ここでは、ルートヴィッヒ・ブルケ陸軍歩兵科上級曹長の勤務服に付いてきたプライベート写真を紹介しま す。
     
はじめに

ルートヴィッヒ・ブルケ陸軍歩兵科上級曹長の勤務服に付いてきたプライベート 写真のコンテンツも、これで最終回。
これらの写真には残念ながら一切キャプションが無い為、写真の順番や状況等は全て想像でしかありません事をお断りしておきます。 なお、第9歩兵師団のキャプションの一部に関しては、「欧州戦記資料」のマイソフさんから頂いた資料を、重機関銃に関しては唐澤さんの書き込みを参考に書 いています。ここであらためてマイソフさんと唐澤さんに感謝の意を表します。

     
休憩中
 
南ロシアと思われる背景だが、定かでは無い。
ブルケが所属していたと思われる第9歩兵師団は1943年3月から5月までの間、A軍集団、第17軍の第46軍団に所属、同43年6月から9月までは第5 軍団に所属し”Kuban”にいたので、その頃の写真ではないかと思われる。
10月には第6軍の第29軍団に所属し、”Melitopol”に移動するが、9月には東部戦線の急激な崩壊に伴い、この戦闘で第9歩兵師団は壊滅的な打 撃を受けて、その後事実上解散されてしまっている。
1944年7月までは東部戦線にいたのではあるが、その後デンマークに撤退、第9国民擲弾兵師団に改編される。
軍装を見ると
 
ベンチの真中に座っているのがブルケだが、乗馬ズボンに乗馬ブーツ姿である。
不鮮明な写真だが、胸ポケットの上に陸軍の勤続章を付けている様だ。
それよりも気になるのが、写真右の兵士?である。
規格帽を被っている様だが、上着に肩章は無いし、胸ポケットの雨蓋もドイツ軍の野戦服の物とは異なっている。
国家鷲章も付けていないし、ベルトもドイツ軍の物とは違うようだ・・・ハンガリーやイタリア軍とも違うし・・・?。
正体を御存知の方がいらしたら、是非御教示願いたい。
広場で・・・
 
街の広場だろうか、ブルケ(左)と伍長が並んで立っている。
建物から場所が特定出来れば良いのだが、残念ながら私にはそこまでの知識が無い。
ただ、伍長の右に写っている子供の帽子がトルコ帽の様で、本来はこれがヒントになるのだろう・・・。
軍装を見ると
 
2名共、規格帽に42年型野戦服と言う出で立ちである。
したがって、1943年6月以降と見るのが妥当と思われる。
ブルケの野戦服の第2ボタンのホールに初めて二級鉄十字章のリボンが確認出来る。更に左胸ポケットの上には勤続章、またポケットには体力検定章を付けてい る様だ。 ここでも乗馬ズボンを履いているのが興味深い。
伍長の方はポケットは42年型だが、襟がグリーンカラーに直している様で、左胸ポケットに歩兵突撃章が付けられている。
教官
 
これはブルケが機関銃中隊にいた経歴から考えて、機関銃の訓練をしている写真だと思われる。
最前線と言う雰囲気では無いが、地面の草や樹木に葉が無いのは季節のせいなのか?。
こう考えると、この写真の説明は極めて難しい・・・。
と言うのも、下の拡大画像を見るとわかるように、他の兵士達はどうも外人義勇兵の様だからだ・・・。
取り敢えず、この写真も1943年の秋口以降では無いかと考え、ここに掲載する事にした。
(第9歩兵師団だとすると、大損害を受けて”Nelitopol”から、”Nikopol”あたりにいた事になっている。)
軍装を見ると
 
右端に立っているのがブルケ本人だが、この写真では編上靴を履いているのが珍しい。これが地形による物なのか、前線に近い為かは本人のみぞ知ると言ったと ころか・・・。 機関銃はオーストリア・ハンガリー帝国軍の制式機関銃シュヴァルツローゼ重機で、あまり恵まれた部隊では無い様だが、それもそのはず、中央に立っている兵 士はトルコ帽のような帽子を被っている!。  シュヴァルツローゼ重機は第一次大戦後オーストリア陸軍を始めオランダ陸軍また戦利品としてイタリア、ポーランド、ユーゴスラビア等でも使用されていた。
更に拡大してみても
 
襟章等迄は、はっきりと確認は出来ないが、少なくともドイツ陸軍の兵士はブルケのみで、後は外人義勇兵の様である。
これでこの外国人義勇兵が、第13武装SS山岳師団の”ハンジャール”や第23武装SS山岳師団”カマ”だったりすると、この写真は極めて珍しい未発表写 真なのだろうが、世の中はそこまで甘く無い様である(笑)。
1942年9月には第9歩兵師団にトルキスタン人大隊が、また1943年1月にはアゼルバイジャン人大隊が配属されていたというドイツ側の資料があるそう で、第9歩兵師団に配属されたトルコ系ソビエト志願兵である可能性が考えられる。
シュピース:准慰に昇進
 
この写真は、背景の建物の屋根から見るとまだ東部戦線の様である。
したがって1943年の秋の東部戦線の崩壊から1944年の7月のルーマニアの予備軍になった間の物と思われる。
具体的には1944年4月から6月の間は、第29軍団・第6軍に所属し、”Kishinev”にいたが、7月にはルーマニアの第3軍所属になっている。
この写真も単体ではキャプションに困ってしまう写真であるが、ブルケが准慰に昇進しているので、順番を特定する事が出来た。
”Spiess”:准慰の階級名称は”Hauptfeldwebel”(中隊付き曹長と言うニュアンス)と言い、下士官の中でも上位の階級で、軍隊の中で は将校と兵を結ぶ大切な役割を担っていて、部隊の世話役的存在でもあった。
軍装を見ると
 
准慰の軍装の特徴は、袖に付けられた2本のライン(トレッセ)である。これのお陰で、肩章が鮮明に写っていなくても昇進した事が確認できる。
またブルケは昇進を期に、服を新調したようで(支給されたのかもしれない。)42年型野戦服では無く41年型野戦服を着用している。これはポケットのプ リーツが識別点なので、もしかすると42年型野戦服を改造した可能性もあるが、腰ポケットが正規の野戦服の状態のままのようなので、恐らく41年型の野戦 服を捜させたのだろう。
これは、古参兵の拘りを感じさせる彼の勤務服から容易に想像出来る事である。
また、この時期、ストレートズボンを履いているところを見ると、ここは前線では無く、後方の可能性が高いと思われる。
彼の胸元に"手帳"の様な物が入れられているいるが、これは”Spiess”(部隊の世話役的存在で、兵達の面倒を色々みる役割)の特徴である。
Spiess:これ自体”曹長”と言う階級を表す場合もあるが、第二次大戦時のドイツ陸軍では”Hauptfeldwebel”若しくは” Hauptwachtmeister”と言う階級名が使われており、役職名のニュアンスが強かった。
ペットのウサギと
 
ペットのウサギを抱いたブルケ准慰。
東部戦線だったら、恐らく食料になってしまったろう野ウサギを抱いている。
降格では無く、昇進で准慰になったのであれば、これは1944年の冬の撮影と考えるのが妥当であろう。
ここでまたもや乗馬ズボンと乗馬ブーツ姿になっているが、今回はブーツに拍車まで付けている。
何かよほど馬に思い入れがあるのか、関連があるのか?、はたまた騎兵に転属になったのか?。
因みに第9歩兵師団は、デンマークに撤退して第9擲弾兵師団に改編された後、アルデンヌ攻勢に第7軍・第53軍団に属し参戦、突出部の南の付け根に当たる トリーア付近にいた。
大戦末期(1945年4月)になってSS第13軍団に配属さたが、このときには師団司令部を除くすべての隷下部隊が壊滅してしまったとの事・・・。
これが順番としては最後の一枚と思われる為、何とも言いようが無いが、勤務服の階級章が上級曹長であった事と考えあわせると、本人は無事に帰還出来なかっ た可能性がある。
撮影場所に付いて
 
軍装に付いては、既に色々書いてので、この写真については、背景について観察してみる事にした。
右の後方に写っている建物に注目して欲しい。
このページの他の建物より屋根が大きいのがわかるだろうか?。これは屋根の勾配(傾斜)が急な事を示しており、一般的には雪の多い地域の特色である。
この事も、第9歩兵師団が南ロシアから再編成の為に北ヨーロッパに移動した事と一致するという意味で興味深い。
     
終わりに
 
今回の写真は、ルートヴィッヒ・ブルケ陸軍歩兵科上級曹長(服の階級) の勤務服に付いてきたドキュメントであるが、こうして写真を見ると、本人は少なくとも准尉にまで昇進していた事がわかった。この様に下士官・兵の服にド キュメントが付属している事は珍しく、大変興味深い事例ではあるが、残念ながら服やドキュメントが放出された経緯や、本人の生死等は全く判らなかった。
一連のコンテンツを制作するに当たり協力して下さった皆様に改めて感謝 の意を表します。
            
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19.Jul.2000 公開
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