負傷した戦車・装甲車両の乗員等を搬送治療した場合となる。

また、装甲部隊所属のオートバイ兵や、戦車を戦場で修理した整備兵等は、銀章を授与される事となっていた。

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939ブロンズ
 
これは上の戦車戦章の裏側である。

上で紹介した紙箱入りの戦車戦章(銀章)と同一メーカー製のため、作りは殆ど同じである。

 取材協力:クラウゼ
戦車戦章1939ブロンズ
 
これはメーカーコードのクローズアップであるが、前述の様に、”EWE”の詳細は現在の ところ判っていない。
Panzerkampfabzeichen 1943 Silber

 取材協力:Military Force
戦車戦章25回銀章
 
戦争の長期化に伴い、ベテランの装甲科の兵士や装甲部隊指揮官に、更に上級の戦功章を与 える必要が生じ、1943年6月22日には下部に参加した戦闘回数が記載された徽章が制定された。

メダルにモールドされた戦闘回数は、25回・50回・75回・100回章の4種類で、従来の戦車戦章と合わせ、5階級、銀とブロンズで計10種類となっ た。

これら回数入りの戦車戦章は、授章基準に達した段階で、更に上級の章を授与される可能性が絶たれる重傷を負った場合には、一級上の章が授与された。

写真の
戦車戦章25回銀章は、ポーランドにあったドイツ軍の基地跡地から発見 された物で、箱に入れられ埋められていたため、表面が若干腐食している。


 取材協力:Military Force
戦車戦章25回銀章
 
これは上の戦車戦章の裏側である。

この回数入り戦車戦章は、メダルの枠の部分と戦車が別パーツで作られている。

画像の右側に”Gablonz”の”Josef Feix & Söhne社”のメーカーロゴ、四角の枠にJFSがモールドされている。

”Josef Feix & Söhne社”の勲章メーカー番号は”49”である。
Panzerkampfabzeichen 1943 Bronze

 取材協力:クラウゼ



 

 取材協力:クラウゼ


戦車戦章50回
ブロンズ
 
紙箱入りの戦車戦章50回ブロンズ章。

画像左は紙箱の裏面である。

箱の下方には”
Rudolf Leukert Gablonz a. N.”のスタンプが押されている。
Rudolf Leukert”がメーカー名で” Gablonz a. N.”が所在地を示している。” a. N.”は”an der Neiße”ナイセ川の近くを意味している。ドイツでは川の名称が地名の表記に良く使われるが、ナイセ川はオーデル川の支流で、現在のポーランド、ドイ ツ、チェコを流れている。
Gablonz:ガブロンツは元々チェコのズテーテンラントにあった都市で、ガラスと宝飾品の生産地として知られており、1938年にドイツに併合された 後、ドイツの勲章メーカーも多くあった。
Rudolf Leukert社”勲章メーカー番号は” 71”である。


 取材協力:クラウゼ
戦車戦章50回ブロンズ
 
1940年6月1日から は、戦車以外の装甲車両搭乗員、装甲擲弾兵、装甲車両に搭乗した医療スタッフ、の為にブロンズ章が導入された事は既に紹介したが、これは1943年6月22日に制定された、回数入の戦車戦章のブロンズ章である。

このメダルは50回の回数が入っており、1943年制定の戦車戦章の上位より3番目のランクである。

1939年に制定された戦車戦章は、当時の陸軍総 司令官ブラウヒッチュ上級大将の承認で制定されたが、この戦功章は、国防軍最高司令官アドルフ・ヒトラーの承認を経て制定されており、戦功章の中でも高位 の物であった事がわかる。


 取材協力:クラウゼ
戦車戦章50回ブロンズ
 
これは上の戦車戦章の裏側である。

このメダルは鋳造製であるが、表面のノールドに合わせるように裏面が凹んだ作りになっているが、パーツの接合部に関しては、強度を保つために厚くなってい るのがわかる。

メダル自体にメーカーロゴなどのモールドは見られないが、箱がセットであるため、メダルも
Rudolf Leukert社”製であると思われる。
   
戦車戦章(銀)の章記
   
 
 
 滝口氏コレクション
 
章記(所有証明書)
 
これは戦車戦章(銀)の章記である。
 
Besitzzeugnis:所有証明書
Dem Gefreiten:上等兵
{Dienstgrad} 
 
Peter Matthies:ペーター・マティース
{Vor und Zuname} 
 
2./schw.Panzer Abteilung 509
陸軍第509独立重戦車大隊・第2中隊
{Truppenteil} 
 
wurde das
Panzerkampfabzeichen
-Silber-
戦車戦章・銀
 
verliehen
O.U. ,den 27.8.1944
1944年8月27日
{Ort und Datum} 
 
Burmester:ブルメスター
{Unterschlift}
 
Major u. Abt.-Kommandeur
大隊長・少佐
{Dienstgrad und Dienststellung}
 
この章記は、1944年8月27日付けで陸軍第509独立重戦車大隊・第2中隊(ティー ガー戦車配備)所属のPeter Matthies:ペーター・マティース上等兵に授与された戦車戦章(銀章)の所有証明書である。
 
この章記では、1944年3月21日に第509独立重戦車大隊長として着任した Burmester:ブルメスター少佐がサインをしている。(着任時は大尉)
 
   
  
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15.Aug.2002 公開
03.May.2011 増補改訂
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