ここでは、戦功十字章:Das Kriegsverdienstkreuz(1939)の展示をしています。 今回のコンテンツを制作するにあたり、貴重な勲記資料を貸して下さった滝口さん、戦功十 字章1939の画像の一部を提供して下さった08/15さんに感謝の意を表します。 |
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写真中央上:剣付騎士戦功十字章(戦闘員用) 写真左上:一級戦功十字章(非戦闘員用) 写真左下:二級戦功十字章(非戦闘員用) 写真中央下:戦功十字章(民間人用) 写真右上:剣付一級戦功十字章(戦闘員用) 写真右下:剣付二級戦功十字章(戦闘員用) 戦功十字章は鉄十字章につぐ章で、直接戦闘では無く戦争遂行に貢献した者に授与されるも ので、二級・一級・騎士・黄金騎士の4等級があり、1939年に制定された。 なお、戦闘員用には剣付きが、非戦闘員用には剣無しが、民間人用にメダルが授与された。 |
写真左:剣付一級戦功十字章とケース。 二級戦功十字章は紙の袋に入れられていたが、一級戦功十字章はこの様なケースに入れられ ていた。 |
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写真左:左が剣付一級戦功十字章の表で、右は裏側を示す。 この戦功十字章は戦闘員が直接戦闘行為以外の行為で戦争遂行に貢献した場合に与え られ、 48万3603個が授与されたと言われている。 |
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この写真はドイツ海軍軍医中佐の夏季準礼装上着であるが、左胸ポケットに剣付一級戦功十 字章を、第二ボタンのボタンホールには二級章のリボンを付けている。 一級鉄十字章を授章している場合には例外として右胸に一級戦功十字章を付ける場合がある が、ドイツ十字章が右胸に付けられている場合には一級鉄十字章の下に付ける事が多い。 戦闘員の直接戦闘に関係の無い行為と言うと解り難いが、この様に軍医とか整備兵などと言 う例を挙げると理解しやすいかと思う。 |
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写真左:左が剣付ニ級戦功十字章の表で、右は裏側を示す。 1939年10月18日制定で、に613万4950個が授与されたと言われてい る。 |
写真左:左が非戦闘員用戦功十字章の表で、右は裏側を示す。 |
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今回も滝口さんのコレクションの中から2枚の勲記を紹介します。 写真左:剣付二級戦功十字章の勲記 1941年10月20日付けで陸軍第21歩兵師団・21砲兵連隊・第 II大隊・第5中隊所属のFridrich Gross:フリートリッヒ・グロース兵長に授与された勲記。 UND OBERSTEN BEFEHLSHABERS DER WEHRMACHT 勲記の一番上には、総統兼国防軍総司令官の名においてとプリントされている。 5./A.R.21 その下には授章者の階級・氏名・所属部隊名。 mit Schwertern その下が剣付二級戦功十字章の正式名称。 更にその下が授章年月日。 一番下には師団印と証明者のサイン。 この勲記では、1939年1月11日から1942年4月まで第21歩兵師団の師団司令官 を務めたOtto Sponheimer中将がサインしている。 |
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これも同じく剣付二級戦功十字章の勲記である。 一番上に、剣付戦功十字章の図柄 UND OBERSTEN BEFEHLSHABERS DER WEHRMACHT ”総統兼国防軍総司令官の名において”で始まり、VERLEIHE ICH DEM以降が授章者の所属部隊及び階級・氏名で オスカー・クリューゲル伍長 第96歩兵師団・第196砲兵連隊・第I大隊・第4中隊 2.KLASSE MIT SCHWERTERN 剣付二級戦功十字章 授章年月日は1943年の1月30日 東部戦線において 証明者は師団司令官のNoeldechen中将がサインをしている。(在任期間は師団史 によると1942年10月9日から1943年6月であるが1942年10月10日から1943年7月28日までとする資料もある。) |
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