ここでは、ドイツ軍の糧食再現について提案しています。
   
 
はじめに

リエナクトメントに於ける糧食は、そのメニューに偏重しているのが現状の様に思われる。確かに軍装でカップ麺やコンビニ弁当を食べるより、当時のメニューを再現したり、それっぽい食品を用意した方が”それらしく”は見えるだろう。
しかし、被服と食器や食べ物が当時風なら再現か?と言うと、少し違うのではないかと思う。
勿論、製パン中隊や屠殺中隊、補給段列を含む糧食の全供給システムの完全再現などは出来る訳が無いが、各部隊での給食方法と数量の決定手順や、どのように配食したか。また、各兵士の食べ方等に拘ってみると、より再現度がアップするのではないかと思う。
これは、イベントの規模や趣旨を無視して行うべきものでは無いが、やってみたら案外面白いのでは?という提案である。

   
  再現出来そうなドイツ軍の糧食に関する提案


 

概説 ドイツ軍の糧食

当時、農民などを中心に朝が早かったドイツ人は、概ね1日5回の食事を摂っていた。また、元々複数の王国からなる国だったため、言語と同様に食に関しても地域色が強く、地域毎にかなり異なる物を食べていた。

ヴァイマール時代の10万軍隊では、後の各軍管区に1個師団の兵力しか持たなかった事と、外地に出る事が無かった為、この食の地域性は差程問題とならなかったが、ドイツ国防軍では各地域の郷土色を残しつつも、基本的な部分では1日3食の統一給食制を導入した。

この統一給食とは、全師団が同じメニューを同時に食べると言う意味では無く、軍が買い付ける食材を定め、その食材からメニューを決めると言う意味であった。陸軍に関しては、1941年の補給部隊マニュアルを見ると161種類の食材(馬糧・飲料・酒類・嗜好品を含む)があり、地域色の強い品目も含まれている。したがって、各部隊は補給状況が悪くなければ、郷土料理を作る事が可能であった。

因みに、戦争末期に従軍経験をした元ドイツ兵だった方に、この表をお見せしたところ、特にベリー系の果物に関しては「こんな物はお目にかかった事が無い!!」という事だった。

なお、ドイツには午後のティータイムの習慣があり、軍でも兵士達に食事以外に甘い焼き菓子等と一緒にコーヒーやハーブティー等を供する事が望ましいとされていた。
また、夜には甘く温かい飲み物を供する事があり、これも兵士達の楽しみであった。

ドイツ軍のメニューを知る手掛かりとしては、当時のマニュアル類があるが、1941年に”Feldkochbuch:野戦調理”が編纂され、翌42年には”Fleischlose und Fleischarme Feldküchenrezepte:肉無しと肉の少ない野戦料理レシピ”が発行された。

これは、野戦調理のレシピが、陸軍スープ用缶詰を中心としていたが、肝心のスープ用缶詰が充分に供給出来ない状況があった事と、冷蔵・冷凍施設が脆弱な東部戦線での戦争が長期化し、家畜の飼料調達・輸送も補給部隊へ負荷が掛かるため、慌てた軍が急遽導入したレシピ集で、62種類のレシピが掲載されている。

このレシピ集は、前の野戦調理と共に民間版も発行されており、銃後の一般市民にも節約を促していた。

そして、1943年発行の”Tornister-Lexikon:背嚢百科”にもスープや焼き菓子、飲み物のレシピ等が掲載されている。この背嚢百科では、更に逼迫した補給状況の下、手に入る物で食べられる物を作る事に主眼が置かれている。

こうしてメニューも時期によって少しずつ変化していた訳で、リエナクトメントで拘ろうとすると中々奥が深い。

本コンテンツでは、何を食べたか?よりも、どう食べたか?を提案するのが目的なので、具体的なレシピに関しては、機会をみて追々紹介してみたいと思う。


 
 
 
フィールドキッチンの運用

画像はフィールドキッチンに並ぶ兵士達。フィールドキッチンは危険な地域へ移動させないので、少し後方か戦況が比較的落ち着いている場合にこの様な状況となる。
この、フィールドキッチンがどこまで移動して給与を行うかについては中隊が決定し、中隊付き下士官(シュピース)が野戦調理下士官へ下達する事になっていた。

したがって、戦闘再現が伴うリエナクトメントでは、フィールドキッチンの位置を充分考慮する必要がある。



 
 
 
フィールドキッチンでの給与

画像はフィールドキッチンで給食を受ける猟兵部隊の兵士達。見るからに歴戦の勇士達であるが、各分隊毎に並んでいる。
中隊がまとまって給与を受ける場合には、中隊本部、各小隊毎にまとまって、小隊本部、各分隊が並ぶ。
したがって野戦調理係下士官は、中隊付き下士官と緊密に連絡を取り、指定時刻に給与を開始する様に努めた。

画像中央奥では、Obergefreiter:伍長勤務上等兵が飯盒を並べた台の上で肉を配給、肉が入った飯盒を受け取った兵士達はフィールドキッチンの鍋からスープを受け取る。
これは、野戦調理部隊のマニュアルにある”野戦調理10則”
(注)に添ったもので、一口大に切った肉を鍋に入れてしまうと、肉を平等に分配する事が難しいので、肉は塊のまま最初に鍋で熱を通し、肉を鍋から取り出してスープを作る。そして保温容器に入れた肉は、給与時に一口大に切って各自に配給する事が望ましいとされていた。これは、兵士達が自分のスープの肉の量で争う事を防ぐための規則であった。

Obergefreiterの右隣にはOberfeldwebel:曹長が立合係として座っている。これも給与が適正に行われているかを監視すると同時に、分配に起因する争い事を防ぐ意味合いがあった。


注釈 野戦調理10則は、1941年に編纂された野戦調理部隊向けマニュアル”Feldkochbuch:野戦調理”に掲載されている。
この肉の調理と分配に関しては以下の通りである

Frisches Fleisch möglichst in Stücken von 2 bis 3 kg im Kessel garkochen, dann im verfügbaren Behälter (Speisenträger) aufbewahren !Kartoffeln, Gemüse usw. Dann erst in der Fleischbrühe garkochen. Fleisch zuletzt auf Flieschbrett in Portionen schneiden, geschnittene Portionen in Speisenträgern warm halten und einzeln ausgeben.
Grund : Der Soldat will Fleisch sehen !

可能であれば、肉は2~3kgの塊で調理し、利用可能な容器(食料運搬缶)に一度取り出し保管されたし。次に、ジャガイモや野菜を肉の旨味が出たスープで調理すべし。配食直前に肉を一口大に切り分けて保温容器に入れておき、配食時にスープを入れた器に肉も入れるべし。
理由 兵士は肉を見たがるものだ !

リエナクトメントで糧食を作る側の方々も是非参考にされたい。
 
 

 

スープとパンを運ぶ

前述の様に、フィールドキッチンは危険な地域へ移動して給与を行わないので、状況に応じてEssenbehaelter:食糧運搬用コンテナ(スープ缶)が使用される。この食料運搬用コンテナは2重構造になっており保温性があるが、容量12リッターに対してコンテナ重量が8kg強あり、運搬兵にとっては重労働であった。(MG34やMG42用の三脚架ラフェッテの重量も20kg程度であった。)
この糧食運搬任務は重労働であっただけではなく、かなりの危険を伴うものだったため、糧食運搬兵は前線の兵士達からは常に感謝されていた。
 


 
 
 
スープとパンを運ぶ

1943年の東部戦線、湿地帯の木道を前線に向かう糧食運搬兵達。
後列を行く右の兵は杖を持ち、更に左の兵と互いに肩に手を置き、バランスを取っている。
両名とも背嚢やリュックサックの上にコミスブロートをくくりつけているが、同一部隊で背嚢とリュックサックが混在しているのが興味深い。

また、よく見ると食料運搬缶を背負っている兵は水筒を雑嚢に装着していないが、後列右の兵はリュックサックにも水筒を着けているので、重い運搬缶を背負っている兵の水筒を着けているのだろう。
こうして糧食運搬兵達が、雑嚢や水筒を装着しているのは運搬距離が比較的長い場合で、上の写真とは対照的である。





前線での給与

前線部隊への給与は中隊が管理し、小隊毎に行われていた。具体的には、中隊付き下士官(シュピース)が、その日の各小隊の行動予定から、各小隊への給与方法を決定し、各小隊の点呼の結果と合わせて野戦調理係下士官へ指示を出した。
その際移動式フィールドキッチンが必要であれば、その移動手段(トラック等)の手配も中隊付き下士官が行った。
野戦調理部隊は、前夜に準備を行ったスプレッド類の数量を確認後、各小隊に給与を行う。
配給所では、各分隊から選抜された1~2名が分隊員分の糧食を受け取りに行く。
配給所では、下士官立合の元に通常食、病人食(ある場合のみ)の数量をチェックしながら各分隊に給与を行い、各小隊への給与が終了後に、配給済み糧食の数量を中隊へ報告。中隊で各食材等の数量をまとめて大隊へ報告。
大隊が補給局の統一書式にまとめた上で、補給要請が行われた。

ここまでが実際の手順であるが、大隊や中隊の事務までは再現が困難なので、せめて給与時の下士官立合と数量をチェックをしてみては?と言うのが今回の提案。これなら紙と鉛筆を用意すればオーケーである。

画像では、コミスブロートの他、ビスケットとスプレッド等がまとめて支給されている状況が写されている。
机の上にある秤と数量チェックの為の帳面に注意。
 

各部隊へ

写真のGefreiter:上等兵は、小隊本部スタッフで、小隊本部要員の糧食を受領後、小隊長に報告している場面である。
コミスブロート3斤の他、スプレッド類や缶詰を3個ずつ持っており、水筒も複数下げている。

温食給食を直接フィールドキッチンから受ける場合は、各自が飯盒を持参したが、他の給与は分隊毎に代表が受け取りに行くのが普通で、全員が長蛇の列を作る事はない。

この配給方法、既に再現している方がいれば失礼、リエナクトメント参加経験の少ない私は、全員並んで配給を受ける光景しか見た事が無いもので、これも参考にしてもらえれば嬉しい。

コーヒーについて

ドイツ人は大のコーヒー好きだったので、当時のドイツ軍でもコーヒーは重要な飲み物であった。しかし、元来輸入品であったコーヒー豆の枯渇を恐れ、1939年からは配給制を導入し、更に代用コーヒーとミックスした物を流通させる事で、全く無くなるまでの時期を遅らせる努力がなされた。

スタンダードな例では無いが、終戦間際の日本人留学生の手記などでも、本物のコーヒーを入手し、同じく配給制になっていたガソリンと交換した話などがあり、極めて貴重品とはなったものの、ある所にはあった事がわかる。

また、ドイツ軍の補給関係の史料には、コーヒー以外に紅茶やハーブティー、ココアやレモネードもあり、1943年に前線将兵向けに発行された”Tornister-Lexikon:背嚢百科”にも、これら飲料の入れ方や作り方が掲載されている。

因みにコーヒーは”淹れる”と書く場合があるが、これは火から下ろした湯を注ぐ入れ方で、ドイツ軍の様に碾いた豆を煮出す入れ方の場合は”煎れる”の方が正しいと言える。

画像には右端に、フィールドキッチンからコーヒーを受け取る兵が写っているが、複数の水筒を持っているのに注意。

フィールドキッチンに、第45歩兵師団の師団章が描かれている他、コーヒーカップ置かれているのも興味深い。
コーヒーについて

画像は、列車移動中に無蓋貨車に載せたフィールドキッチンから、コーヒーを配給している状況を写したものである。

この様に、フィールドキッチンからコーヒーを給与される場合、兵士達はコーヒー用の容器を持っていなかったので、自分達の水筒を使用していた。

この場合、フィールドキッチンのコーヒー鍋の容量や、一回分のコーヒー豆の支給量を考慮すると、全員の水筒を空にして使用したのでは無く、半数の水筒を使用したと思われる。

兵営・野営地でのコーヒー支給にはコーヒーポットが使用されたが、最前線であっても飲料水缶をコーヒー容器には決して使用しなかった。

不特定の者が使用する飲料水缶と、個人の装備である水筒では全く扱いが異なっていた事、更には”水”と表記されている容器には”水”しか入れないのが軍隊である。

全ての機材を揃えるのは困難であるが、リエナクトメントでは充分注意したいところでもある。

因みに当時の列車移動中に、この様に無蓋貨車上のフィールドキッチンから給与が行われる事は希で、列車に乗っている兵士達は携行食で過ごす事が多かったそうである。
コミスブロートを食べる

コミスブロートは前線部隊で750g/日が給与された。給与時には1斤1500gの状態で配給するので、日々供給出来る状態であれば、1斤を2名で別ける事になる。

また、昼食に主食として塩茹でジャガイモが1500g給与される場合には、フィールドキッチンから塩茹でジャガイモに掛けるソースが配給された。

いずれにしても、この量に関しては再現したくとも”食べ切れない”と言う壁が立ちはだかるので、無理は禁物だろう。

いずれにしても、コミスブロートは1斤もしくは半斤で支給されたので、各兵士は食事の際に自分達でブロートを切って食べていた。

当時の兵士達が、必ずと言って良い程、野戦服のポケットにナイフを入れていたのは、この為である。

リエナクトメントに於いても、ブロートを切る事が出来るナイフの用意と、切り方位は知っていた方が良い。

実は、兵士達が携行していたナイフの刃渡りでは、ブロートを一気に切る事は出来ないので、ナイフをブロートに刺した後、ブロートを回す様に切らなくてはならない。

また、切り終える間際には、親指で切ったブロートを押さえないと、ブロートが落ちる事があるので、出来る事であれば事前にブロートを切る練習しておく事をお勧めする。



 
食事を演じるにあたって

宣伝中隊撮影の写真ではなく、プライヴェート写真を注意深く見ていると、食事中は分隊単位で横に並んで食事を摂っている写真が多い事に気がつく。勿論テーブルを囲んだり、地面にツェルトバーンを敷き、その上に置いたスプレッド類等を囲むと言った例外はあるが、多くの写真で見る限り、彼らは輪を作って座らずに横に並んで座っていた。

 
”Scho-ka-kola:ショカコラ”に付いての豆知識

画像はリエナクター諸氏にはお馴染みの”Scho-ka-kola”の缶であるが、軍用の缶の蓋にはこの様に”製造年”が印字されている。

これは一目見ただけで消費期限切れか否か判断出来る為の物で、軍に納入された保存食には必ず行われていた。

ドイツ軍の消費期限管理は年単位で行われていて、品目毎に定められた消費期限の最終年に配給する事とされていた。

したがって、前線部隊ではその年度内(12月31日が年度替わり)に消費すれば良いので、面倒な先入れ先出し(古い物から先に使う)等の消費期限管理作業を省く事が出来たのである。

では、リエナクトメント・イベントに参加する場合、その設定に合わせた製造年は何年なのか?。

この”Scho-ka-kola”に関しては消費期限が4年なので、規定上は設定の年から4年引いた物が正解となる。
画像の1939年製であれば1942年までが貯蔵期間で、1943年中に消費する規定だったからである。




”Scho-ka-kola:ショカコラ”に付いての豆知識

画像は、1939年版のWehrmacht Verwaltungsvorschrift für die Heeresverpflegungsdienststellen :国防軍管理規則 陸軍糧秣部門用である。このマニュアルによると、Scho-ka-kolaのVerbrauch:消費期限は4年、Lagenzeit:貯蔵期限が3年、Haftpflicht der Lieferer:納入者賠償責任期限が2年となっている。

納入者賠償責任期間とは、適正な条件で貯蔵したにもかかわらず、製品に瑕疵が確認された時には、製造者が賠償しなければならないと言うもので、当時の保存に関する別のマニュアルによると、Scho-ka-kolaの貯蔵条件は温度管理14~16度、最高18度まで。更に湿度は65%以下 最低条件でも70%以下で保管せよ。とあり、消費期限は4年で、前線には消費期限の残期間1年の物を供給すべしとある。

これはあくまで規定の話、実際に1939年製のScho-ka-kolaが1943年以前に供給されなかったか否かについては、また別の話ではある。

ただし、1944年の設定イベントに1939年製のScho-ka-kolaを持って行く事が、設定と合致しているのだろうか?と言う疑問に対しては、1つの答えとなるだろう。

因みに、このScho-ka-kolaは1940年6月20日付け通達で、”Panzersonderverpflegung:装甲部隊用特別食”に定められている。

1回分は50g(1/2缶)
25gのDextro-Energen:ブドウ糖タブレットもしくは、
30gのDorops:キャンディー、
80gのFruchtschnitten:ドライフルーツか、
50gのWeinsäuerezucker:果糖菓子の一種

一般歩兵が私物として持つなら、酒保品として民需タイプのパッケージが良いのでは?等とうるさい事はこの辺で・・・

       
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27.Spt.2013 公開

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