兆冶さんのホーフブロイハウスの想い 出
  
 
はじめに
 
本コンテンツは、当サイトの掲示板に兆冶さんが書き込まれたドイツ旅行中の想い出を再構 成して掲載したものです。
私にもドイツ人の友人が何人かおりますが、実際に話してみると日本人同様に前の戦争への 想いには各々で様々なものがあります。当サイトは第二次世界大戦時のドイツの軍装品を趣味として扱っており、兎角”戦争”と言う事象をなんでもない事のよ うに思いがちですが、そう言った自分自身への自戒の意味も込めて、このコンテンツを制作してみました。
しかし、私自身はこのコンテンツを通して何らかのメッセージを発する意図はありません。 このコンテンツを読まれた皆様が、何かを考える機会になれば幸いです。
本コンテンツを制作するにあたり、掲示板の書き込みの使用を御快諾下さり、旅行中の写真 を貸して下さった兆冶さんに、この場であらためて感謝の意を表します。
  
  
ホーフブロイハウスの少し苦い想い出
 
先日の旅行では日程の中ほどでミュンヘンに2日間滞在しました。
ミュンヘンの印象は日本で想像する大都市といった様子ではなくバイエルンの大きな町といった様 子です。
昼間から数軒のビアホールで本場バイエルンビールを味わい、ほろ酔い加減で家人の名所、旧跡巡 りのお供をいたし、夜はヒトラーもたびたび集会や演説を行ったと伝えられている有名なビアホール『ホーフブロイハウス』へ食事もかねて訪れました。
 
『ホーフプロイハウス』は各階とも大変な賑わいで1階はミュンヘン子の溜 まり場といった雰囲気で数百席あるスペースも満席状態です。
 
我々はショーを行っている3階ホールでバイエルンの民族舞踊や歌声を楽しみまし た。
傑作だったのは、宴も盛りなる9時を過ぎた頃です。
 
各国から来ているドイツ系の観光客なのでしょうか、もう我慢できんといった様子 で、おじさんやおばさん達がバイエルンの歌声に合わせて踊り始めてしまうんです。
 
あるグループは列を作りスキップを踏みながらホール中を練り歩き、そこへまた見知 らぬ人が加わり会場内はヤンヤの喝采です。
 
すごく楽しかったので翌日はビデオとカメラで持参で『ホーフブロイハウス』へ再度出向きまし た。
この日、テーブルで一緒になったのはベルリン郊外の町からバイエルンのショーを楽しみに来た 60代半ばのシュミットさんご夫婦でした。
奥さんは英語は話せませんでしたが、いつもニコニコされているとてもチャーミングで小柄な女性 です。
ご主人のシュミットさんは英語が堪能で15年位前に来日経験もある大変な知日家の紳士でしたの で日本国の正式な発音は「ニホンなのか、それともニッポンなのか」の質問には正直、うろたえてしまい「多分ニホンです」と曖昧な返事をしてしまいました が、3〜4年くらい前でしたか国内でもその議論がありニッポンの呼称に統一されたような記憶もあるので自分の不勉強さを今さらながら嘆いております。
 
シュミットさんは奥さん、そっちのけでドイツの印象や旅の様子を熱心に尋ねられたので道中立ち 寄ったハイデルベルグやフッセンの町、かのバイエルン王ルートヴィヒ2世が関係したノインシュヴァンシュタイン、ホーエンシュバガング、リンダーホーフ、 ヘレンキームーゼの4つの城の印象などを語ったり逆にこちらからもオーバアマガウの大変な人出の由来など教えてもらいました。
 
ご夫妻はドイツ国内の各地を旅しており我々の明日からの予定であるロマンティッシュ・シュト ラーセも何回か訪れたらしくディンケスビュールという小さな城下町では「現在でも数百年前からの習慣を守り黒マントをまとい長槍とランプを持った夜警が城 壁内を歩くので泊るのにお勧めだよ」とかの情報を親切に教えてくれました。
 
そんな風に、なごやかな時が流れたあと「明日の一番目に行くところはどこなのか」と尋ねられま した。
小生は少し躊躇したあとミュンヘン郊外にあるダッハウ(強制収容所)に立ち寄る予定だと伝えた のですが発音のせいで理解できないようでしたので持っていた観光ガイドを見せました。
するとシュミットさんの顔は曇り始め「ここは暗く、とても重たいところだ。旅行を楽しみに来て いるのに何故こんな所へ行くのだ。行っては行けないところだ。」と沈痛な表情で話はじめ、今までと様相は一変してしまいました。
小生は一瞬「しまった」と思ったのですが「歴史をこの目で確認したいのです」と伝えました。
シュミットさんは「沖縄と同じ過去の悲劇なんだ。」「もう50数年前に終わった事だ。
ナチ(かなりはっきりと言いました)がやった事だ。」と続けて語りました。
 
見るとシュミットさんは上を見上げ、その目には涙が溢れておりました。
私は謝るのは簡単だけど、どうしたものかなと思案しておりました。
しばしの沈黙の後、小柄な奥さんがニコニコしながら「もういいじゃないの。その話題は(ドイツ 語なので推測です)」と助船を出してくれた後、シュミットさんも気を取り直したのか大きく両手を広げ「ITS,OVER」と我々に語り、私も家人も同様に 何回か「ITS,OVER」と続け、その話題を終えることができましたので和やかなムードに戻り事無きを得ましたがその日の大ジョッキに注がれたホーフブ ロイビールには昨夜より苦味を覚えたのは否めない出来事でした。
 
不用意な戦争中の話題には気をつけなければならないと常々自戒していたのですが実際にこのよう な出来事を体験すると一層慎重にならなければと思いました。
一級鉄十字章入手のエピソードなどと共にドイツ事情に精通されている本掲示板の常連の皆様でし たら充分に予想されることでしょうが今後ドイツにはじめていかれる方の少しでも参考になればと今回は考えての投稿です。
 
 
 
書き込みを読まれて、なんと軽率なと思われた方もいると思いますが、当方からすすんで話題にし たわけではありません。小生の「歴史を確認してみたい云々」のやりとりも、シュミット氏の悲しみに対し、ただ黙っているのは逆に誤解を招くのではと判断し ての小生の拙い語学力ながらの精一杯の配慮でありましたことをご理解ください。
ただただシュミット氏に哀しい事を思い出させた事は本当に申し訳なく思っております。良いお人 だけに当方にも辛い事でした。もちろん女房にも怒られましたが翌日はそのダッハウに行きましたことをご報告いたします。。
 
投稿者:兆治  投稿日:2000年 8月19日(土)20時38分10秒
 
ダッハウ強制収容所見聞録
 
前夜のことがあったのでダッハウに向かうのは憂鬱でした。
しかし、この機会を逃せば二度と行けないかも知れない。
あれほど、シュミット氏を困惑させたダッハウとは・・・
 
ならば余計に、この目で見なければと気を新たにし車をダッハウに走らせま した。
ミュンヘンから迷わずに走れば40分位で着くとホテルのフロントで聞いていたのだ が、ミュンヘン郊外で迷ってしまい倍の80分位かかってしまった。
 
ダッハウの町に着き、表示看板(強制収容所)でも出てくるだろうと考え車を走らせ るが目印は見当たらない。
ダッハウ中心部を抜け郊外の東へ向い、迷ったかなと思い始めたら、それは突然現わ れた。
車を止め収容所跡地のゲートを目前にするとシュミット氏の涙を思い出してしまい家 人ともども緊張しているのに気がつく。
 
ここは今でも笑顔や笑い声などは一切無縁の世界なんだろうな〜とかを考えてしまうと余計気が重 たくなってきた。
復元されたゲートや脇にある監視棟、周囲に巡らされた鉄条網が一層その様子をかもしだしてい る。
収容所内展示室に入るとここで行っていた生体実験などで非業の死を遂げた収容者の変化していく 様子の写真なとが展示されている。
周囲を観察すると社会授業の一環なのだろうかドイツ人の高校生らしき団体の姿が目立つ。
 
意外だったのは彼ら(男女)は案外明るく、「へ〜昔、こんなことがあったんだ〜」
といった様子でペチャクチャおしゃべりをしている。
ま〜今時の高校生はどこでも同じだな。なんて妙に感心し、この明るい様子には正直いって救われ た。
 
展示室の最後は記録映画を見るちょっとした劇場になっているので視聴す る。
 
映画は10分くらいの記録映像で内容はナチス党とヒットラーの台頭から権力を握る 様子、やがて米軍がこの地に侵攻し、戦闘後ダッハウ強制収容所を解放し収容所内の悲惨な様子がスクリーンに写しだされる。
本来禁止されていると思うのだが持っていたビデオカメラでこの映像の一部を録画し てしまった。
 
皆、無言で映像に見入っていたのだが突然、団体見学の高校生が所有している携帯電 話の着信音が場内に鳴り響き、持ち主は仲間から冷やかされ、ざわめく。
 
終了後、外に出ると収容所内は相当な広さであることが分かる。
展示棟近くにある取り調べや拷問などのために使用した監獄棟と思われる建物は当時の物らしく古 びており、内部は真中を廊下が走り左右は鉄格子の小さな小窓がついてるコンクリートの広さ4畳位の部屋になっている。
そこから少し離れている一般収容棟の殆どはコンクリートの基礎しか残っておらず数棟が復元さ れ、内部を覗くと木造りの粗末な3段ベットになっており、まさに映画『ライフイズ・ビューティフル』を思い出す。
 
 
ガス室(ここでは使用されなかったらしい)や遺体を焼却した火葬場なども残されているようなの だが、家人が「もう十分!!これ以上見たくない」と申し出たので同意し、今回の旅で印象深い出来事になってしまったダッハウを後にした。
 
投稿者:兆治  投稿日:2000年 8月22日(火)12時53分13秒 
  
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08.Nov.2001 公開
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