このページでは、ドイツ陸軍の教練・作業 着を紹介します。

   

はじめに
 
今回は、陸軍の教練・作業着を紹介する。本コンテンツを制作するにあたり、貴重なコレ クションを取材させて下さったえっさい氏とPucki氏、更に貴重な画像を提 供して下さった滝口氏に、この場であらためて感謝の意を表します。

  


 Pucki氏コレクション

教練・作業着(Drillichanzug:杉 綾織の被服)
 
今回は”Drillichanzug:杉綾織の被服”を紹介する。この”Drillichanzug” は、読んで字の如く特定の被服を表 す単語と言うよりは、杉綾織(ドリル織とかヘリンボーン、HBTとも訳される)の素材で作られた被服全般を指しており、防寒服を含む冬期用被服類を” Winteranzug:冬期装備”の総称で表している事と共通している。ドイツ軍の場合、この杉綾織の被服は綿か麻、もしくは綿と麻などの混紡生地で作 られてお り、教練・営内着、作業着、夏季用野戦服などの総称で、夏季用野戦服兼作業着として導入された。
したがって、Waffen−SSの44年型迷彩野戦服等も
”Drillichanzug getarnt:迷彩された杉綾織被服”という 名称が正規のものであった。これら杉綾織の被服は、ウール製の野戦服やズボンなどの被服が、洗濯に不向き欠点を持つ事を補うために導入されたもので、戦争 が始まってから地域によっては、夏期にウール製被服が着用に不快な物となるまでは、夏季用被服と言う位置づけはなされていなかった。

1935年以降の国防軍が 使 用した教練・営内服は、1933年4月1日に新型野戦服と共に採用された生成の綿製被服で、支給品目上は”Drillichjacke u. hose:杉綾織の上着とズボン”とされていた。
この服は下の写真の様に、生成のライトベージュの生地で作った物で、一般的には兵卒達が教練時や兵営内にい る時にも着用されていた。先にも述べたように、ウール製被服は洗濯に不向きだったため、野戦訓練時などにはウール製野戦服の上着と、この教練・営内着のズ ボンの組合せで着用する事もあった。
この被服に関し、教練・営内着の場合
規定上は、袖に縫い付けたトレッセで階級を示す事とされていたが、古参下士官などは肩章 を付けて着用 する事があった。また、ウールの野戦服同様、襟の内側に首が直接触れる事を防ぐため、当初は前掛け状の”Halsbinde”ハルスビンデを、1936年 2月12日の通達では、脱着式の布製カラー”Kragenbinde:クラーゲンビンデ”を装着する事も規定されていた。

一方、装甲車両や自動車を運用する部 隊には、油汚れの目立ちにくい黒または濃紺の作業着”Arbeitsjacke u. hose”が支給されていた。作りは前述の白い教練・営内着に似ていたが、背面のベンツが無く、正面のボタンも5個では無く6個で、取り外し式では無く縫 い付けられていた他、襟もホック留めのスタンドカラーになっている等の違いがあった。しかし、この作業着は開戦後の1940年2月12日付け通達で生産が 中止され、在庫が支給されるのみとなった。

また、この1940年2月12付け通達では、教練・営内着の生地色についても指示されており、新たに生産される この被服の生地は、生成からリードグリーンに染められた物へと変更された。この様な事情もあり、リードグリーンの教練・営内着が、実際には作業着として使 用されるケースが増え、名称も作業着とする場合があった。したがって、本稿では便宜上生成の生地で作られた物を教練・営内着とし、リードグリーンの物は作 業着の 訳語を使う事とする。

1941年になると、戦車搭乗服を含むウール製の被服を不要に摩滅させないために、ツナギ作業着が装甲車乗員、自動車整備兵、機械化 砲兵、ロケット砲部隊員などに支給された。このツナギ作業着は、グレー、グリーングレイをはじめ、オフホワイトやカーキ、リードグリーンなど様々な色の生 地で生産され、一部の戦車搭乗員にも黒く染めた物などが着用されたが、用便の際には脱がなければならない事が理由で、兵士達の評価は決して良いものではな かった。

装甲部隊に関しては、同1941年5月から戦車搭乗服のデザインを踏襲して作られた、杉綾織の作業着兼夏期用戦車搭乗服の上下が支給され始めた が、本格的に供給されるようになったのは1942年以降で、この被服が行き渡るまでの間、夏期の作戦行動中や車輌の整備の際には、通常の作業着が良く着用 されていた。また、当時の写真で見ると、この作業着を夏季用野戦服として着用する際には、規定外ではあるが、国家鷲章や肩章などの徽章類を付けているケー スが多かったようである。





執 銃教練風景

杉綾織の被服(教練・営内着)を着用した兵達が、兵営で執銃教練を受けている。
この写真については、「一枚の写真 から・その20」でも紹介しているので、興味のある方はご覧頂きたい。



 Pucki氏コレクション

杉綾織の被服(教練・営内着)

1933年4月1日に採用された生成の綿製被服。
この服は上の写真の様に、生成のライトベージュの生地で作った物で、一般的には兵卒達が教練時や兵営内にい る時にも着用されていた。
この被服に関し、教練・営内着の場合
規定上は、袖に縫い付けたトレッセで階級を示す事とされていたが、古参下士官などは肩章 を付けて着用 する事があった。また、ウールの野戦服同様、襟の内側に首が直接触れる事を防ぐため、当初は前掛け状の”Halsbinde”ハルスビンデを、1936年 2月12日の通達では、脱着式の布製カラー”Kragenbinde:クラーゲンビンデ”を装着する事も規定されていた。





教練・営内着の内装

写真の服は1938年製で、前述の規定にしたがって、襟の内側にクラーゲンビンデ(布製カラー)用のボタンが付 けられている。 また、戦前の被服・装備に見られる”ネームタグ”が縫い付けられている他、背にはウエストを絞る紐が 付けられている。


ディティール

この服の襟には、下士官を示すトレッセが縫いつけられている。

トレッセは、下士官の肩章、野戦服の階級袖章に使用された他、中隊付き下士官(シュピース)などの役職を示す徽章として も使われていた。

襟の内側には
クラーゲンビンデ用のボタン、その下にはネームタグが付けられている。

ディティール

この服には、初期のタイプのトレッセが縫い付けられている。

トレッセには、地紋の異なる初期型と戦時型がある他、このトレッセの様にレーヨン製と、アルミ糸を使用した物があるが、洗濯回数の多いこの手の被服のは、 一般的にレーヨン製のトレッセが付けられていた。

また、この服にはフィールドグレーに塗装されたボタンが使用されている。

ディティール

ネームタグのクローズアップ。

Unteroffizier
Wilhelmi
11. Komp. I. R. 87

伍長
ヴィルヘルミ
第36歩兵師団・第87歩兵連隊・第V大隊の11中隊

ネームタグは、戦前の被服や装備に付けられていたが、開戦後には防諜上の意味から、付けられなくなった。

ディティール

右前身頃内側に押されたスタ ンプ類。上からメーカーとメーカーの所在地、サイズ、被服廠及び製造年を示す。

Franz Westrich
Ramstein (Pfalz)
    43  42
      90
    73  65
    M   38
サイズスタンプは3行で5カ所のサイズをセンチで表した物で、上段から、43:襟から腰・ 42:首廻り ・ 中段には、90:胸囲 ・下段に、73:着丈 ・65:袖丈となっている。
一番下のMは軍装補給廠の所在地名ミュンヘンの略号で、38は1938年製造を表している。

ディティール

教練・営内着とは言え、襟元がキチンと閉じられる様にホックが付けられているあたり、如何にもドイツ軍と言う感じがする。

画像の白いボタンは、開襟時にクラーゲンビンデを留めるボタンである。

外側のボタンは洗濯の際に簡単に取り外せるように、上の画像のスタンプが押されている布の内側で、S字金具によって留め られている。

このS字金具を使用した被服は、
S字金具で下に着用しているシャツや、更にその中の体を傷つけない様に、S字金具を露出させ ない作りになっていた。

ディティール

ボタンを固定するためのS字金具。

このS字金具は、メッキを施された物であるが、他の仕上げとしては、塗装された物などもあった。

服自体には、ベルトフックを通す穴と同様、周囲を縢った穴があけられている。


ディティール

教練・営内着背にはウエストを絞る紐が 付けられている。

ウエストラインがだらしなくダボつかないための物と思われるが、結構使われていた服を見ても、あまり使用された形跡が無いので、どこまで使われていたは疑 問である。

これは、同じく内側に
ウエストを絞る紐が 付けられていた戦車搭乗服も同様で、戦車搭乗服の場合では、むしろ洒落者は服自体のウエストを絞っていた様で ある。

ディティール

ウエストを絞る紐は、前身頃と後身頃の接続部から、背中のセンター部分で背面全体を絞る様に付けられている。

これは、一箇所に大きなシワが出来ない様にする工夫と思われるが、背中の中心に結び目があると、あまり着心地は良くなさそうである。

因みにウエストを絞る紐がある戦車搭乗服の場合、紐は左右の両脇で結ぶ様に作られており、こちらの方が着心地への影響は少ない様に思われる。

ディティール

ウエストを絞る紐は、この様に両端部が袋状にカバーした布と一緒に縫い付けられている。


ディティール

袖口は筒袖で、野戦服の様に袖口を開ける事はできない。

この服と同年に採用された33年型野戦服では、袖口がボタンを外すと開き、腕まくりが容易にできる他、2つ付いているボタンで袖口の太さも調整できる事と 比べると、簡略な物となっているが、戦場で着用する事を目的として作られた野戦服よりも、作業着とは言え後方での着用目的で作られた服の方を簡単な作りと したのは、当時のドイツの財政状況が反映されているとも考えられる。

因みに1940年2月12付け通達で、リードグリーンの生地に変更された後も、作業着の袖口は筒袖のままであったが、1941年5月 から生産された、杉綾織の作業着兼夏期用戦車搭乗服では、袖口はボタンで開閉できるように作られた。

教練・営内ズボン

教練・営内ズボンは、野戦服と共に支給されたストレートタイプの”Tuchhose:ウール製ズボン(野戦ズボン)”とほぼ同じ 裁断で作られていた。

両者の違いは、
ポケットの作りと数で、ウール製ズボンの場合、前面左右に斜めに切れ込みポケットが設けられていて、ボタンで留める物であったのに対し、教練・営内ズボンでは両サイドの裁断部に 沿ってポケットが作られている。

また、
ウール製ズボンには右臀部に尻ポケットが設けられていたが、この教練・営内ズボンには尻ポケットが無い。

以上、ウール製ズボンを若干簡略化した作りとなっていたとも言えるだろう。


ディティール

このズボンにも、他のズボンと同様に懐中時計用のポケットとループが付けられている他、サスペンダー用のボタンが付けられている。

このズボンにはアルミ製の皿ボタンが使用されているが、開戦後の1940年頃からは、徐々に鉄製ボタンへと変更される。

ディティール

教練・作業ズボンの後ろには、ウール製ズボン同様に、金属製の バックル付き長さ調整ベルトが付けられている。

このバックルも、長さ調整用ベルトの裏側にあるアルミ製皿ボタンのかけ外しで脱着出来、洗濯時などは簡単に取り外せる様に作られている。

ディティール

このズボンは、前よりも後の方がせり上がった様なカットになっている。

これは、前に屈んだ際に背中が出にくい様にするためのデザインと思われる。

ディティール

Neubrander
82 84
116 98
M38

上からメーカー名
82:股下 84:ウエストサイズ
116:全長 98:ヒップ
M38:Mは軍装補給廠の所在地名ミュンヘンの略号で、38は1938年製造を表している。




掩蔽壕の入り口にて


この写真は東部戦線の掩蔽壕の入り口で撮影されたショットである。入り口の脇にはストーブや、薪の燃えかすが写っているので、季節は晩秋から初冬にかけ て、陰の状態から撮影時間は昼頃といったところであろう。左に立っている兵士は作業着を着用していて、左袖に上等兵か兵長の階級袖章を付けている。白い シャツ姿の兵と比べ、作業着のリードグリーンの迷彩効果がわかる。左の兵はアルミ製の水差しを持っているが、ストーブに掛けていたのか、ススで真っ黒に なっている。
この写真については、「一枚の写真から・その21」で も紹介しているので、興味のある方はご覧頂きたい。



 Pucki氏コレクション

杉綾織の被服(作業着)

1940年2月に導入された、リードグリーンの杉綾織の綿生地で作られた作業着は、通常は徽章類を一切付けずに着用する事とされていたが、1942年に夏 季用被服が制式採用され、供給されるまでは、国家鷲章や肩章を付けて、夏季用被服として着用される事があった。装甲車搭乗員に関しては、1941年5月に 黒の戦車搭乗服に似たデザインの最初の夏季・作業用の搭乗服が導入されたが、本格的に支給されはじめたのは1942年になってからであった。しかし、実際 にはこの被服が行き渡るにはかなり時間が掛かったようで、当時の写真を見る限り、1944年のノルマンディー戦あたりでも、この作業着改造の服や、シャツ に国家鷲章と肩章を付けて着用している将兵を見かける。





作業着の内装

上で紹介した
教練・営内着同様、襟の内側にクラーゲンビンデ (布製カラー)用のボタンが付けられ、背にはウエストを絞る紐が 付けられている他、ほとんど何も無い。


ディティール

右前身頃内側に押されたスタ ンプ類。上からメーカー、サイズ、被服廠及び製造年を示す。

41  43
- 96 -
70  62
F 41

サイズスタンプは3行で5カ所のサイズをセンチで表した物で、上段から、41:襟から腰・ 43:首廻り ・ 中段には、96:胸囲 ・下段に、70:着丈 ・62:袖丈となっている。
一番下のFは軍装補給廠の所在地名フランクフルトの略号で、41は1941年製造を表している。

画像上の右端にある白いボタンは、
クラーゲンビンデ(布製カラー)用のボタンで、圧縮した紙製である。

また、その左下に円形の凸が見えるが、これはボタンを固定するためのS字金具がこの内側にある事を示している。


ディティール

ボタンを固定するためのS字金具。
こちらのS字金具は、塗装仕上げタイプである。

服自体には、ベルトフックを通す穴と同様、周囲を縢った穴があけられている。

作業ズボン

作業ズボンは前述の様に、上で紹介した教練・営内ズボンの生地色が1940年2月付け通達で、リードグリーンに変更された物で、基本的に同じ作りになっている。

ただし、細かくディティールを観察すると、メーカーによる若干の差異はある。

ディティール

この作業ズボンを、上で紹介した教練・営内ズボンと比較すると、懐中時計用ポ ケット上部のループの長さと取付け位置が若干異なる事に気がつく。

教練・営内ズボンでは、ループは懐中時計用ポケットより外側に付けられているが、この作 業ズボンでは懐中時計用ポケットの左端上に付けられている。

しかし、これは
メーカーによる若干の差異であろう。

ディティール

上記の懐中時計用のループ同様、後ろ側の長さ調整ベルトも形状が少し異なっている。

ただし、こちらは形状が簡略化されており、メーカー間の差異では無く、戦時に頻繁に行われた省力化かもしれない。
こうした少しの違いも、大量に生産される軍需品の場合のコストには大きな影響を及ぼすからである。

また、上記の懐中時計用のループや、この長さ調整ベルトの生地色が微妙にズボン本体と異なっているが、これらのパーツは大きいパーツの間に生じる端切れで 作られるため、同じ元反から作られるとは限らない事を示している。

ディティール

このズボンのサイズスタンプ。

84 96
114 102

上から
84:股下 96:ウエストサイズ
114:全長 102:ヒップ

このズボンには、メーカー名や軍装補給廠の所在地名の略号、製造年のスタンプは押されていない。
  
  
使用例と改造例
  

 えっさい氏コレクション
改造例

作業着に、国家鷲章をはじめ、襟章や肩章、階級袖章を付けて、装甲科の上等兵の夏 期用野戦服として使用した例。

この服には、
ダークグリーン地にライトグレーの糸で作 られた国家鷲章(1935年型のセカンドタイプ)、旧型(ライヒスヘーア型)各兵科共通の襟章、装甲科の兵科色パイピングの付けられた兵用肩章、ダークグ リーン地の上等兵用階級袖章が付けられ、着丈も短 く詰められて いる。


 滝口氏コレクション

装甲科での使用例


この写真は戦時中に
”OKH:陸軍総司令部”が編纂した、”Marsch motorisierter Einheiten:自動車化部隊の行軍”というマニュアルに掲載されていた物である。自走行軍を行う戦車は、一定の距離を走行したら、 キャタピラのピンにグリスアップを施 し、キャタピラのテンションが緩んでいたら、調整を行う必要がある事を説明している。戦車の航続距離は、積載燃料の量と燃料消費率だけで決まる訳では無 く、こうした整備を怠ると稼働率自体が下がってしまう。左でキャタピラの張り具合を確認している戦車兵は、黒の戦車兵用野戦帽を被り、肩章を付けたリード グリーンの杉綾織の作業着を、黒の戦車搭乗ズボンにたくし込んで着用している。右でテンション調整を行っている伍長は、同じく黒の戦車兵用野戦帽に、グ レーかグレーグリーンと思われるデニム製のツナギ作業着を着用している。このツナギ作業着は、黒の戦車搭乗服の上に重ねて着用できるよう、ゆったりとした 作りになっていて、実際には様々な色の生地で生産されていたが、黒く染めて着用した例もある。

  
   
ホームに戻る
資 料館トップへ

本サイトに掲載されている文章及び画像の 無断転載はお断りします。Copyright  2011  STEINER

29.Oct.2011 公開
inserted by FC2 system