ここでは、USARクバン橋頭堡イベントに関する資料を掲載しています。
   
 
はじめに

今回は、”USAR ヒストリカルリエナクトメント12 2013年 秋 クバン橋頭堡”のドイツ軍側設定部隊、”陸軍73歩兵師団”についての豆知識を紹介します。


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 ”73.Infanterie-Division : 第73歩兵師団”の略歴


第73歩兵師団は、1939年8月26日に第2次動員部隊の1つとしてWehrkreis XIII:第8軍管区に於いて編成された。
この第8軍管区は南ドイツの管区で、第73歩兵師団の編成地は党大会でも有名なバイエルン州のNürnberg:ニュルンベルクであった。
したがって、一般兵に関しては、この地域内より志願もしくは徴集された兵によって構成されていた。

同師団の一部は1939年のポーランド戦にも予備軍として従軍しており、同10月には第1軍の第7軍団に所属、ザールファルツに移動、1939年の年末から翌40年1月の間は同地にて、陸軍最高司令部の予備として駐屯した。

1940年の西方戦役では、当初A軍集団の第16軍予備としてルクセンブルクへ、6月には第12軍第23軍団に配属され、フランスに駐留。その後C軍、D軍所属になりつつもフランス国内に駐留軍として1941年を迎えた。

1941年3月、第12軍の第30軍団所属部隊としてルーマニアに移動、4月から5月には第40軍団の部隊としてギリシャ侵攻作戦に参戦し、バルバロッサ作戦が開始された6月には、第12軍の予備としてユーゴスラビアに移動。
同7月には陸軍総司令部予備部隊となり、南方軍集団に配属された。
8月からは第11軍に配属され、クリミアで1941年の年末を迎えた。

1942年1月に、第1装甲軍の予備に配属され、ミュースに移動。2月から5月には第1装甲軍の第16軍団に配属。
8月にA軍集団の第17軍第49軍団に配置換えとなり、コーカサスに移動。

そして1942年9月から1943年9月には、A軍集団第17軍第5軍団に配属され、ノヴォロシースクにて設定状況を迎えた。




 
師団章

第73歩兵師団の師団章。

師団章は、師団所属の車両を始め、師団所属の兵舎、各司令部、野戦病院や野戦郵便局、更にそれら施設を示す道路標識などに描かれていた。


Grenadier-Regiment 213:第213擲弾兵連隊”について

第213擲弾兵連隊は、1943年の時点で第73歩兵師団に配属されていた3個歩兵連隊の1つで、他に第170、第186擲弾兵連隊が第73歩兵師団に所属していた。

ただし通常勤務時には、中隊以外の兵とはあまり接点は無かったので、部隊番号まで覚える必要は無いかもしれません。



第2大隊 第5中隊”について

ドイツ軍の一般的な歩兵連隊は、2~3個歩兵大隊から成り、各大隊には4個の中隊が所属していた。
中隊には通し番号が振られていたので、第1~第4中隊は第Ⅰ大隊に、第5~第8中隊は第Ⅱ大隊に所属した。
また、ドイツ軍の大隊番号はローマ数字で表記する事とされていた。

中隊とは、最低単位の輜重部隊を含む、いわば自立行動可能な最小単位の部隊規模を意味するが、補給所は大隊規模から用意されていたので、大隊の支援無しに存続する事は困難であった。

また、ドイツ軍では、各部隊に野戦郵便番号が付与されていたが、これも時期によって変更される事が多かった。
因みに今回の設定部隊である、第Ⅱ大隊第5中隊は、1943年8月1日より”07949”が付与されていた。
この番号は、第Ⅱ大隊本部と、第5~第8中隊の共通番号であった。

       
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26.Sep.2013 公開

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